そんな何もかもが順調だった、2005年に彼女を突然病魔が襲います。
急性骨髄性白血病と診断され、仕事を全てキャンセルしすべての時間を治療にそそぎ治す為の努力を続けてきました。
しかし、その願いはかなわず、そのまま帰らぬ人となってしまいました。
彼女が歌った、アメイジンググレイスと言う曲は、今でも使用される事が多くそれを聞くたびに彼女の歌声を思い出す人も多く居る事でしょう。
坂井泉水さん
坂井泉水さんは1967年2月6日に生まれました。
20代前半までは、その美しい美貌を生かして、モデルやレースクイーンと言った華やかな活動を行っていました。
しかし、当時から歌手になりたという希望を持っておりその夢がかない、1991年2月に「ZARD」のボーカルとして活動を始めます。
その後は、ミリオンヒットを多く記録し瞬く間に日本を代表するアーティストになっていきます。
レースクイーンをしていたとは思えない程、あまりメディアには出歌手活動に専念してきます。
そんな彼女は元々多くの持病があり、子宮筋腫、卵巣のう腫、子宮内膜症など、様々な病気と闘ってきました。
そして、ついに39歳の時にし子宮頸がんとなり全摘出を行います。
しかし、その覚悟もむなしく翌年には転移が見つかり入院していた病院の非常階段から転落して亡くなりました。
多くの方が楽しみにしていた復帰はかなわぬものとなってしまい、日本中が悲しみに包まれました。
彼女の死は、うつ病のせいと言われたり極度に痩せてしまった為に起こっためまいが原因など、様々な理由が言われておりましたが警察は、事故死と判断しました。
真相は闇の中です。
大原麗子さん
大原麗子さんは、1946年11月13日に和菓子屋の娘として誕生しました。
当時、お父さんは男の子が欲しかった事もあり大原さんに手を挙げる事もあったそうです。
そんな事もあり、大原さんは実の父を恨んでおり実家とは確執があったと言われています。
昭和を代表する作品として知られている「男はつらいよ」シリーズなどに出演し、女優として人気を誇っていきました。
その後、渡瀬恒彦さんと結婚するものの、わずか5年という短い期間で別れる事となってしまいました。
その後も売れっ子女優として活躍していた彼女ですが40代に入ると仕事が激減してしまいます。
突発的に行った整形手術で失敗し、仕事は更に無くなってしまいました。
晩年は、持病であった難病のキランバレー症候群が再発したと言われていたが、さだかではない。
死後2週間たってようやく発見されるなど、孤独な生活を送っていました。
岡田有希子さん
岡田有希子さんは、1980年代に活躍したアイドルです。
『ユッコ』の愛称で多くの方に愛されていた彼女が、わずか18歳という若さでこの世を去ってしまいます。
自殺という形で幕が降ろされた彼女の人生は、多くの方に衝撃を与え、彼女の後を追って自殺する若者まで居たほどでした。
現在もトップアイドルとして知られている、松田聖子さんと同年代であり、人気を2分していたとも言われている彼女。
今も生きていたらどんな姿になって居たのかと思うと、悔やまれてなりません。
彼女の死の原因は一冊のノートが残されていたことにより判明しています。
そこには、俳優の峰岸徹に振られたとの記録があったそうです。
彼とは、【禁じられたマリコ】で共演しており、その際に好意を持ったと言われています。
ただし、不倫関係などではなく一方的な恋だったようです。
最初は、ガス自殺を図った物の発見され一命をとりとめます。
しかし、病院に居る間に、スタッフの目を盗んで屋上から飛び降りてしまうのでした。
元々生真面目だったと言われている彼女は、忙しすぎる生活や上手く行かなかった恋に疲れてしまったのでしょうか。