『無』という漢字が頭についている言葉なだけに、『無頓着』という言葉の意味をはっきりとは知らないという人でも、あまり良いイメージは持っていないのではないでしょうか。

自分では意識していないところで、知らず知らずのうちに無頓着になっていませんか?

あなたは無頓着な人?

あなたは、無頓着な人でしょうか? 

人から「あなたって無頓着な人だね」なんて言われた経験がありますか? 

そう言われたけれど自分ではそうは思っていない、なんていう人こそ、『無頓着な人』なのかもしれません。

無頓着って何?


無頓着って言葉ではよく言うけれど、具体的にはどんな意味で、どんな時に使う言葉なのでしょうか。

順を追ってご説明していきます。

意味

無頓着とは、頓着に『無』という漢字がついた非定型です。

『無頓着』の他、『頓着無い』『頓着しない』といった使い方もします。

では『頓着』とはどういう意味なのかというと、物事にとらわれること、執着すること、といった意味になります。

『頓着』とは昔は『貪着』『貪著』といった漢字で表記することが多かったんです。

『貪』という漢字には、求めても求めても満足しないことという意味合いがあります。

『着』『著』には、執着するという意味があるのです。

合わせて、求めて執着するという意味です。

『無貪著(むとんじゃく)』という言葉は読み方も違いますし、意味も今とは少し違っていました。

「貪り求めること。

 貪りに執着すること」です。

強欲に何かを求めることをしない人というと、落ち着いた感じでむしろ良いことのように思えますよね。

修行している人にとっての悟りの境地であったとも言われています。

これがだんだんと『頓着』という表記が使用される局面が増えていき、『こだわる』『気にする』『心配する』『懸念する』というような、広い意味で用いられる言葉になっていきました。

無頓着というと、どちらかというとマイナスイメージで使われることの方が多いのではないでしょうか。

気にしない、心配しない、執着しないという意味だとあまり悪い意味には聞こえませんが、場合によっては良くない意味に用いられることもありそうですね。

また、こだわりがないと言われると、自分の意見や好みがなにもない人のように思われているようにも感じてしまいます。

使い方


では、具体的な『無頓着』という言葉の使い方をご紹介していきます。

例1

居間に脱ぎ散らかしたお父さんの洋服を拾いながら、お母さんがひとこと。

「あの人はまったく無頓着な人だ」。

この場合は、気を使わない、周りのことを気にしない人だ、という意味で、お母さんの心情からいうとネガティブな意味で使っているということになりますね。

もっと周りに気を使って欲しい、更に具体的に言うなら、お母さんのことも考えて、子どもじゃないのだから脱いだ服は自分で洗濯機に入れるぐらいはしてほしい、といったところでしょうか。

例2

「彼女はファッションに無頓着だ」。

同性同士のお出掛けだからといっても、ファッションに手を抜かない女の子たち。

むしろ同性同士だと、男の子と出かけるときよりもおしゃれに気合がはいる、なんていう人もいるようです。

そんなおしゃれ大好きな女の子たちの中にあって、ひとりファッションを気にしない女の子。

最新のおしゃれやブランドには興味がありませんし、髪の毛がハネていても気になりません。

「別に死ぬわけじゃないし」というくらいの感覚です。

そんな彼女に対して、周りのオシャレな子たちは「無頓着だ」と思っているかもしれないですね。

無頓着と無関心の違い

『無関心』とは、関心が無いことです。

興味を持たない様子のことを表します。

無頓着と似ているように感じますよね。

無関心は、何か物事に対して干渉しようという気がありません。

興味がない、関心がないという状態です。

無頓着だと、興味がないというよりこだわりがない、好きにすればいい、という感じです。

でも、あまり違いは感じないですよね。

無頓着になりがちなもの

無頓着になりがちなものには、一体どんなものがあるのでしょうか。

自分ではあまり意識していない、無意識にしているところが無頓着になっているのが多そうです。

ファッション

ファッションに無頓着な人。

イメージとしては、男性に多いでしょうか。

中には、わざとファッションには無関心を装っている人もいるかもしれません。

あまり服装や身なりをきにするのは女々しい、と考えている男性も一定数以上いるようです。

ファッションにこだわりがある人の中でも、ブランド物をそろえたり洋服や靴、カバンなどのアイテムの数を洋服だんすに入り切らないくらいそろえたりしたいタイプのおしゃれさんは、かなりお金がかかってしまいそう。

