当事者という言葉。

テレビのニュースやドラマなどで耳にする機会も多いですよね。

でも、一体どういう意味の言葉なのか実はよくわかっていない、という方もいらっしゃるのではないでしょうか。

実はこの『当事者』という言葉、どんな分野で用いられるかによって、微妙に意味合いも異なってくるんです。

今回はこの当事者という言葉についてご紹介していきます。

当事者意識もってますか?そもそも当事者とは?

『当事者意識』という言葉もよく耳にされることと思います。

ではこの『当事者』。

一体どういう意味なのでしょうか。

当事者って何?

『当事者』は『とうじしゃ』と読みます。

起きている問題の現場にいてその問題を実際に体験している、影響を受けている人のことをさします。

反対の意味の言葉は『第三者』です。

意味

『当事』とは、『事に当っている』、『その事柄に直接関係する』という意味になります。

なので、『当事者』となると、『その事柄に直接関係している人』ということになります。

法律用語としての当事者


法律用語として使われる場合は、『民事法』で使われることが多いです。

事件や紛争などなにかの問題、トラブルについて、実際に体験した人。

または主体的にその事件に関わった人という意味合いになります。

法律上は、一般的には、直接の関係者という程度の意味です。

『実体法』と『手続法』

『○○法』など具体的な名前が出てきてしまうと、ちょっとお話が込み入ってきた印象があるかもしれませんね。

法律には『実体法』と『手続法』というものがあります。

『実体法』というのは、法律関係の、それ自体の内容を定める法律のこと。

簡単に言うと決まりごと自体が羅列されているものです。

民法や商法、刑法などのことです。

そして、そのような『実体法』が定めた法律を実現する、守るための手続きを決めたものが『手続法』というものになります。

民事訴訟法、刑事訴訟法などですね。

手続きの仕方が訴訟の形になるので、民事『訴訟法』、刑事『訴訟法』と呼ばれています。

学校のクラスの決まりにたとえると、「ケンカをしてはいけません」が実体法。

「ケンカをした場合はケンカ両成敗でケンカした人みんなで一週間トイレ掃除」というのが手続法といったところでしょうか。

『民事』と『刑事』


『民事裁判』、『刑事裁判』という言葉は、新聞やテレビなどのニュースで読んだり聞いたりしたことがあるのではないでしょうか。

では、民事と刑事の違いはなんなのでしょうか。

裁判には、民事裁判と刑事裁判の2つがあります。

『民事』とは、民の間に起きた事。

離婚問題や相続について、お金の貸し借りについてや雇用の問題、知的財産権のトラブルなどがあげられます。

これらの民事事件を解決するための裁判が民事裁判です。

個人対個人の間に起きたトラブルを解決するための裁判となります。

これに対して、違反すると刑罰がくだされる刑事事件のための裁判が刑事裁判と呼ばれています。

殺人や窃盗、脱税などの事件がこれにあたります。

国家が取り決めた法律を違反した者に対して、どのような刑罰を科すのかを取り決めるために行われます。

江戸時代までは日本でも復讐が認められていましたが、明治以降はそれが禁じられています。

その代わりといってはなんですが、国の代表者である検察官が加害者である(罪を犯した)と疑われている被疑者または被告人に対して、被害者の代わりに被疑者の罪状を暴いて責任を追求し、その内容に見合った刑罰を下そうとするというものなのです。

