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人生の羅針盤を誰しも持っておくべき...(続き2)

自分以外のものを信じることで幸せになれるような気がどうしてもしないからです。

彼女はその気持ちをもちろん尊重してくれました。

信仰している人にとっての課題の1つに、自分が信じているものを人に勧めたいというものがあるのではないでしょうか?私の友人もそうでした。

どんなことでもきっかけというものが必要なのですから、自分がいいと思うものは人に勧めたいというのは自然なことだと思います。

お勧めして、断られたとしても別に気に病むことはなく、腹を立てることもない、そして嫌がる人に無理強いをするというのでないなら勧めてもいいじゃない、と彼女にアドバイスしました。

〇〇教というような信仰でなくても、何かを仰ぎ見て信じているということを私たちはやっているような気がします。

哲学


信仰ではなくて哲学を基盤にしている人もいます。

哲学とは?でネットで調べてみました。

「人生・世界、事物の根源のあり方、原理を理性によって求めようとする学問、または経験からつくりあげた人生観」とありました。

哲学という言葉を聞いたことはないという人はいないのではないでしょうか?

でも哲学とはなんぞや、と問われて応えらる人もほとんどいないのではないでしょうか?

私は哲学とは?と問われたら、「この世の出来事、人の幸せなど、なんでも理屈を述べる学問」と答えたと思います。

哲学者イコール理屈屋さん、というイメージを持っていました。

「経験からつくりあげた人生観」というのであれば理論理屈だけではないはずです。

言葉で表現をしようとすると理論理屈ばかりを並べ立てたように見えてしまうだけなのでしょうね。

よく、「〇〇の仕事哲学」や「〇〇のゴルフ哲学」などという言われ方をしたり、著書が発売されています。

これはその道の超一流人物ならではの仕事やゴルフに対する深い考え、その考えがあったからこそ成功したというものを著したものです。

とすれば哲学とは「深い考え」ともいえます。

それは、ただボーっとしたり、寝ていただけでどこからか降って来たような考えなどではなく、追求しし続けた結果、探求し続けた結果のもの、そして追求すること、探求することそのものを哲学と称しているといえます。

〇〇のゴルフ哲学というときには〇〇がゴルフを行ってきた、という経験ありゴルフを追求し探求し続けた結果、持つようになった独自の「考え」=「行きついた考え」、そして追求探求し続ける過程そのもののことを指しています。

追求、探求する過程でひらめきはあったにせよ、より良くなるためにはどうしたらいいのかという考察と行動があったからこそのひらめきであって、突き詰めて考えてきた結果得られたものでなければ哲学とは呼びません。

とするなら哲学を人生の羅針盤とかかげるというのはどういう意味を示しているのでしょうか?

突き詰めて考えてきた結果はあくまでも結果であるはずのものなのでは?という疑問が湧いてきます。

この疑問を解くカギは、学問としての「哲学」はその対象が神や世界、善悪など社会などすべての人に共通する普遍的なものだということでした。

神は存在するのか、神を信じるということはどういうことなのか、何が善で何が悪なのかを突き詰めていく学問ということです。

昔から神話や物語が語りい継がれてきています。

これらは学問としての哲学で突き詰めている不合理なものを神話で語ろうとされたのです。

近年言葉で表わされたもの、1プラス1=2という概念により近いものでしか納得のいかなくなった私たちは哲学を必要としたのでしょう。

人生の羅針盤に哲学という学問そのものを選ぶことも可能です。

そのときには哲学者たちが出した結論をまず学び、自分もそのことについて哲学し続けることです。

哲学を学ぶことは過去の人間が結論に至ったことを基にして自分はどう考えるのか、どういう考えに馴染みやすいのかなどを知ることで欠点を把握しやすくもなります。

自分自身を知るということにつながるのですね。

そして学問としての哲学を学ぶのではなく、人生の羅針盤として哲学を用いるということは、何か自分が親しめるもの、愛してやまないものを突き詰めてい行く過程そのものを生きがいとして楽しむということです。

人生の羅針盤を持っておくべき10個の理由

人生の羅針盤はぜひ持っておくべきだと思います。

その理由をまとめてみました。

1.自分というものを確立するため

人生は何のためにあるのか?そんなことわかりません。

わかったとしても誰も証明してくれません。