みなさんは、「経験則」っている言葉を知っていますか?

もしかしたら、「俺の経験則からすると・・・」とか、「私は、経験則上行したほうが良いと思います」というように、あなたの周りでも、経験則で物事をよく語る人がいるかもしれません。

ビジネスシーンでもよく使われる言葉です。

でも、経験則っていったいなんなんでしょうか?

それって、あてになるんでしょうか??

今回は、「経験則」という言葉の意味や、正しい使い方について調べていきたいと思います。

️経験則ってどういうこと?

とあるビジネスマンが、「経験則上〇〇すると、相手の信頼を得られる」と教えてくれたり、さらには「経験則として親世代の人には、〜をアピールするといい」というように、「経験則」という言葉を使う事があります。

しかし、「経験則」という言葉が聞きなれない人からすると、「経験則」と言われてもいまいちピンときませんよね!?

どういう意味?って思った方もいるかもしれません。

聞いたことある?経験則


どちらかというと、普段の友だちとの会話などで「経験則」という言葉を使っている人はあまりいないかもしれず、ビジネスシーンでよく使われる言葉という事もできるでしょう。

皆さんの周りではどうですか?

仕事場で、先輩や上司が「経験則」という言葉を使っているのを耳にしたことがあるでしょうか?

あるいは、友だちが最近やたら「経験則から言うと・・・」と言うようになったんだけど、という人もいるかもしれませんね。

職場の仲間、あるいは友人や恋人が口癖として使う言い回しだとしても、意味がわからないと聞いているこちらも、ちょっと話がピンと来ないし、「経験則って何ですか?」なんて聞けないので、こっそり意味を調べたいところですね。

さらに、いずれビジネスシーンなどで自分も使いたいと思っているなら、正しい意味と使い方をチェックしておいて、カッコよく自然に使いたいですね!

️経験則の意味

「経験則」という言葉を耳にしたことがない、という方からするとちょっと難しそうな言葉に聞こえますよね。

しかし、漢字を見れば、主に「経験」が関係している事はだれでもわかるでしょう。

では、どんな意味なんでしょうか?
いくつかの辞書を比較しながら調べていきたいと思います。

経験則とは法則のこと


まず、「経験則」というのは一つの法則です。

「法則」とは、守らなければならないとされている決まりや規則、おきてを意味指定舞う。

さらに、一定の条件下で成り立つ事物の間の必然的な関係を意味しているようです。

「経験則」の「則」で表される「法則」の場合、特に後者の一定の条件下で成り立つ事物の間の必然的な関係や、それを言い表したものを意味しています。

例えば、「自然の法則」とか、「遺伝の法則」という言い方がありますね。

ある条件のもとでは、必ずこうなると決まっている事、さらには相互関係というものがこの世界にはたくさん存在します。

わたしたちは当たり前のこととして、「自然の法則」の中で暮らしていて、重力の法則につて解明されていないときから、高いところから飛び降りえば下に落ち、ケガをすることを知っているのです。

そのようにな法則の一つに「経験則」というものがあるわけです。

ちなみになのですが、守らなければいけない掟や規則などを意味する「則」という漢字は、「貝」と「刀」を表す部首のりっとうで成り立っていますよね。

貝はもともと食物をいれていた器を表していたようです。

そして、そこに刀つまりナイフを添えて、それがセットになっていて、いつもそばに寄り添っていて離れてはいけない道理とか、手本とか基準というものを指す漢字となったようです。

なかなか、おもしろい由来ですね。

実際に経験したことから見出される法則

法則の一つである「経験則」ですが、つまりは日常の経験から見出された法則という事になります。

実際に、自分が経験したこと、見聞きしたこと、起きたことなどから事物の因果関係や性状についてわかったことに基づく法則なのです。

つまり、自分もしくはだれかの経験上から導き出された法則であるということですね。

経験上こうすれば良くなるという考え方

「経験則」という言葉を今まで知らなかった人も、日常の中で経験上理解している事がアレコレあるのではないでしょうか?

