CoCoSiA(ココシア)

無頓着になってしまうことの10個の特徴(続き6)

ここでストレスを感じます。

お店の人を呼んで灰皿が欲しいと頼みましたが、忙しいのか忘れられているのかなかなか持ってきてもらえません。

ここでもストレスを感じます。

店員さんを再度呼んで頼むときにもストレス。

持ってきてもらってタバコが吸えそうだ、と思った時には、ストレス値は下がっていきます。

でも手に取ったライターがなかなかつかないと、またぐんとストレス値が上がっていくのです。

たったそんなことで? と思うような本当に小さなことでも、ストレスはたまっていきます。

無頓着な人がストレスフリーというのは、ストレスをためにくく、発散しやすいからなのです。

他人の目が気にならないし、周りの人に気を使わなくてはならない、という感覚もなく自分本位で好きに行動をしていれば、ストレスはたまりにくいです。

マイペースに過ごしていると、なにかの影響を受けることが少ないので、ストレスは蓄積しづらく、そうしておだやかに過ごしていればストレスは発散され解消されていきます。

猫と犬の寿命を比べると、猫の方が寿命が長いというのと似ているかもしれませんね。

犬は群れで生きる動物なので周囲の目を気にしますが、猫は基本的には自由に生きています。

周囲に対して無頓着であると言えるでしょう。

空気を読まない

空気を読めないではなく、読『ま』ないというところがポイントです。

『空気を読む』という言葉は、その場の雰囲気や状況を見て、自分が何をするべきか、何をしないべきかなどを推察するという意味です。

雰囲気を『場の空気』と表現することがありますね。

空気を察して周りの人たちとコミュニケーションを取ることが重要視されています。

空気が読めないをローマ字表記にして、空気と読めないのイニシャルをとった『KY』という言葉が流行したこともあります。

「KYなやつ」「おまえ空気読めよ!」なんてセリフがよく聞かれました。

これは場の空気を読むことが当然とされているということになります。

実地経験を積み重ねることで習得可能な、社会で生きる上での技術だという認識です。

『空気』の中には相手の顔色も含まれ、空気が読める人はその集団で評価が高くなりやすいのです。

空気が読めない人は相手の顔をよく見ていなかったり、自分では空気を読んだつもりでとんちんかんなことをしていたりします。

空気を読んでいる人は、たとえ失敗しても相手の顔色を見てすぐに軌道修正ができるのでおおごとにはなりにくいです。

ただこの空気を読むのも読みすぎるのは考えもの。

さきほど相手の顔色、という言葉がありましたが、『顔色を窺う』というのはちょっとネガティブなイメージもつきまとう言葉です。

相手の態度次第で自分の言動を変えてしまい、強い人に媚びへつらうようなイメージもあるのではないでしょうか。

また、たとえば建物の中で非常ベルのサイレンが鳴り響いているのに、お互いが空気を読み合って、騒ぎ出さないのが正解だと読み取ってきっと防災訓練かなにかの間違いだろう、と思っていたら実は本当に火事が起きていた、なんていうこともありえます。

修学旅行でグループ行動をしていて、「アイス食べたい」グループのリーダー格の子が言い出し、自分はそんなことよりお寺を見に行きたいのに空気を読んで「アイスいいね」といってしまう、なんて経験がある方もいらっしゃるのではないでしょうか? 

空気を読めない人なら、「別にわたしアイス食べたくない」といってしまうかもしれません。

空気を読めないのですから、単に「わたしはアイス食べたい」という言葉を聞いて、それに対する感想を述べているだけ、ということになります。

空気を読まない人ならどうでしょうか。

「アイスも良いけれどわたしはお寺も見に来たい。

両方行っていると時間がなくなってしまうから、別行動をとってもいいかな?」と、アイスに行こうという雰囲気になっている場所でもひるまずに自分の希望を伝えるでしょう。

それを聞いて実はお寺に行きたかった子が、便乗してお寺に行くことができるかもしれませんし、「わたしは神社にいきたい」という子が出て来るかもしれません。

とは言え、それでグループがばらばらになってしまったり、多数決でアイスの案がなくなり、リーダーの子が不機嫌になってしまったり、ということも考えられるので諸刃の剣です。

それでも無頓着な人は、空気が悪くなっても気にしないですし、お寺に行きたいのに言い出せなかった子からは内心感謝されるでしょう。

無頓着な人の基本的な性格

コミュニケーション不足

無頓着な人というのは、他人に興味がない、関心がない状態です。