あまりにも恥知らずで、あまりにも失礼な人のことも、そのように表現することがありますね。
例えば、会社の金を流用して株をやっていたとか、まさに言語道断の不届き者ではないでしょうか?
そのような不届き者のせいで、会社のお金が無くなって、真面目に働いていた人たちの給料が出なくなったり、会社が倒産して多くの人の生活を台無しにするようなことがあったら、もう「言語道断で、到底許されることではない!!」と言いたくなりますね。
芥川龍之介の「忠義」の中にも「言語道断の不届者」という罪状について触れられています。
実に言語道断である
宮本百合子の「衣服と婦人の生活」の中で、「日本の紡績女工のひどさは実に言語道断です」という一節があります。
「とんでもなくひどい」、「呆れて言葉が出ないほどだ」ということですね。
呆れるほどひどい、ということはかなりの深刻さを感じさせますね。
「実に言語道断だ」と言い方は、ある事柄が言葉にならないほどひどいということを、よく表現できるでしょう。
あるひどい不届き者についての話を友人から聞いていたとします。
その行動について、「実に言語道断だね」とコメントするなら、「とにかくひどいね」というコメントをより格を上げて、知的に表現できそうですね。
その発言は言語道断だ
あまりにもひどいと思えるような発言に対して、「その発言は言語道断だ」と非難することがあります。
先ほどの「言語道断で到底許されない」とされた、機動隊員が沖縄県民に対して「土人」と発言したことに関しても、NEWSの記事なおでは「言語道断の発言」として取り上げられていました。
さらに、多くの政治家たちの過激な発言にたいして、それに反発したり非難する側が「その発言は言語道断だ」と牙をむくことはよくあります。
例えば、核ミサイルで世界を挑発している北朝鮮が、日本に対して「核で沈める」と威嚇したことに対して、菅官房長官は「きわめて挑発的な内容で言語道断だ」と、その発言を厳しく批判しました。
さらに、少し前では橋下元大阪府知事が従軍慰安婦は必要だった、という発言をしたことに対して、米国務省のサキ報道官が、その発言は「言語道断で不快だ」と非難しています。
口は災いの元・・・、なんて言いますけど、言語道断とまで言われるような発言をしないように気を付けたいものですね。
言語道断な行い
さらに、普通のモラルから考えるとありえないような行動について「言語道断な行い」というように表現されることもあります。
例えば、またまた北朝鮮の核問題ですが、最近の北朝鮮はいつミサイルを発射するかわからなくなってきましたよね。
そのような状況の中で、安倍晋三首相は英国のメイ首相と会談しました。
その時に、北朝鮮からの中距離弾道ミサイル発射についての共同声明を発表しました。
その内容は、「言語道断の挑発行動だ」というものです。
つまり、日本と英国は北朝鮮の行動をもっとも強い表現を使て非難したわけですね。
「言語道断の行い」という表現は、その何らかの行動を非難する際に使えるもっとも強い表現ということができるでしょう。
️言語道断なシチュエーション
「言語道断」というのは、程度がきわめて高いひどいことを表す表現としてよく使えるようですね。
「言語道断な発言」とか「言語道断な行動」、さらに「言語道断で許されない」という表現に見られるように、その行為やある事柄について非難する時に、最も強い表現となるんですね。
では、私たちの日常の中で「言語道断だ!」と言いたくなるような、あるいは言われるようなシチュエーションとはいったいどんなことなのでしょうか??
「言語道断で許されない」シチュエーションについて、見てみましょう♪
弱い者いじめ
みなさんは、弱い者いじめを見てどう感じますか?
相手が自分よりも弱いということをわかっていて、相手をイジメる人というのは、本当に心がすさんでいて、許せない!と感じるのではないでしょうか?
単に、力が弱いということだけでなく、社会的な立場や境遇が自分よりも劣っているということを見て、その人をもっと苦しめるような人は、人として本当に弱く、自分に自信がないだけだったり、他の人から助けてもらって生きていることを忘れているのかもしれません。
弱い者いじめをする人は、動物の世界だって弱肉強食だというかもしれませんが、動物たちは生きるためにそのような構図の中にいるのです。
しかし、人間はお互いを思いやったり、お互いに支えながら生きることができる、人権を尊重し考えることのできる生き物ではないでしょうか?
もちろん、社会的立場でいえば弱い立場、そして強い立場の人がいることで社会が成り立っているわけですし、その中で常に競争が行われているのです。
しかし、そのような生きるための競争と、ただ単に弱い人を楽しみや自分の欲求不満のためにいじめる、というのは本当に正当化できることなのでしょうか?