「経験上、こうゆう雰囲気のときの妻には、うかつに話しかけない方がいい」とか、「経験上、こうゆうときには黙っているのが一番」などです。

ありますよね!?

つまり、経験上こうすれば良くなる、という考え方こそが「経験則」なのです。

色々とやってみて、なんとなくうまくいく方法が分かってきたという事はきっと多いのではないでしょうか?

物事のすべてが、何か証明されているわけでもなく、ケースバイケースだったり、やってみないことにはどうすべきかがよくわからないことってたくさんあります。

証明されていないけど正しい事がわかっている事実とかもありますよね。

人が経験から学んだ知識に基づいた法則が「経験則」なんですね。

過去の経験に基づいている

「経験」というのは、実際に見たり、聞いたり、行ってみたときに初めて得られるものです。

よく「人生経験が豊富」な人ほど賢い、と言われますよね。

どうしてでしょうか?

その人は、過去の経験から色々と学んできからです。

さらに、仕事でもいろいろな部署を経験質得る人は、いろいろな仕事内容を実際にこなしてきて、そこで見たり、聞いたり、行ってきたことが知識となり、より広い観点で物事をみたり、物事の相互関係をより深く把握して仕事ができるようになります。

そのように、人は過去の自分の経験から学び、より知識を深めていく事ができるのです。

「経験則」というのは、そのような知識に基づいて導き出された法則、事物の因果関係のことです。

パターン化のようなもの

それで例えば、「経験上こうなったときには、次にはこうなるぞ!」って予想がつく時がありますよね。

どうしてそれがわかったのかというと、前にも同じようなパターンが合ったからではないでしょうか?

過去の経験から、予測がつけられたわけです。

なので、「経験則」というのはパターン化のようなものでもあります。

「〇〇が起きたら、次はこうなる」、「この人が〇〇をしたときには、〇〇のサイン」というように、過去の出来事や経験から、ある一定の条件のもとで起こるとされる事物の因果関係を発見したときには、それは「経験則」といえます。

理論的な裏付けはない

つまり、「経験則」にあ、何かの実験とか理論上の裏付けというものはありません。

それは、単に経験からわかったことで、科学的な証拠とか理論的な裏付けを要求されたら困ります。

よく、テレビドラマなどでも長年刑事をしている人が、ある特定の出来事がおきたときに「嫌な予感がする・・・」というとき、若手が「なんでわかるんですか!?」と聞くと、「刑事のカンだよ!」というシーンがありますよね。

「勘」というのは、直感的に何かを感じたり、何かを理解したりする能力ですけど、コレは長年の経験が積み重ねられたゆえに、わかる事です。

いろいろな数多くの経験を経て、ある特定の出来事が起きたときに直感的にあることを判断するわけです。

「勘」というのは直感的なものなので、「経験則」とまるっきり同じとはいえないのかもしれませんが、しかし、「経験則」から導きかれて「勘」が働くという事があるのではないでしょうか?

天気に関する経験則

「経験則」によって人が昔から物事を判断していたことは、夕方の天気を見て明日の天気を予想していたことからわかります。

昔から、きれいな夕日が見えると明日は晴れる、といったもんですよね。

今でこそ、天気予報士さんがいて、気象学的に天気を予測することができましたが、昔にそのような深い知識はなかったわけです。

それでも、明日の天気をある程度予測することができていたのは、毎日の空の観察と経験から導き出された法則があったからなのです。

天気俚諺

天気に関する経験則について、「天気俚諺」というものを知っていますか?

それは、天気や気候などの予測に関する言い伝えについてのことわざなんです。

例えば、「夕焼けは晴れ」というものもそうです。

それは、現在気象学的に証明されている事実と一緒で、天気俚諺は世界各国にあるのですが、正しいことが多いそうです。

天気というのは、昔から人々の暮らしに大きく関係することでした。

わたしたちもそうですけど、明日の天気について知りたいと思いますよね?