刑事と民事両方の裁判にかけられることというのも往々にしてあります。

たとえば交通事故なら、道交法違反容疑などで刑事裁判にかけられます。

更に被害者から、民事裁判に訴えられ、慰謝料や損害賠償を請求されるといったケースです。

また、刑事事件では無罪になっても、民事事件では罪があると認められるなど結果が違うこともあります。

民事事件と刑事事件とでは、それぞれ別の事件として扱われるからです。

刑事告訴の場合は、警察が被害者から被害届けを受理することで始まることがほとんどです。

つまり、被害が実際に起きており、それを証明できることが必要になります。

たとえば詐欺師による詐欺事件の場合、刑法上の詐欺に該当しないように用意周到に事を起こしていることがほとんどです。

騙そうという意思があった、という証拠がない場合は、刑法上は詐欺罪に問えなくなってしまいます。

初めから騙す目的で近づいてきたわけではなかったとなると、契約不履行として民事裁判で争うしかないという場合もあるんです。

たとえば100万円を借りて返すつもりが元々なかったか、返すつもりはあって色々手は尽くしたが返せなかったか、で異なるわけです。

実際詐欺師は返すつもりがなく100万円をだまし取ったとしても、その証拠が残っていなければ詐欺にはなりません。

契約したが履行できなかった、とみなされます。

不条理なような気もしますが、刑事裁判ともなると逮捕や勾留など一般市民の身体の自由を国家権力が奪うことになりますから、そこまでのことをするには決定的な証拠が必要なのです。

基本的に警察は被害届を出されたら受理しなくてはならないのですが、立証ができていない場合や刑事ではなく民事事件であろうと考えられる内容の場合は刑事上の被害が認められず受理されません。

また、被害届が受理されたからといって必ず捜査が始められるということにもならないのです。

民事実体法

以上を踏まえると、民事実体法においての『当事者』とは、その事件に関係している個人のことを指す、ということになります。

民事裁判においては、訴える方である原告側も、訴えられる方である被告側も、どちらも個人です。

場合によっては法人である場合もありますが、私人ですのであくまでも私人である人間同士でのトラブルになります。

民事裁判の場合は弁護士をつけないで自分で自分の弁護をする『本人訴訟』もできますので、当事者である一般市民同士だけで対峙する裁判というのもありえるわけです。

当事者同士の話し合いにより、和解するという結果もあります。

民事の場合は、当事者の主観的な状態が、法律行為上の『意思表示』の効力に大きく影響することがあります。

たとえば錯誤、詐欺、強迫などの場合です。

契約してしまったあとで詐欺だと気がついた場合、または強迫であった場合は、契約という『意思表示』を取り消すことができるのです。

しかしながら、これは『善意の第三者』に対しては取り消すことができません。

『第三者』。

『当事者』の対義語ですね。

当事者ではない人に対しては使えない手段なのです。

たとえばAさんが「この家に住んでいると不幸が起こる」と占い師に言われてそれを信じ、家を格安で占い師に売ったとします。

しかし後から詐欺であることに気がついて売買契約を取り消します。

民法上は初めから家宅を売買するという契約自体がなかったことになるので、当然お金を返して家宅を返してもらうことになります。

ただ、それまでの間に占い師が家宅をBさんに転売したとします。

この場合Bさんは、占い師とAさんとのやり取りを知らない=善意の第三者なので、Bさんに対してまで売買契約取り消しの『意思表示』が及びません。

仮にBさんが占い師とグルであったり、この家が詐欺行為で騙し取られた家であることを知っていて買ったりした場合は善意ではなく悪意があったことになり、Aさんが保護され家も返ってきます。