ファッションに無頓着な人はファッションに浪費しないということだ、という好意的な見方もあるようですね。

自分にはセンスがないから、と思い込んでいて、何を着ても一緒だから無頓着になってしまう、という人もいるかもしれません。

何を着たら良いのか考えるのも、服を買いに行くのも朝鏡の前で迷うのも全部が面倒くさい!という人もいるでしょうね。

こだわりがもてない、もつ必要を感じられないので、無頓着になってしまうのです。

体型

体型に頓着しない人。

多くの場合、標準体重よりも太っていることを指すと思われます。

自分の体型を気にしない。

体型を気にするより、他にもっと大事だと思っていることがあるのでしょう。

たとえ太ってもおいしいものを食べるのが大事だったり、運動をする時間があったら別の趣味の時間にあてたいと考えていたり。

太っていても、反対に痩せていても、自分の体型に頓着しないということは、体型が重要なことだと認識していないということなのです。

周りの目も気にならないことが多い無頓着な人としては、周りに比べて自分の体型がどうであれ、自分自身が気にならない限り、気にならない、特に問題のないことになります。

食生活

食生活に無頓着な人というのは意外と多いのではないでしょうか。

特に忙しくて生活サイクルが不規則だったり、一人暮らしをしていたりする人は無頓着になりがちです。

栄養がとれればいい、と思ってサプリしか飲まないタイプや、お腹がふくれたらそれでいい、とご飯にふりかけだけで十分、というタイプもいます。

もちろん時にはそうした食事にして、仕事の時間や睡眠時間などもっとほかのことを優先させるのも良いですが、これが常態化してしまうと身体にはよく無さそうです。

今まで『本当においしいもの』を食べたことがないから、食事に興味が持てないという話も聞かれますね。

食事なんて大しておいしくないから、どれを食べたって同じだ、と思ってしまうと、何を食べるかには頓着せずにもっと別のこと、たとえば「食後の皿洗いが面倒だからそれが発生しない食事にしたい」とか、「今月はお金がないからコストのかからない食事にしたい」といったことを重要視するのです。

健康

上記の食生活の項目と少し似ていますが、健康を気にしないというタイプ。

食事に無頓着だと、健康にも無頓着なのではないでしょうか。

お腹がふくれたらいいからお菓子でご飯を済ませてしまう。

なぜなら手軽に買えるし食べやすいし、値段も安いから。

なんていう考え方の人は、食生活も健康も無頓着だと言えるでしょう。

カップ麺ばかりたべたり、炭酸飲料をたくさん飲んだり。

自分の欲求に正直だとも言えるのかもしれません。

こうなってくると、体型に無頓着という項目ともかぶってきますよね。

最近では『健康おたく』などという言葉もでてきて、健康のためにいろいろ調べていれこむ人も増えていますが、近代に入ってから健康が二の次三の次になってしまい、仕事などを優先し過ぎた反動と言えるでしょう。