昔から、天気に関しては世界中の人が「経験則」に基づいて判断してきたわけです。

例えば、ギリシアのテオフラストスという人は、紀元前300年頃に天気俚諺を200も集めた本を出していたそうです。

さらに、日本でも村上雅房という人が、1456年に天気に関する経験則を30ほどのせた「船行要術」という本を出しています。

村上雅房という人は、瀬戸内海の水軍の頭領をしていたそうです。

海のうえでは特に天候というものは生死を分けるほどの影響を及ぼしたことを考えると、やはり空を読むこと、空や周囲の状況を観察してこれからの天候を予測する事がいかに必要だったかがわかりますね。

今のような気象学がなかった時代にも、世界の人々は空の様子を観察し、そして経験から予測を立てて、経験則として判断してきたことがよくわかりましたね。

裁判官が判決に用いる

さらに、経験則というのは、裁判官が事実を確認するための手段ともなっています。

それは、どういうことかというと、ある事実を証明する直接的な証拠がない場合に、それにかかわる間接事実の証拠を提出し、その事実が確認されることによって経験則上要証事実の存在が推認されるということになります。

それで、直接的な証拠がない場合でも事実として認められることになるのです。

そのような間接事実と主要事実をつなぐのが経験則であり、裁判所で行われる事実認定において、その歴史は積み重ねられてきて、一定の経験則というものができています。

ほとんどの裁判においてその固定された経験則にもとづく認定論にしたがって判決がなされているのです。

それで、間接的事実と通常の経験則に従えば、ある事柄をAと判断し、認定すべきことを、実際にはBと事実認定した場合に、「経験測違反」であると主張される場合があります。

一定の出来事や証拠がある場合には、Aという事実があることが通常である、という判断が経験則ということなのです。

例えば、ある配偶者のいる男性が他の女性とホテルに出入りしている写真が証拠として提出されているとします。

実際にホテルの一室で2人が何をしていたか、ということはわかりません。

直接の証拠は提出されていないということです。

しかし、その男性が不貞を働いたかどうか、ということに関して、一般には不貞行為があったものと判断することができます。

それが、つまり経験則に基づく事実確認なわけです。

しかし、裁判所がそのような一般に推認されるAという事実を認めず、Bを事実認定した場合に、経験則に反する事実認定がなされた、ということになるわけです。

マーフィーの法則なども経験則

「マーフィーの法則」というものも、聞いたことがあるでしょうか?

「失敗する可能性のあるものは、いつか失敗する」。

「洗車しはじめると雨が降る」。

「トーストを落とすと、必ずバターがついた面が床につく。

それも値段の高いカーペットはよりその確率が高い」とか。

そういった、面白い”あるある”を集めたものです。

マーフィーの法則をまとめた書籍なども出版されていて、かなり面白いです。

日本でも、1990年代の初めに流行りましたね。

哀愁たっぷりで、面白いのに、それがまた本当に当たるというか、事実だったりするのが面白いんです。

しかし、これもやはり経験則です。

「切符を買う時、自分の並んだ列がいつも遅い」、「高価なものほどよく壊れる」というようなものもあるんですけど、いや~本当にそうなんですよね!って人は多いのではないでしょうか。

自分だけ感じていたのかと思ったら、じつはけっこうみんな思っていたんですね!

このマーフィーの法則に共感するのは、そのエピソードが他のエピソードよりも自分にとって衝撃的であったがために、記憶に残りやすくそう感じるだけ、ということも多いようですが、中には非常に教訓的なものもあるようです。

さらに、実際にマーフィーの法則を実験にて確かめた学者もいるようです。

例えば「落としたトーストが落とすと、バターを塗ってある面が下になる確率は、カーペットの値段と比例する」というマーフィーン法則について研究してみた人によると、バターが下になる確率というのは、カーペットの値段ではなく、テーブルが3m以上ある時、さらには滑り落ち方が関係しているということがわかったそうです。

