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美人薄命は本当にあった。キレイなの...(続き2)

「佳人」おいう言葉が広く広まったのは、蘇軾と言う詩人が作った「薄命佳人詩」というものであり、美人薄命の語源としても知られています。

今の時代では、佳人という言葉の意味を知る人も少なくなってしまいました。

しかし、それらの意味をしっかり知る事によって更に言葉の面白さなどを感じる事が出来るでしょう。

語源や気になる言葉の意味は、セ局的に調べて自分のものにしていく様に心がけていきましょう。

美人薄命の人物たち


「美人薄命」と聞くと、そんなわけない。

今はそんな時代ではない。

と思う人も居る事でしょう。

しかし、実際若くして亡くなった美しい女性の方々が多く居ます。

人気絶頂の時期に亡くなってしまったからこそ、今でも伝説として語り継がれている方々も多く居ます。

今回は、そんな「美人薄命」の方々のごく一部をご紹介させて頂きます。

どの方も美しく、早くに亡くなってしまった方ばかりです。

彼らの死を悼むと共に、その功績を振り返ってみる事にしましょう。

日本の方の美人薄命


まずは、日本人の方々です。

世代が違ったとしても、伝絶として語り継がれているような人の事は多くの方が知っている場合もある事でしょう。

何十年も昔の写真でさえ、今もなお洗練された美しさを見る事が出来ます。

夏目雅子さん

夏目雅子さんは、1957年12月17日に誕生し、1985年9月11日に僅か27歳という若さでこの世を去ってしまった女優さんです。

現在では、「伝説」とは名ばかりの方々が多く登場していますが、彼女こそ本当の伝説です。

昭和の時代に生きた彼女ですが、今もなお多くの方々の記憶に残された女優の一人です。

芝居にかける熱い思いとしても有名な彼女でしたが、デビュー当時はお芝居の経験が無かった事もあり監督からダメだしされる事も珍しい事ではありませんでした。

その悔しさをバネに、日々努力をし続ける事で、昭和のトップ女優としての地位を確立して行きました。

あっと言う間に大スターの地位を確立した彼女ですが、人柄はとても気さくでホームシックにかかってしまった子役の子供たちと一緒にお風呂に入るなど当時の女優としては考えられないような行動を取った事でも知られています。

大変美しく、性格も良かった事でも知られている夏目雅子さんですが結婚のお相手はなんと略奪婚なんだとか。

7年もの長い不倫の末に再婚を果たしたそのお相手とは、わずか1年しか一緒に過ごす事が出来ませんでした。

しかし、その最後の時だけでも好きな人と一緒に過ごす事が出来たのは幸せだったのかもしれません。

夏目雅子さんの死因は、急性白血病です。

若くして発病してしまった事もあり、急速に進攻してしまったと言われています。

本田美奈子さん

本田美奈子さんは、1967年7月31日 に生まれ2005年11月6日、満38歳で亡くなりました。

1985に年東芝EMIより「殺意のバカンス」という曲でデビューした彼女は、瞬く間に新人賞を総なめにしました。

翌年には、ファーストコンサートを武道館で行うなど、一躍トップスターとなっていきました。

ソロ活動だけではなく、バンド活動を行うなど多くの活動をしてきた彼女は新たな挑戦として1992年の「ミス・サイゴン」のオーディションを受けます。

この時に、応募したのは主役のキム役です。

12000人が応募し、大変高い倍率だったこの役を彼女は見事自分の物とします。

その後、1年6ヶ月のロングランを終え、彼女のミュージカルスターとしての才能が開花して行きます。

「レ・ミゼラブル」や「屋根の上のバイオリン弾き」・渡辺謙さんが海外公演した事でも知られている「王様と私」など、様々な話題作に出演し高い実力を誇ってきました。

また、2000年にはシドニーのオペラハウスでのイベントに参加するなど世界的にも知られる存在となっていきました。