そんな時には、「そういうことなら、致し方ない」と、気持ちが乗らないことも取り組むでしょう。
だって、もう「致し方ない」のですから。
さらに、何かの物事に対して改善策を模索しているとしましょう。
必死になって、もっと良い方法や良い手はないかと探し回ります。
しかし、それを見つけることはできませんでした。
そんなときにも、”諦め”が必要でしょう。
人生には、どうしても諦めなくてはいけない時というのがあるんですよね・・・。
それは、”致し方のない時”という時ですね!
妥協するとき
妥協するときも、「致し方ない」を使えるシチュエーションですね。
妥協というのは、相手に歩みよって、譲ることによって意見をまとめるということです。
2人、あるいはそれ以上の立場や意見を持つ人が関係しているとき、みんなが納得し完全に満足するような方法というのはなかなか見つけることはできないでしょう。
お互いに、自分の意見や要望の一部を受け入れてもらったら、他は譲って相手の意見や要望を受け入れる、という妥協が必要になります。
夫婦が円満に生活するときにも、自分の主張ばかりをしていてはうまくいかないし、それは国際問題についての解決策を考える国同士の会合においてもそうです。
利害対立が激しいとしても、交渉の結果妥協案をまとめるということが日常です。
お互いが妥協することによって、意見をまとめるのです。
そのような「妥協する」ときというのは、「致し方ない」ときでもあるでしょう。
別の方法がないので、「致し方なく」◯◯の方向性で物事を進める、あるいは今ある状況を受け入れる、というときがあります。
完全に納得できていたり、満足できていないとしても、妥協しないとまとまらないんだから、しょうがなく妥協案を受けいれるというときは、家庭でも仕事でも結構ありますよね。
後で、部下とか周りの人に文句を言われても「致し方なかったんだ!」と言うしかありません。
八方ふさがりなとき
八方ふさがりで、打つ手がない時もあります。
八方ふさがりとは、陰陽道という中国伝来の方術からきている言葉のようです。
その方術では、陰陽五行説というものに基づいて、吉凶を占っていました。
日本でも陰陽道は平安時代に全盛を極め、陰陽寮というものもあったそうです。
その陰陽道で、どの方向に向かったとしても不吉だ、という結果が出た時に「八方塞がり」と言われたそうです。
八方というのは、東西南北と北東、北西、南東、南西の八つの方角です。
これは全方向ですよね。
だから、どの方向に進んだって、何かしらの差し障りがあるので、もうどうしようもないね、という状況です。
打つ手がなくなった、ということは迫りくる何かしらの事態から、逃げることも避けることもできないわけですね。
そんなどうしようもない状況では「致し方ない」ということもたくさんあるでしょう。
良い手がないとき
「なんか良い手はないのか!」と必死に探すときもありますよね。
それは仕事を成功させるための手かもしれませんし、なにかの悪い状況を切り抜けるための方法を探しているときかもしれません。
でも、良い手が見つからず、時間のタイムリミットができてしまったときには「致し方なく」、ある手を打つしかないこともあります。
ここでいう「手」というのは、事を行うための手段や方法のことです。
良い手が思い浮かばず、「致し方なく」汚い手を使ったことはありませんか?
どうにもこうにもやむを得ないときには、汚い手を使ったりあるいはあきらめるということもありますね。