カーペットの値段は関係ないんですね・・・。

まあ知っていたけど・・・、高価なものほど汚れたり、ダメになることが多い気がするのは私だけではないはずです。

いずれにしても、マーフィーの法則をそこまで真剣に実験した人がいるなんて、それもまた面白いですね。

マーフィーの法則は、自虐的だったり、哀愁のある内容が多く、「あるある!」「そうそう!」って言いたくなる事がたくさん書いてありますので、一度読んでみてくださいね♪

️経験則の例え

経験則というのは、裁判での事実認定の際にも用いられていることでもあり、マーフィーの法則のように、私たちの生活の中にある”あるある”エピソードとしても親しまれているですね。

では、私たちの身の回りでは、もっとどんなところに経験則が用いられているのでしょうか?
じつは、人の会話や考えの中にはいっぱい経験則から出たものがあるみたいです。

その実例を見てみましょう!

郷に入りては郷に従え

「郷に入っては郷に従え」ということわざを知っておられるでしょうか?

新しい土地に来た時には、その土地の習慣ややり方に従うように、という教訓です。

その土地、その土地によって習慣や、規律、価値観というものが違いますよね。

日本国内でも、県をまたげばびっくりするような慣習があったり、気持ちの表現方法が違うということはよくあります。

そうなると、世界の各地ではもっと違いが大きいでしょう。

今までの自分の価値観とは違った場所、環境のところに入っていくと、今までとのギャップにびっくりすることがあります。

しかし、そこで自分のやり方を押し通そうとしたり、自分の価値観や見方、考え方で物事を行おうとしたり、自分とは違うところを批判したり、否定したりしていると、なかなか新しい場所になじむことができないばかりか、周囲から嫌われてしまい、自分が辛い思いをすることがありますよね。

それで、そこでのやり方や考え方というものをまず認め、まずはそれに自分を合わせるのが賢い生き方であることを教えてくれているのです。

これは確かに、さまざまな土地や環境に移動して、そこでうまくやる方法を探してきた人たちの経験から言える教訓、処世術なんですよね。

それに、外国に移住したならその国の法律や習慣に自分を合わせるのは当然のことですよね。

そこに住むことを望むなら、そこでの決まりを守らなくてはいけないわけです。

これは、「長いものには巻かれろ!」と言っているわけではありません。

「長いものに巻かれる」というのは、自分の手に負えないようなものには、逆らっても無駄だからおとなしく従え、という意味です。

だから、単に言いなりになるとか、強い権力には逆らわないということを言っていますね。

でも、「郷に入っては郷に従え」というのは、その土地、場所の習慣に従うように、ということであり、つまりは英語を話す国に行ったなら、英語を話すようにとか、日本に来てお箸が出されたなら、お箸で食事をするという考え方です。

夕焼けならば明日は晴れ

みなさんは、友人や恋人と一緒に夕方に外を歩いていて、「キレイな夕焼けだから、明日は晴れるね!」などと話した記憶はありませんか?

昔の人はよく、「夕焼けならば明日は晴れる」と言ってきました。

私は、子どものころおじいちゃんおばあちゃんと一緒に夕方散歩をしていて、夕焼けを見てでも、「夕焼けなら明日は晴れる」というのは本当んでしょうか?

どうしてそういわれているのでしょうか??

