頭の中を整理しながら、伝えたいSOSの内容を相談することができます。
プロのカウンセラーや専門家が対応してくれるサービスがとても多いですし、内容が外に漏れることもありませんから、身近な人だと抵抗がある人にはとてもおすすめの方法です。
SNSでSOSを発信する
近年では、ツイッターやフェイスブックといったSNSを利用して助けを求める方法が、若い世代を中心に多く見られています。
SNSのメリットは、自分がどこにいたとしても、たとえば見知らぬ場所や土地で何らかの助けや救助を求める状況に遭遇して、誰も頼れる人がいないとか、助けてもらえそうな人が近くにいないという場合にとても役立つツールと言えます。
SNSはどんな場合に特に利用すると良いでしょうか。
またSNSを使ってSOSを発信する際、どんなポイントを押さえておくと良いでしょうか。
協力者が増える可能性
ツイッターやフェイスブックなどのSNSは、不特定多数の人が24時間いつでも目にすることができます。
日本だけでなく、世界中の人とつながれるサービスです。
近くに家族や友人など、助けをすぐに求めれば駆けつけてくれる人がいない場合や、連絡がどうしても取れない場合、さらにはよりたくさんの人の協力が必要な場面において、このSNSを使えば協力してくれる人がどんどん増えてくれる可能性があります。
一人では何もできないような状況でも、たくさん協力してくれる人がいたことによって助けられたり、解決できることもいっぱいあると思います。
安易にSOSのために使うべきものではありませんが、緊急の場合などは非常に便利なツールの一つと言えます。
事故や災害なら情報を詳しく
最近はどこにいても、突然の事故や、水害や大地震のような災害に巻き込まれることがあります。
孤立した状態になった時、見知らぬ土地で巻き込まれた時などは特に不安に感じますよね。
そうした緊迫した場面で、助けや協力を求めたい場合には情報を正確に、より詳しく載せるようにすることが重要です。
今自分がいる場所の目印となるものや、位置情報はなるべく詳しく、どんな小さなことでも良いので書くようにしましょう。
助けて欲しい内容も具体的に書くことができます。
さらには、どれほど緊急を要するものなのかも書くようにします。
さらには、助けを必要としている人数なども伝えれば、どれだけの人がその場に行くと良いかの判断材料にもなるので役立つと言えます。
そして、かならずハッシュタグ(#)を付けて救助要請をすることも忘れないようにしましょう。
画像付きならインパクトあり
助けを必要とする内容でも、場所でも画像があるととても便利ですし、よりたくさんの人に見てもらえるようなインパクトを与えることにもなります。
周囲の状況や情報がSNSを見る人により伝わりやすいように、できれば写真を撮って載せることで、より多くの人から助けや協力を得られることにつながっていくと思います。
強がらず表情や行動であらわす
私たちは他人の心の中を読み取ることができないので、どんなに近くにいる身近な人であっても、心の中で悩んでいる事や助けを求めていることまでは気付いてあげられません。
実は苦しい事や辛いことが今起きているのに、表面では明るく何事もないように明るく振る舞う人であれば、なおさら気づいてもらうことは難しいに違いありません。
自分が困っている時、助けて欲しい時、辛かったり苦しんでいる時は無理に頑張ろうとするのではなくて、時には強がらずに表情や行動に見せるようにしてみましょう。
泣くほどつらい状況であれば涙を見せたり、何かに苦しんでいるなら怒りを表わしてみたりするのです。
弱さを見せることは恥ずかしいことでも、情けないと感じることでも決してありません。
表情や行動にいつもとは違う自分を見せたことで、自分の立場が弱くなってしまう、なんてこともないのです。
むしろ、人間味のある近づきやすい人だ、と好印象に見てもらえる結果になると思いますよ。
️SOSを伝えるシチュエーション
ではどんな時であればSOSを伝えても良いでしょうか。
明らかな緊急事態の時はすぐに助けを求められても、自分自身のことになると「これぐらいなら、自分で解決したほうが良いんじゃないか」と考えて、限界まで抱え込んでしまう事が多いかもしれません。
「限界までは自分で何とかしよう」と思って誰にも頼らなかったら、実はすでに自分のキャパシティを超えていて、もうどうしようもない状況にまで落ちていた、なんてことにならないように、こんなシチュエーションの時はSOSを出しても良いんだよ、というありえそうな場面をまとめてみました。
もちろん、他に考えられるシチュエーションが思いついたり、ここにはない事で悩んだり思い詰めているのであれば、それも助けを求めて良いシチュエーションだと思いますよ☆
仕事が回らない
やるべき仕事がどんどん増えていって、手が回らないという場面に陥ることはあるものです。