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言語道断とはどういう意味?よくある...(続き3)

言葉を失うほどのひどい事です。

「ちょっとひどいよね〜」という軽いレベルではありません。

「もう絶対ありえないんですけど!!」というくらいのレベルです。

「言語」が言葉として口にだすことを意味し、「道」は口で言うこと、それが「断」たれる」という漢字4つの意味も理解すると、「言葉にできないほどのひどい事」という意味である事が納得できたのではないでしょうか?
「あり得ない!」「絶対にダメだ!」というシュチュエーションで、「言語道断だ!」と使うことがありますが、意味を理解すると、その使い方になるほどと思えますね。

️言語道断の由来

「言語道断」という四字熟語ですが、意味は理解できましたが、由来については知らない方も多いのではないでしょうか?
では、今度は由来についてちょっと調べてみたいと思います。

仏教から生まれた言葉

今でこそ、「あまりにもひどくて、言葉にもできないほど」の「とんでもない」事柄を意味する「言語道断」ですが、先程も少しだけ触れたようにじつはもともとは仏教語だったようなんです。

仏教語としての「言語道断」にはいったいどんな意味があったのでしょうか?

仏教の真理は言葉では表せない

仏教語として、「言語道断」とは仏法の真理というのは、言葉ではとても説明しきれないよ、ということを意味していたようなんです。

仏法の真理とは、いったいなんのこと?って思うかもしれません。

仏法真理とは?ということを検索すると、それは仏の心であり、仏の掟です。

そして、仏の生命が流転する姿のことでもあります。

もっと大きなスケールでは、人類というものの過去と現在と未来をつなぐ一本の黄金の糸、というものを意味しているようです。

それが、深すぎて言葉ではとてもとても説明なんてできないんですよ、ということを仏教では「言語道断」と言ってたんですね。

確かに、仏教というのは言葉ですべてを説明することはできない、という教えを多くもっています。

この仏教語から、言葉も出ないほどにひどいことを意味する四字熟語としてわたしたちが今理解しているわけですね。

しかし、昔にはひどいことだけを意味していたわけではなく、言葉に出いないほどに立派なこと、という意味でも使われていたようです。

例えば、「言語道断」は平家物語にも出ているのですが、そこには「時々刻々の法施祈念、言語道断の事どもなり」という一節があります。

ここでは、表現しがたいほどの驚嘆の気持ちを表して使われているようです。

️言語道断のよくある使い方

では、ここからは「言語道断」のよくある使い方についてご紹介していきましょう。

そんな考え方は言語道断だ

「そんな考えは言語道断だ!」と言われたら、「そんな考え方はもってのほかだ!」と言われていることになるでしょう。

そんな考え方は、まったくもってひどい考え方だと言われているわけですから、もちろん「間違っている」と否定されているわけです。

あるいは、「そんな考え方をするなんて、とんでもない。絶対にしないよ」という意思表示かもしれませんね。

言語道断で許されない

ある行為について、「言語道断で許されない」と言われたなら、問答無用で許されないって感じに聞こえますね!
ニュースなどで事件のとき、あるいは政治家の問題発言または問題行動について、ある人が「言語道断で到底許されない行為である」とコメントすることもありますね。

「あまりにもひどいことなので、許されることではない!」と強く非難し、もしくは反発している事になります。

例えば、以前に「言語道断で到底許されない」という表現を、沖縄県知事が使ったことがあります。

そのときには米軍のヘリパッド建設について抗議していた市民にたいして、機動隊員が「触るな、土人が!」と侮辱的な表現を使ったことが背景にあります。

この点については、そこに至った経緯を考えるといろいろな意見があるとはいえ、この時の知事はこの「土人が!」という言葉について、あまりにもきつくてひどい言葉だ、といことで許されない事として自分の意見を述べたということになりますね。

言語道断の不届き者

「言語道断の不届き者」という表現もできます。

不届き者とは、取り決めとか法、道徳に全然従わないで、それに背いたような人のことを言いますが、その程度があまりにもひどい人に対しては、「言語道断の不届き者」という言い方ができますね。

とにかく、とんでもなくしきたりを無視する人なんですね。