一般的に、夕焼けが見えるということは西の空に雲がないということです。

日本の天気というのは、西から変化していきます。

それで、西の空に厚い雲がないということで、明日も晴れると考えることができるようです。

なるほど、と単純に納得することができる論理なのですが、例外もあるそうです。

もし西の地平線の見えないどこかに雲がある場合には、それが次の日に雨を降らすかもしれません。

しかし、その時には赤黒いような夕焼けになるようです。

雨雲がないときには、オレンジ色と赤い夕焼けが見れるようですよ。

さらに、西の地平線あたりに、雨雲があると夕日がまだ高い位置にあるのに隠れてしまうようです。

それは、雨雲が光を吸収することによって起こるといわれています。

ということで、やっぱり夕焼けが見えたら晴れの確率が高いということは、経験則として正しいけど、夕日の見え方によっては翌日が雨になることもあるようですね。

たまには夕日を自分の目で見て、明日の天気を予想するのも楽しそうですね。

黙っていればやりすごせる

何かあっても、黙っていればやり過ごせる、と思っている人いませんか??
何かトラブルがあった時には「黙っているのが一番。

そうすれば何とかやり過ごせる」って、処世術とかトラブル回避としてよく言われますよね。

恋人や家族からの嵐のような怒りが爆発しているとき、とりあえず黙っていれば、なんとかその場をやり過ごせるということ、確かにあります。

というか、一言でも言葉を発してしまうと、その一言でさらに火に油を注ぐような形で怒りがより大きくなったり、上げ足を取られたりして、こっちに不利になることってよくありますからね。

ただただ、相手の怒りが収まり時が過ぎるのを待つことさえできればこっちの勝利!的な考えですね。

なんだか、最近の政治家がよくやる手口のようにも感じますが・・・。

これが本当かどうかは、わかりません。

やはりケースバイケースですよね!?

それに、その方法が正しいか、間違っているかということも別です。

ただ、経験則としての一例です。

浮気されたら心から信用はできない

一度でも浮気されたら、相手を心から信用などできない、ということも経験則として上げられます。

みなさんは、どうですか?

恋人や配偶者から一度でも浮気をされたら、もう相手のことは一生心から信用できませんか?

本当に信じていた相手から浮気をされる、ということは大きな裏切り行為であり、本当に傷つくし、相手を信じられなくなるのは当然ですよね。

浮気というのは、一度でもしてしまうと相手からの信用度がぐんと下がるのは事実でしょう。

でも、中には相手をもう一度信じることができるようになったカップルもいます。

心から信用できるとしたら、それは、浮気をした側の人の並々ならぬ努力次第でもあるでしょう。

相手の信頼を取り戻すのには時間と決意と継続的な努力が必要です。

裏切られた方としては、相手を信じたいと思っても、やっぱり心のどこかで、「いつかまた浮気をするのではないか?」、「本当は知らないところで、別の人と合っているんじゃないか」と不安になるものです。

一度裏切られた経験をしているゆえに、信じると痛い目を見る、辛い思いをする、ということが心に刻まれてしまっているわけです。

なので「信用してはいけない!」ということを自分の心が訴えることがあるのです。

一度失った信用を取り戻すって難しいですね。

やっぱり相手が一生懸命自分に誤ってくれても、相手をもう一度信用できるようになるまでには時間がかかるんですね。

賭け事はメンタルが左右する

賭け事はメンタルが左右する、とも言われます。

賭け事で勝つためにはメンタルが強くないといけない、つまりは精神的な強さが必要だということがよく言われますよね。

メンタル面で弱い人は、プレッシャーがかかった時に気が動転してしまって、自分を見失ってしまったり、冷静な判断をすることができなくなりますよね。

失敗したりすると、そこでパニックになってしまったり、萎縮してしまって、そのときどきのベストな選択を考えることができなくなることもあるでしょう。

賭け事はメンタルが左右する、というのはそうゆうことも関係しているのかもしれません。

いずれにしても、メンタルが弱い人のやり方、手の打ち方と、メンタルの強い人のやり方というのは全然違うんですね。

メンタルが賭け事の勝敗を分けるということは、プロギャンブラーの方たちの経験からも知られていることなのですね。

しおらしい態度はモテる

モテる法則なんていうのがあるなら、きっとみんなそれを実行することでしょう。

例えば、「しおらしい態度はモテる」なんていうのがあります。

モテる女性の特徴に関する経験則ですけど、しおらしさ、つまり可憐で、上品で優雅な女性は男性にとって魅力的であるということです。

男性のみなさん、どうですか?