現代のように医療技術が発達していなかった時代は、たとえ虫歯や風邪でも命を落としかねませんでした。

となれば、健康の優先順位も高かったのも頷けますよね。

思い返してみれば、お寺や神社などで健康祈願や健康お守りなどが重用されています。

今はすぐに死につながるわけではないからといってつい病気を軽視してしまい、健康に対する優先順位がかなり下位になってきています。

健康より優先すべきことがたくさんあるのですね。

健康に無頓着なのは、現代人全体に言えることかもしれません。

人間に対して無頓着。

本人はそのつもりがなくても、こだわりがなくて周りに注意をはらわないせいで、周りの人はないがしろにされたと感じていたり、迷惑していたりすることも考えられます。

気を使わないので、たとえば水族館で水槽の前に立って見ている人がいて、その人の前も後ろも人ひとりぶん通れるくらいのスペースがあいているとします。

気を使う人なら、せっかく見ている人の前をわざわざ通って視界をさえぎってしまうよりも、後ろを通ることを選ぶでしょう。

でも、頓着しない人というのは単純になんとなく、だったり、そっちの方が少し自分の位置から近かったから、という理由だけで人の前を通って邪魔をしてしまうのです。

観光地の有名な神社で、参道のど真ん中に陣取って三脚を立てて写真を撮ったり、吊り橋で「怖い!」と大騒ぎしながらそれでいて興奮のあまり飛び跳ねて吊橋を揺らしてみたり、狭い通路で自撮り棒を振り回して通行の邪魔をしたり人にぶつけたり、というのも、人に対して無頓着でいるから起こることです。

自己中心的とも言えます。

自分たちのことしか考えておらず、他の人への配慮が欠けている、もしくは全くないという状態ですね。

これも現代人全体にこの傾向があると言えるかもしれません。

特に都会に住んでいる人は、人が多すぎるために人への配慮がなくなってきています。

人が多すぎるから、いちいち頓着していられない。

知っている人にだけ頓着すれば良い。

という発想が深層心理であるのかもしれません。

満員電車の中なのにリュックをおろさなかったり、ドアの前や両脇に陣取ってドアが開いてもおりずに乗り降りする人たちの邪魔をしたり、というのは、残念ながら都会ではよく見られる光景です。

電車の中で食べ物を食べたり、化粧をしたりというのもそうですね。

無頓着になってしまう10個の特徴

それでは、悪い意味での無頓着な人というのは、どんな特徴があるのでしょうか。

最後までやり遂げない

物事に頓着しないあまりに、着手したことを途中で放り投げてしまうというケースが見られます。

こだわりや執着心がないので、途中でやめても気になりません。

「責任感を持って最後までやり遂げよう」という強い意思が無いと、最後までやらずに「まぁいいか」とやめてしまうのです。

更に良くないことには、本人には悪気はないので、怒られたり注意されたりしても直らないことが多いです。

人から促されて、放置しておいた案件に着手しても、数日たつと「まぁいいか」となったり忘れたりしてやらなくなってしまうのです。

何でも雑に行う

こだわりがない分、作業が雑になることがあります。

これも悪気があってわざと雑にやっているわけではないのですが、「まぁいいか」となってしまい丁寧に最後まで作業をするということができない傾向にあるのです。

掃除機をかけているときも、あと一部屋で全部かけ終わるのに「まぁいいか」と途中でやめてしまったり、こだわってきちんとかけようという気がないのでノズルをつけかえて部屋の角まできちんと掃除しようと思わなかったりします。

掃除はしたんだからいいじゃないか、という感じなので、「角に埃が残ってるよ!」と言われても、別にいいじゃないか、という感覚なのです。

だらしないと思われるかもしれませんが、無頓着な人からしたら、普段生活する上で影響がない部屋の角が汚れているくらいどうでもいいことなので、それを気にする人の方が細かい、と感じてしまいます。

