話のネタが多い
いろいろな話しについていけることも「面白い人」としては重要な要素です。
「○○って知ってる?」となった時、相手はその話を他でもない「あなたと話したがっています」。
つまりは、「あなたとのその話が」面白くなるか、ならないかを審査されるという事です。
あなたがそこで「知らん」と言ってしまっては、そこで試合終了です。
相手の貴重な「興味のある話の一つ」を失ったという事になります。
しかもそれが会話の始め早々に出たものなら、なおさら貴重な話題です。
その人はその話題に相当興味があったのでしょう。
それに反応できなかったあなたは、その人から「この人と喋ってても話し合わないし、つまんないな」と思われているかも知れません。
面白い人に近づくためには「ある程度」は、相手の話に合わせられるくらい、流行などにもそこそこの知識は必要だと思います。
単純に「話しの引き出し」が多いに越した事は無いですしね。
フレンドリーである
高圧的だと、例え面白くても話しかけづらかったら意味がありません。
ある程度、社交的な、気さくな「フレンドリーさ」は必要です。
特徴一番目のいつも「笑顔」にも被ってくる事だとも思います。
人間関係で有利になるように「面白くなろう」としているのに、奇跡的に「面白くなったのにも関わらずコミュ障」だと意味がありません。
何しに努力したんだってなりますよね?
そんなにベタベタでなくてもいいと思いますが、必要最低限の気さくさがないと、「面白い話」を披露する事も出来ませんよね。
話しを振られても無視、喋らないとなると、完全に昨今の「喋らない設定のゆるキャラ」と同じです。
出演者と意思疎通もできなければ、または着ぐるみが大き過ぎて動きに致命的な制限が出て、何のために居るのか全く意味がわからなくなってしまいます。
本末転倒の最たるものです。
ツッコミが的確
これも難易度がかなり高いです。
「ツッコミ」は相手の「ボケ」があって初めて成立するので、話を特別合わせていない場合は、自分で見つけて「ツッコむ」という「アドリブ力」が問われます。
何かの楽器でも、例えば「ここ10小節あげるから、自由になんかやってよ」と言われたら絶対に出来ないでしょう。
自由にやると言っても、音楽には曲調や和音進行などがあり、何でもかんでも音を出せばいいって訳ではありません。
和音に合わない音を好き勝手出すと不協和音になったり曲が無茶苦茶になります。
飽くまで、「その時その時の状況に合った計算された何か」が必要です。
それを急にやれと言っても無理でしょう。
しかもありがちなのが「この前お笑い芸人が言ったツッコミをそのまま拝借」なんてのは愚の骨頂です。
その人も観ていたら、「え?それって昨日の?うっわぁ、さぶぅぅい」と思われて、「イタい人間」確定です。
ツッコミは表現が遠過ぎても「訳分からん」し、近過ぎても「ベタ過ぎて」面白くありません。
見えるか見えないかの「ちょうどのところ」が一番いいのです。
それを的確にやるためには、普段の話を聞いていてまずは「頭に中だけでツッコミ」をするのが良いと思います。
というかそれをやるのが「身の為」だと思います。
難しい技術が問われるので簡単にはいかないでしょう。