建設的という言葉の意味は、デジタル大辞泉によると、現状をよりよくしていこうと積極的な態度でのぞむさま、と出ています。
また大辞林第三版では、その事の良さを認めた上で、さらに良くしていこうとするさま。
物事の成立や進行をおしすすめようとするさま、となっています。
現状をよりよくしていこうとは、個人的な自分だけの現状に限らず、自分をとりまく環境や社会までを、その対象としているのでしょう。
建設的という言葉には、エゴイズムは似合いません。
取り違えている人はいないとは思いますが、それら個人と全体の関係も含めて、建設的な生き方とはどういうことかについて、これから検討していくことにしましょう。
建設的な意見や思考を持つべき理由21個
もし違う意見が一切ないと仮定すれば、当然意見を戦わせる機会はどこにもありません。
西欧には古くから「問答法」「弁証法」という思考法がありました。
問答法とは古代ギリシャの考え方で、ある考えに議論、問答を加えることでより真理に近付けようというものです。
弁証法は現代では、ヘーゲル、マルクスに代表されてますが、基本的には同じような考えです。
AとBとで議論を闘わせることによって新しい考え方Cが生まれると考えます。
また西欧では相手を説得する弁論術を重視してきました。
そのため意見を出すこと、それを戦わせることは活発に行われます。
これは現代におけるブレーンストーミングにも通じています。
ただし、真理を求めすぎ、他者を異端として切って捨てる傾向は少し行き過ぎです。
これによりカトリック対プロテスタントなどの激しい対立を生みました。
神様はそっちのけにされ、対立により大量の死者を出したことも確かな事実です。
一方で真理を求める彼らの思考は、科学の進歩を推進し、経済を発展させ、豊かな生活を実現する原動力ともなりました。
差し引きするとどうだったのでしょうか。
成長できる
建設的な意見を、建設的に戦わせることによって、参加者たちの考えは必ず磨きがかかっていくでしょう。
こういうとき、感情は極力排しましょう。
議論の中で、間違いを悟ることもあれば、方向転換を余儀なくされることもあるでしょう。
しかしこれらは失敗というには当たりません。
貴重な経験を積んでいることを意識しましょう。
かならず成長の糧となっていくはずです。
安易な感情の発露は、何もかも台無しにしかねません。
個人として
このような建設的議論を積み重ねていくことによって、あなたの意見とその中に秘められた主義・主張は、内容の豊かさを増していきます。
そしてより間違いの少ないものへと進化していくでしょう。
やがて経験から得たものを、いろいろな場面において、応用できるようになります。
そこまで到達していれば、積極的なプラス思考の人間に、変身していることは疑いようもありません。
組織として
破たん寸前の東芝では、“チャレンジ”という建設的に聞こえる言葉は「粉飾して架空利益を計上しろ。」という意味だったそうです。
社長から中間管理職まで、多くの人間が自らの保身のために悪事に手を染めながら、恥じるところがなかったようです。
おそらく名門東芝がこうなのだから、日本の会社なんてどこもこんなもんだ、と社員たちは思い違いしていたのでしょう。
社会正義を欠いた悪い企業文化が支配していました。
とても本物の“チャレンジ”などできる建設的な組織風土には見えません。