その分、他の人が角を掃除しなくても気にしません。

自分はやらないのに人には求めるというタイプよりは良いですが、気になる人にとっては気になって一緒に暮らすのは大変そうですね。

誰とでも付き合える

こだわりが無いだけに、友達にもなにかを求めるということが少ないです。

自分はこうだけれど相手はそうじゃない、という局面でも、別に気になりません。

だからこそ、誰とでもある程度仲良く付き合えるというのは良い点と言えるでしょう。

たとえば会社で派閥争いがあって雰囲気が悪くなっていてもあまり気になりません。

自分の気持ちがのってさえいれば誰とでも楽しくできます。

我が道を行くという感じでしょうか。

ちょっと猫みたいな性格とも言えるかもしれませんね。

他人の気持ちに鈍感

頓着しないから誰とでも付き合える反面、頓着しないからこそ誰とも仲良くできないという面もあります。

なぜなら、他人の気持ちをあまり気にしないからです。

自分の気持ちが判断基準で他のことにこだわりがないので、気乗りがしなければ前から友達と約束していたことでもドタキャンしてしまうことすらあります。

ルーズな面があって、お金の管理がきちんとできていないという人も。

借りたお金を悪気はないのになかなか返さなかったり、反対にお金を貸したはいいけどまったく返してもらえなかったりということもあります。

身なりなんてかまわない

ファッションにあまり頓着をしないというパターンもあります。

こだわりがないので好きなブランドや好きな格好というものがあまりありません。

おしゃれにこだわらないのはまだしも、髪がぼさぼさでも眉毛がのびっぱなしでも気にならないというケースとなると身だしなみの範疇になってきますよね。

爪をきちんと切らなかったり、お風呂もあまり入らなかったりとなると、不潔でもありますし見た目がだらしなく見えてしまいます。

他人の目が気にならないということなので、本人としてはそれでたとえ周囲の人に眉をひそめられようとも特に気になりません。

自分の好きな格好をすれば良いのですから別に寝癖がついていようがアイロンのかかっていない服を着ていようが問題ないのですが、汚い、臭う、というレベルになってくるとちょっと考えものです。

部屋や持ち物にこだわりがない

部屋や持ち物にこだわりがないので、部屋のインテリアなどにも気を遣いません。

そのとき必要なもの、目の前にあったものをぱぱっと買ってしまうだけなので、インテリアの統一感がなくばらばらなことも多いです。

きっちり収納しておきたい、と考えるタイプがあまり多くはなく、きちんと棚にしまうよりも、棚すらなく床の上にいろんなものを放り出しておくという人もいるでしょう。

他人の目からは乱雑に見えても自分では物のある場所を把握してそこに置いてあるつもりなので、下手に人が片付けてくれるとどこに物があるのかわからなくなってしまってとても混乱してしまいます。

こだわりの筆記用具、こだわりのカバン、なども持っていないことが多く、手回り品にもとても無頓着。

カバンの中に使えれば良い、どこかでもらったボールペンをぽいっと放り込んでおくような感じです。

「社会人なのだからお客様の前でくらいもっときちんとしたペンを使ったら?」と同僚に言われても、書ければいいしこれで不自由していないのになんで?と思ってしまいます。

他人の目を気にしない

他人の目を気にしないというのは、良いことでもありますし、悪いことでもあります。

バランス良くできていれば一番良いのですが、気にしすぎても気にしなさすぎても、どちらかに偏ってしまうとやはり良くないですよね。

本当はやりたいことなのに、「子どもじゃないのにいい歳してなにやってんだって思われないかな」「女のくせにちっとも女らしくないって言われないかな」と周りの目を気にして、やりたいことができないというのは残念なことです。

迷惑をかけるような行為でなければ、他人の目は気にせずやりたいことをやった方が人生楽しいはず。

しかしながら他人の目を気にしなさすぎて、非常識な行動をしたり、他人に迷惑をかけたりする結果になってしまっては、いくら自分がやりたいことをやるためだとしても良くないですよね。

どうせやるならお互いに気持ちよくできるように心がけるべきです。

たとえば、ピンク色が好きな男の人がいるとします。

周りの人は「ピンク色は女の子の色だよ」「男のくせにピンクが好きなの」なんて言ってくるかもしれません。

それを気にして、「ピンク色は嫌いだよ」とか「ブルーの方が好きだよ」と嘘をついていては、自分にも嘘をつくことになってしまいます。

他人の目は気にせず、堂々とピンクが好きだと言って良いし、ピンク色の洋服を着ても良いでしょう。

でも、会社の取引先の方が亡くなってお葬式に行かなければならないという場面でも、「自分はピンクが好きだから」と言ってピンクのスーツを着て行ってしまったらどうでしょうか。

