羅針盤というと私たちの生活で思い浮かべるのが方位磁石です。
私たちの人生で向かうべき方向を指し示してくれる方位磁石の役目を果たしてくれるもの、それは人生の羅針盤です。
今回はあるのとないのとでは幸福に充実した人生に多いな違いの出るこの人生の羅針盤のことを書いてみようと思っています。
人生の羅針盤とは?
「人生の羅針盤」は生きている上で、自分が進むべき方向を指し示してくれるもの、教えてくれるものの比喩として使われています。
磁石が南北の方向へ向くことを利用しているということを私たちの人生に例えてみると何に当たるのかなと考えてみました。
本来持って生まれたもの、自分自身を本当に生かすものといえないでしょうか?
本来持って生まれたものといっても、人種や肌の色、家柄、お金持ちか貧乏かなどで左右されないもので、なおかつ自分特有のものといえるのですが、それってひと言でいうと「個性」ということになってしまいますが、もっと人間の本質的なものです。
善も悪もない本質的な個性の発露を支えてくれるものが人生の羅針盤ですね。
その「個性」は本来は伸びたくて伸びたくて仕方がない性質を持っていて、磁石が南北の方向へ勝手に向いてしまうのと同じです。
羅針盤とは
羅針盤というのは船や航空機が方位を調べるために用いるものです。
コンパスともいわれることがあります。
私はコンパスと聞いて思い浮かぶのは学校で円を書くときに用いるものですが。
磁石は南北を向くという性質があるため、これを利用していて、種類としては磁気コンパスと高速回転するコマの力学的性質をりようしたジャイロコンパスなどがあるそうです。
自分が行く方向
本来持っていて伸びたくて伸びたくて仕方のない「個性」を発揮するために、もしくは個性をいかんなく発揮しているとおのずと目指したくなる目標を、人生の羅針盤は示してくれるはずです。
それはまるで航海のとき羅針盤があるからこそ目的地にたどり着けるように、生きていくうえでとても大切なものですね。
信仰
信仰をその基盤にする人がいます。
生きるということはどういうことなのか、幸せとは何なのか?人が幸せになるためには何を拠り所にすればいいのかという答えなどすぐに見つかるわけがありません。
その難しいことを見つけることを信仰を拠り所にするのです。
信仰とは文字通り信じることを意味しています。
信じて仰ぎ見るものです。
信じていられるということはとても幸せなことです。
そして信じ続けるということはたやすいことではありません。
信じて仰ぎ見ることを求められている信仰を持っているということは、そうすることが向いている人にとってはとても幸運なことかもしれませんね。
以前、私が電車に乗っていた時、隣の席に座った2人の女性の会話が耳に入ってきました。
そのころ私はまだ20代半ばのころでした。
中年期も終盤にさしかかった1人の女性が、どうやらご主人を亡くされたらしく子どももいないのでこれから先とても寂しい晩年を過ごすことになるような気がして不安だということを話すと、もう1人女性が、「何か宗教に入るといいと思う、宗教は何でもいいじゃない」と答えていました。
同じものを信仰するという連帯意識ができるし、新興宗教であればときどき集まりのようなものがあるので、そこに参加することもできるという話でした。
私は「へえ、そんな考えもあるのか」と思ったものです。
私は人に迷惑をかけなければ、自分の気持ちが晴れて、少しでも幸せになるのであれば難しいことは考えず利用できるものは利用すればいいという考えでいます。
宗教だってそういう目的で入ってもいいと思うのです。
ただし、あとあとごたごたを招かないのであればです。
でも羅針盤として信仰をしている人は、生きる先に理想を掲げているのではないでしょうか?
私の友人にも信仰を羅針盤として生きている人がいます。
彼女の理想はまさしく信じている神をただただ仰ぎ見て生きること、そして1人でも多くの人に同じ神を信じて欲しいと願っています。
でも私は無理だと伝えました。