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ざっくばらんとはどういう意味?使い...(続き5)

ざっくばらんすぎる

 「ざっくばらんすぎる」というようなことを言われた場合には、それは完全に自分に対する批判だと捉えるべきでしょう。

批判の内容としては「そこまでまっすぐに意見を言ってしまっては相手が嫌な思いをする」「空気を読まずに自分の意見を話しすぎだ」ということですね。

まっすぐに生きるというのはとても良いことのように思われるかもしれませんが、実際には、ざっくばらんに生きることで周囲から批判されることもあります。

ざっくばらんというのは、時には相手に対して失礼になることもあります。

まっすぐな意見を述べるのですから、相手が気分を害してしまうこともあるのです。

そう言ったことをあまり考えてないことを批判するのに「ざっくばらんすぎる」というのです。

これは「率直すぎる」と批判するよりも、どこか「空気を読めていない」「品がない」というような意味が加わっているので、相手に対しての強い批判になるのではないでしょうか。

ざっくばらんなやりとり

 「ざっくばらんなやりとり」といった表現をするような場合には「フランクなやり取り」というような意味になります。

その間には遠慮もありませんし、気を遣うような必要もないということです。

「ざっくばらんなやり取りを望む」と言われている場合には、相手の方が目上だということや、相手の方が名が売れていると言ったようなことを気にせずに、一対一で対等な関係で話をしたいということを望んでいることになるでしょう。

ざっくばらんなやり取りを求められている場合には、「率直なやり取り」と言われているよりも、ずっと対等なイメージが強くなります。

また、その意見が失礼に値するようなことであっても、きちんとした意見なら受け入れるというようなイメージもあるかもしれませんね。

議論とはいっても、普通は目上の人とするような場合には緊張して遠慮をしてしまうものです。

率直なやり取りというだけでは、そういった相手との間の壁が取れることはありませんが、ざっくばらんなやり取りと言われた場合には、そういった壁を取り払ってしまおうと相手から提唱されているということになるのではないでしょうか。

ざっくばらんな話し合い

 ざっくばらんな話し合いでという表現をしているときでも、やはり、相手との対等な議論という印象がとても強いですね。

ざっくばらんな話し合いの中では素直な意見を述べることができるということです。

ただし、こういった言葉があくまで形式的に使われることもあるので気を付けてくださいね。

面と向かって二人きりで話し合いをしているときには良いかもしれませんが、例えば「ざっくばらんな話し合いを求めています」というような呼び声があったとしても、参加している人によっては、実際にざっくばらんな意見を言うと、とても嫌がられてしまうことがあります。

その場の空気を読んできちんと発言していなければいけないと言ことになりますので、気を付けてくださいね。

ざっくばらんは「対等にストレートに率直に」という印象を抱かせる言葉ですから、形式的に社交辞令のような言葉の一つとして使われることもあるのです。

ざっくばらんな人や行動が好かれる原因は?

 ここでは、ざっくばらんという言葉で表すことができる人や行動が、人に及ぼす影響や、印象を見てみることにしましょう。

ざっくばらんな人や行動は、その行動で人に好かれることもあります。

その理由は、その率直さにあるでしょう。

とても素直で率直なところが、隠し事しないようで好感が生まれるのです。

特に、隠し事をされるのが嫌な人にとっては、ざっくばらんな人の行動や性格はとても気持ちが良いものでしょう。

また、素直にすべてを出してしまう行動を可愛いと思ってもらうことができるかもしれませんね。

そうした行動をとっていることがとても危うく見えてしまい、そうした隙があるところも好意を抱かれる原因となります。

こういった場合には、多くはざっくばらんとは表現されないかもしれませんね。

ざっくばらんというよりは、もう少し良い意味で使われることが多い言葉を使うのではないでしょうか。

例えば率直や素直と言ったような言葉です。

ざっくばらんの良いところは、人に対して自分を繕ったような行動をしないということです。

その欠点もしっかりと相手に見えてしまうことになりますが、そのことこそがとても好ましいと思ってもらうことができるのかもしれません。

何かを隠そうとしていないまっすぐなところは、確かに眩しいほどに魅力的ですよね。

ざっくばらんな人や行動が嫌われる原因は?

 ざっくばらんな人や行動は、好意を抱いてもらうことができる一方で、とても嫌われてしまうこともあります。

人によってはざっくばらんな行動や性格がとても嫌いだと思ってしまうものなのです。