でもそれも、いろんな人の話を聞いたり、熟慮を重ねた結果、自分の考えを方針転換するということであって、そうコロコロと変わるものではありません。
それに自分にとっても、意見を変えるということは大きな出来事。
もともとあった自分の意見を否定することになるのですから、苦渋の決断だったりもするのです。
そのぶん周囲の人にも、何故変わったのかを伝え、理解してもらいたいと思うのが普通なんですよね。
そんな筋道もなく、意見がコロコロと変わってしまう支離滅裂な人。
それは一体、どういう状態になっているのでしょうか。
突然真逆のことを言い出す
コロコロ違う意見を言ってしまう支離滅裂な人は、突然真逆のことを言い出すことがあるのです。
それは、聞き手にとって「意見が変わったんだな」と認識出来るレベルではありません。
何が起こったのか分からないようなことだったりします。
例えば、「次の曲がり角右ね」と言われて右に曲がろうとしたら、「何やってんの?左だよ!」といったような…。
「ごめん、間違った」でもなく、「私、さっき右って言ったよね。」と認めるでもなく…。
平然と真逆のことを言い出したりするのです。
これが仕事だとしたら、周囲の人は困ってしまいますよね。
特に支離滅裂な人が上司だったりしたら、部下たちは道に迷ってしまいます。
筆者の昔の上司が、ちょっとこんな人でした。
昨日は「この計画で動くぞ」と言っていたのに、今日になったらまた別の計画を指示してきたり。
コロコロと変わる計画を、変更するのではなく上塗りしていくような…。
となると周囲は、どう動けばいいのか分からなくなってしまいます。
コロコロと意見が変わったり真逆の意見を言ってくる人が、支離滅裂だと思われてしまうのは、意見が変わったことや、間違ったということを伝えないからですよね。
もしかしたら本人の中では、意見が変わる転換点があるのかもしれません。
でも、その経緯は、周囲の人は言われなければ分かりません。
そういった配慮が抜け落ちているということも、支離滅裂になってしまうひとつの原因なのかもしれませんよね。
気分屋とも呼べないレベル
そして、支離滅裂な人の意見の変わりようは、気分屋とも呼べないレベルだったりもするのです。
気分屋の人はある意味、「気分屋だからな」と、気分が原因で意見が変わったのだと、周囲の人は思います。
もちろん、それがいいということではなく、諦め半分ということです。
その気分に付き合うも付き合わないも自由です。
慣れている人は「またか」と思って放って置いたりするのです。
だけど、支離滅裂な人の場合は、気分で意見が変わったという雰囲気じゃなかったりします。
前回言っていたことも、変わった意見についても、都度正当性を主張してきたりするのです。
それは、気分に左右されたようなものではなく、もともとこの意見が自分の唯一の意見だったかのように、自信たっぷりだったり…。
だから、支離滅裂な人は厄介に思われるんですよね。
気分屋も厄介ですが、気分に左右されていることさえ理解出来れば、可愛くもあるのです。
支離滅裂な人には、気分によって変わったというような曖昧さも無かったりするので、周囲の人はただただ困惑してしまうのです。
理に合わないことでキレる
そして、支離滅裂な人の困った特徴は「理に合わないことでキレる」ところにもあります。
理とは、物事の筋道や道理のことです。
人はそれを、ある一定の共通認識として持っています。
ですので、その筋道や道理に合わないことがあってキレているのなら、その怒りの理由を理解することが出来るのです。