やっぱり、大胆でガツガツしている女性より、控えめで奥ゆかしさのある女性の方が好きですか??

日本人男性は、女性に対して控えめな上品さというものを持っていてほしい、と思っている人が多いみたいですね。

さらに、いじらしい態度というのか、ちょっと寄りかかってくるような、俺が何とかしてあげなきゃ!と思わせるような女性にぐっときますよね?

男性は、自分のプライドをくすぐってくれるような女性にドキドキしたり、女性らしいかわいらしさやいじらしさを見ると、きゅんとしてしまいます。

逆に、自分が優位に立てなさそうな、男のプライドを土足で踏みにじるようなタイプの女性は好かれません。

なのでちょっと控えめで、おとなしめで、でも女子力の高い女性がモテるわけですね!

️経験則の使い方

毎日の生活の中でよく聞く意見とか、教訓の中には、経験則に基づいているものもたくさんあるんですよね。

でも、日常会話の中では「経験則」という言葉自体はあまり使わないかもしれません。

でも、ビジネスシーンの中では割りとよく聞くフレーズの一つです。

では、「経験則」という言葉を、会話の中で使うとしたら、どのように使うことができるのか、例をあげてみましょう。

経験則に基づく

「これは経験則に基づく~です」。

というように、科学的な根拠はないけど、経験上のことから推測されることをもとにして判断する、ということがあります。

例えば、「◯◯の◯◯を使ったら、たくさんの反響があったのに対し、◯◯を使ったときには反響が少なかった」という場合、そこで反響が違ったことは確かでも、どうしてそのような違いが出たのか、ということに対しては科学的な根拠はないかもしれません。

でも、そのような実際の過去の経験を通してわかったことや、明らかになった事実をもとにして判断を下すということはよくあることでしょう。

それで、「経験則に基づいて◯◯と判断します」というような言い回しで、プレゼンを行うこともできるわけですね。

経験則に従う

「経験則に従う」というシチュエーションもあるでしょう。

理論的な裏付けがあるというわけではないけど、経験上得た知識によってわかっていることに従って行動しよう、と思う時もありますよね。

例えば、夫が機嫌が悪いときなどに、もっと険悪なムードにないようにしたいと思っている妻が「夫が◯◯した時には、◯◯をしてはいけない、◯◯をするとうまくいく」と、一定の条件下ではこうなる、という法則を見つけてて、それに従って行動するときがありますね。

仕事でも、「この決定は、経験則に従った内容です。

」というように、プレゼンできるかもしれません。

経験則で考える

「経験則で考えると、~だよね。

」と、今までの過去のデータから考えて判断や推論をするというシチュエーションもあるでしょう。

他の人を「経験則から考えさせる」ということもあるでしょう。

例えば、若手の社員とは考え方や価値観が違うので教える、教育することは難しいことがありますが、自分はどうだっただろうか、どうされたときに成長できただろうか、という、経験則ともいえることを自分自身が考えてサポートしたり、若手にも経験測を伝えることによって、その時その時に適格な判断ができるようにサポートすることができるかもかもしれません。

「経験則で考えると??」という質問を、自分に対しても、他人に対しててもすることによって、さらに適格な判断ができるわけですね。

これまでの経験則で言いますと

先ほどのように、「経験則で考えると~だ。」ということを、「これまでの経験則で言いますと・・・」というように説明することもできます。

「これまでの経験則で言いますと、◯◯の目標に到達するためには◯◯が必要だと思われます。」とか、「これまでの経験則で言いますと、◯◯から来た人たちは、◯◯に特化している」というような類です。

これは自分の経験則での考えだ

あることについての意見を述べたり、助言を与えたり、自分の意見を述べる場合に、そのことの根拠として「経験則」を使うこともできます。

例えば「これは自分の経験則での考えですが・・・」というように、話すことができるでしょう。

つまり、それ自体には何か証明できる根拠というものはないけれども、経験から見出した法則をもととして考えた判断、または結論である、という説明になります。