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憶測で物事を判断しないほうが良い11個の理由


突然ですが、あなたはこんな言葉をご存知でしょうか?

「人の不幸は蜜の味」という言葉です。

これは、「人の失敗を喜ぶ気持ち」という意味をあらわす言葉ですが、この言葉の発祥は実はドイツなんです。

ドイツ語には「シャーデンフロイデ」という言葉があり、日本語に訳すと「影の喜び」という意味になるそうですが、これは、他者の不幸、悲しみ、苦しみ、失敗を見聞きした時に生じる、喜び、嬉しさといった快い感情を意味しています。

綺麗事では無く、人間には例えどの国のひとであっても、人の不幸を痛快に思う気持ちが少なからずあります。

誰しも経験があるでしょう。

この言葉は、日本語で言うところの「ざまあみろ」という感情と似ています。

このように、人間は頭ではやらない方が良い、そんなことは思わない方が良いと思っていても、ついつい人の不幸を喜んだり、人の悪口を言ったりしてしまう生き物です。

また、人の悪口を言っている時が何よりも楽しく充実した時間であると認識できるという人もいます。

あなたの周りにも、人の悪口を言っている時が一番いきいきしているという人はいませんか?

このことが良いのか悪いのかは別として、人間にはそういう醜い部分が存在するということは事実です。

他人の悪口を言うときに、実際にその人から自分が酷い目に遭わされたという場合は、悪口というよりも事実ですが、その人のことをよく知らないのに、見た目や噂だけで判断し、悪口を言いふらす人もいますよね。

つまり、「憶測でものをいっている」わけです。

今回は、憶測で物事を判断しない方が良いということと、その理由について、いろいろな角度から考察し、まとめていきたいと思います。

この記事の目次

️憶測で判断してしまっていませんか?

あなたは自分の性格をどう解析しますか?人に流されやすいタイプですか?それとも自分を信じるタイプでしょうか?

人に流されやすいタイプの方は、憶測で物事を判断したり言ってしまったりする人が多いようですが、どうでしょうか?

事実を自分の目で確かめることなく、人のうわさや自分の想像だけで憶測で物事を判断したりしていませんか?

ちなみに、憶測と直感は似ているようで違います。

何かをやろうとしているときに、なんとなく嫌な予感がすると自分で思って辞めるというのは「直感」ですが、事実と異なることかもしれないのに、勝手に「そうに違いない」と予想してしまうことは「憶測」です。

憶測とは


ところで、憶測とはどういう意味でしょうか?

憶測の「憶」には、いろいろなことを思う、おしはかるというような意味があります。

憶測の「測」は、ものごとを計量する、測るという意味とこれも「憶」と同じ「おしはかる」という意味があります。

つまり、憶測とは「確かな根拠もなくいい加減に推理すること」という意味になります。

根拠もなく、いい加減な推理がプラスの方向の推理であれば別に問題は無いと思います。

しかし、このようなときたいていその憶測は「悪口」になります。

また、先程少し述べましたが憶測と推測の違いとはなんでしょうか?

推測というのは、自分が部分的にでも実際に得た情報を元に、物事の状態・性質や将来を、予想することです。

憶測と言うのは、何の事実も知らず根拠もないのに自分の頭の中だけで予想するということで、この二つの意味は全く違います。

推測には真実が含まれますが憶測は真実は含まれません。

いい加減な推測をすること

つまり、憶測と言うのは同じ予測するという行動であっても、全く真実が含まれないということなのです。

このことからも、憶測で物を言うのはよくないということが何となくでもわかっていただけるでしょうか?

もしも憶測でものを判断して、その憶測が当たっていたとしましょう。

確かにその時は、憶測ではなくなるのですから、自分に自信も沸くでしょうし、自分の予想が当たったと嬉しく思うかもしれません。

でもそれはあくまで偶然です。

一度憶測が真実になったくらいで、良い気になってはいけません。

憶測でものを言われた方は傷つくことがとても多いのです。