相手の方との信頼感があって、敢えてピンクのスーツを着ることこそが弔いの気持ちを表現することになるなど、特別な理由がある場合を除いては控えるべきでしょう。

他の出席者のことも考えるべきですし、それができないということは、悪い意味で他人の目を気にしない、頓着しない人である、ということになってしまいます。

おおらか

おおらかとは、漢字では『大らか』『多らか』と書きます。

人柄がゆったりしていて、細かいことにとらわれないという意味です。

無頓着のもともとの言葉の意味と同じで、本来は「おおらかな人」「おおらかな性格」といった感じで良いこととして使われていた言葉です。

ものが多い、というときにも使われます。

細かいことは気にしないおおらかな性格だと、基本的に穏やかですぐ怒ったり嫌なことがあっていつまでも引きずったりということはあまりしません。

常に心にゆとりがあるので、なにかトラブルが起きても「起きてしまったものはしかたない」という考え方でいます。

トラブルを起こした人に対して怒ったり、周りの人に八つ当たりをしたり、ということもありません。

感情に左右されにくいので、物事を客観的に見て冷静な判断を下すことが得意です。

しかしながら、これまた無頓着と同じで、最近では『おおらか』という言葉には必ずしも良いイメージがついている、というわけではありません。

言い換えるなら雑、気遣いができないというような意味合いで使われることが多いようです。

自分がおおらかでいられる分、周りの人たちはストレスを受けているというケースも考えられます。

物事をあまり気にしない本人を見ている周囲の人たちの方がはらはらしたり、「こんなことを気にしないなんて、なんて無神経な人なんだろう」と思ったりしてしまいます。

基本的には「おおらか」は、「お客様は神様です」の言葉がおもてなしする側が言う言葉であって、客側が自分で言う言葉ではないのと同じ。

自分で「わたしはおおらかなんです」という場合は、それはおおらかではなく非常識なだけなのではないか、と疑った方が良いでしょう。

毎度忘れ物をしても多少遅刻をしても、自分は『おおらか』だから気にならない。

なんていう場合は、本人が気がついていないところで、忘れ物を届けさせられる近所に住む友達や、「おねえちゃんがしっかして忘れ物がないように面倒みてあげなさい」とお母さんに叱られるおねえちゃんや、遅刻されたせいで待たされて自分まで巻き添えで遅刻してしまう集団登校の同じ班の子がいるかもしれません。

【おおらかについては、こちらの記事もチェック!】

ストレスフリー

ストレスを感じるときというと、連想するのは人間関係や仕事上のストレスが多いのではないでしょうか。

でも実はストレスというのは、どんなときでもたまっていくものなのです。

嫌なことをされたときだけでなく、楽しいときにもたまってしまうって知っていましたか?
興奮や不愉快な気持ちなど、なにかしらの影響があれば必ずストレスはたまっていくのです。

