私は若いころ、自分とは相入れない考えや行動をする人のことが信じられませんでした。
声に出して批難することはしませんでしたが、まるで別世界の生き物のように感じていたように思います。
でも今は、どうでしょうか。
同じように物理的にはやはり別世界で生きることを選択しようとも、その人にはそうならざるを得なかったものがあったに違いなく、軽蔑することなくそれはそれとして、そっとしておいてあげられるようになってきたように思います。
学校の教科書からではなく生きていく過程で少し学ばせてもらったかなという感じです。
そこには私なりの人生の羅針盤の存在があったからです。
最初は信じたものがあったから、他のことには目がいかなかっただけなのですが、次第に信じる道しか目に入らなくなってきたのかもしれません。
信じる道を進むと成長できる
結局信じる道を進むと成長できるのではないでしょうか?
成長しようと思って成長できるものではなく、人は信じる道を進むことで成長するしかないのかもしれませんね。
7.安心するため
周りが気にならなくなるのは安心しているからです。
誰かに守ってもらわなくても自分は守られているという理由のない確信があるから安心できるのです。
不安をなくすことができる
安心を得るためにはどうすればいいのかというと、不安をなくすことですね。
なあんだ、そんなこと、?でも不安をなくすにはどうすればいいの?
安心することですね、になってしまいそうです。
安心するためには自分の中に貫くものを持つより方法はないのです。
8.悩みや問題を解決するため
漠然とした不安は別として、具体的な悩みや問題がある場合は、その解決をすることが先決です。
そして羅針盤のある人は解決方法の選択肢が的確になります。
信念に戻れば解決できる
問題が起きたとしたら、そしてその問題によって自分の信念を忘れていたとしたら、信念に戻ればいいのです。
具体的な出来事としての問題はすぐには消え去らないかもしれませんが、そのことによってかき乱されて悩みの渦の中に巻き込まれていたとしたなら、信念に戻ることで自分の心の中だけは平安へと向かうはずです。
9.自分を信じるため
信念とは信じて念じると書きます。
念じて信じるでもいいですね。