自分のしたいことだけしていれば疲れないか、というと、そういうわけではないのですね。

毎日遊び歩いていたら身体が疲れてぐっすり眠ってしまうでしょう。

精神疲労にも同じことが言えるのです。

そして、とても些細なことでもストレスは感じます。

たとえば居酒屋さんにいるとして、注文の品が運ばれてくるまでの間タバコを吸おうとします。

テーブルの上に灰皿が見当たりません。

ここでストレスを感じます。

お店の人を呼んで灰皿が欲しいと頼みましたが、忙しいのか忘れられているのかなかなか持ってきてもらえません。

ここでもストレスを感じます。

店員さんを再度呼んで頼むときにもストレス。

持ってきてもらってタバコが吸えそうだ、と思った時には、ストレス値は下がっていきます。

でも手に取ったライターがなかなかつかないと、またぐんとストレス値が上がっていくのです。

たったそんなことで? と思うような本当に小さなことでも、ストレスはたまっていきます。

無頓着な人がストレスフリーというのは、ストレスをためにくく、発散しやすいからなのです。

他人の目が気にならないし、周りの人に気を使わなくてはならない、という感覚もなく自分本位で好きに行動をしていれば、ストレスはたまりにくいです。

マイペースに過ごしていると、なにかの影響を受けることが少ないので、ストレスは蓄積しづらく、そうしておだやかに過ごしていればストレスは発散され解消されていきます。

猫と犬の寿命を比べると、猫の方が寿命が長いというのと似ているかもしれませんね。

犬は群れで生きる動物なので周囲の目を気にしますが、猫は基本的には自由に生きています。

周囲に対して無頓着であると言えるでしょう。

空気を読まない

空気を読めないではなく、読『ま』ないというところがポイントです。

『空気を読む』という言葉は、その場の雰囲気や状況を見て、自分が何をするべきか、何をしないべきかなどを推察するという意味です。

雰囲気を『場の空気』と表現することがありますね。

空気を察して周りの人たちとコミュニケーションを取ることが重要視されています。

空気が読めないをローマ字表記にして、空気と読めないのイニシャルをとった『KY』という言葉が流行したこともあります。

「KYなやつ」「おまえ空気読めよ!」なんてセリフがよく聞かれました。

これは場の空気を読むことが当然とされているということになります。

実地経験を積み重ねることで習得可能な、社会で生きる上での技術だという認識です。

『空気』の中には相手の顔色も含まれ、空気が読める人はその集団で評価が高くなりやすいのです。

空気が読めない人は相手の顔をよく見ていなかったり、自分では空気を読んだつもりでとんちんかんなことをしていたりします。

空気を読んでいる人は、たとえ失敗しても相手の顔色を見てすぐに軌道修正ができるのでおおごとにはなりにくいです。

ただこの空気を読むのも読みすぎるのは考えもの。

さきほど相手の顔色、という言葉がありましたが、『顔色を窺う』というのはちょっとネガティブなイメージもつきまとう言葉です。

相手の態度次第で自分の言動を変えてしまい、強い人に媚びへつらうようなイメージもあるのではないでしょうか。

また、たとえば建物の中で非常ベルのサイレンが鳴り響いているのに、お互いが空気を読み合って、騒ぎ出さないのが正解だと読み取ってきっと防災訓練かなにかの間違いだろう、と思っていたら実は本当に火事が起きていた、なんていうこともありえます。

修学旅行でグループ行動をしていて、「アイス食べたい」グループのリーダー格の子が言い出し、自分はそんなことよりお寺を見に行きたいのに空気を読んで「アイスいいね」といってしまう、なんて経験がある方もいらっしゃるのではないでしょうか? 

空気を読めない人なら、「別にわたしアイス食べたくない」といってしまうかもしれません。

空気を読めないのですから、単に「わたしはアイス食べたい」という言葉を聞いて、それに対する感想を述べているだけ、ということになります。

空気を読まない人ならどうでしょうか。

「アイスも良いけれどわたしはお寺も見に来たい。

両方行っていると時間がなくなってしまうから、別行動をとってもいいかな?」と、アイスに行こうという雰囲気になっている場所でもひるまずに自分の希望を伝えるでしょう。

それを聞いて実はお寺に行きたかった子が、便乗してお寺に行くことができるかもしれませんし、「わたしは神社にいきたい」という子が出て来るかもしれません。

とは言え、それでグループがばらばらになってしまったり、多数決でアイスの案がなくなり、リーダーの子が不機嫌になってしまったり、ということも考えられるので諸刃の剣です。

それでも無頓着な人は、空気が悪くなっても気にしないですし、お寺に行きたいのに言い出せなかった子からは内心感謝されるでしょう。

無頓着な人の基本的な性格

コミュニケーション不足

無頓着な人というのは、他人に興味がない、関心がない状態です。

興味がなければ必要性も感じないので、自然と他人とコミュニケーションを自発的に取ろうとすることが少なくなります。

自分から話しかけることがあまり無いですし、相手から話しかけられてもうまく相槌を打ったり、なにげない話題を出すということが苦手です。

我が強い

無頓着なのでこだわりがないのだから、我も強くないのでは? 

と思うかもしれませんが、実は無頓着だからこそ、他人に合わせる必要性を感じていないので結果的に我が強く見えてしまうのです。

周りに合わせることを考えていないので、自分のやりたいこと、思ったことをしてしまいます。

それが、自分のわがままを突き通しているように見えるというわけです。

自分の世界を持っている

周りの人に頓着しない分、自分の時間を自分だけに注ぎます。

自分が興味のあることにならこだわりが持てるという人なら、自分だけの世界を持っているのです。

こういった人は、興味のあることとないことの線引きが非常にはっきりしています。

自分が興味のあることに対しては積極的に動いていきますが、興味がないことにはまったく反応をしないのです。

傍からは一貫していない態度に見えることもあるかもしれません。

趣味など自分の世界に没頭し、その世界に関しては一家言ある、というような、のめりこみややりこみをするタイプの人が多いようです。