Bさんに悪意があったかを証明するのは難しいかもしれません。

明確な証拠があれば占い師と共に詐欺行為で刑事裁判に持ち込めるかもしれませんが、そうでなければBさんに悪意があったかどうかで民事裁判で争うしかありません。

民事訴訟法

民事訴訟法における『当事者』とは、「その名において訴え又は訴えられた者」のことを指します。

訴訟を進めていくにあたり、当事者が誰かをまず確定させる必要があり、これを『当事者の確定』と呼びます。

基本的には、訴状に書かれている人が当事者になります。

民事訴訟では、私人同士が争います。

訴えを起こした人が原告、起こされた人が被告と呼ばれます。

当事者同士が納得すればそれで良いので、裁判において話し合った結果和解する、ということもあり得るわけです。

民事訴訟においては、裁判で求められる『真実』は当事者同士が納得できる範囲のものであれば良いので、立証のハードルも刑事訴訟に比べると低くなっています。

相手より自分が正しいことが立証できれば裁判には勝てるのです。

自分に有利な事を自分で証明し『高度の蓋然性』が認められるレベルまで証明できれば基本的には認められます。

しかし刑事訴訟においては、誰から見ても真実に見える客観的な『真実』が立証できなければいけません。

誰がどう見てもこの人がこの犯罪をおかした、という証拠が出てこなければ被告人は無罪となるのです。

刑事事件の場合は『当事者』と言わない

刑事事件のときは、被害者からの被害届を受けて警察が捜査し、その結果が書類送検され、担当の検察官が聞き取りを行って起訴するのか不起訴にするのかを決めます。

不起訴の場合は文字通り起訴されませんので、なんのお咎めもなしになります。

起訴の場合は裁判が行われ、検事が裁判において被疑者の罪状を詳らかにし、その結果で有罪なのか無罪なのか、有罪であればどのような刑が適当かという結論が下されます。

捜査や裁判においてプロである検察官に対抗できるように、被疑者である被告人には法律のプロである弁護士をつける権利があるのです。

『被告人は無罪である』という無罪推定が原則となっているからです。

「疑わしきは被告人の利益に」といった言葉を、聞いたことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。

加害者である容疑をかけられた被疑者と被害者となり、基本的には当事者とは呼ばれません。

福祉用語としても使用される

福祉用語として使われる『当事者』は、基本的にはそのケースで取り上げられている本人のことです。

福祉分野で起きている問題は、何らかの社会問題のひとつであることがほとんどであり、その社会問題を抱えている本人が当事者と呼ばれます。

本人の家族や支援者、福祉施設の職員などの周囲の人間が『当事者』の中に含まれることもあります。

統合失調症などの障害を抱えた『当事者』の活動や暮らしの中で起こる、病気によって起こる不快感や不調などの症状、薬との付き合い方や周囲の人との関係上のトラブルや苦労など、さまざまな問題についての研究を『当事者研究』と呼びます。

当事者が自助のために、またはそれを助けるための当事者団体が行っていることが多いようです。

当事者が日々を送りやすくするための「研究テーマ」を探し出し、トラブルをパターン化したり関係者の経験を取り入れたりしながら当事者に合ったやり方で問題を理解し、前向きに生きていくというのが研究の重要な部分なのです。

福祉分野において当事者がかかえる問題は、障害などの病気自体からくる問題だけではなく、それによって生ずる人間関係上の問題が深刻になることが多いため、当事者の体験を持ち寄って経験としてパターン化し、共有することで問題を解決または沈静化させるのです。

これにより、当事者は生きていく上での希望ややりがいを見つけやすくなります。

関連する法律用語

ニュースやドラマなどで耳にはするけれど、なんとなく聞き流してしまっているので意味はよくわかっていない、という言葉も多いかもしれませんね。

当事者という言葉にまつわる法律用語をいくつかご紹介していきます。

当事者能力

訴訟法の上で、訴訟の当事者になることができる一般的な資格のことを言います。

『訴訟当事者能力』とも呼ばれます。

民事訴訟法28条前段および29条で既定されています。

この当事者能力が無い場合は、民事訴訟を起こすことができません。

なぜなら、実体法上は当事者能力があることが訴訟要件の一つとなっているからです。

訴訟を起こしても、その訴訟の当事者に『当事者能力』が無いとみなされた場合は、訴えは不適法となり、却下されてしまいます。

事実審の口頭弁論終結時に当事者能力が存在していない場合、つまり訴訟の途中で当事者能力が失われてしまうと、やはり不適法となり却下されます。

ではどうすれば当事者能力があると認められるのか、と言うと、権利能力が有れば認められます。

権利能力とはなにか。

権利と義務の主体となることができる資格を権利能力と呼びます。

『実体的当事者能力』があるということです。

単純に言うと、自然人つまり人間であればOKです。

法律学では人間のことを『自然人』と呼んでいます。

人間以外の動物は権利能力があるとはみなされません。

家族の一員のような大切なペットが他人に傷つけられるようなことがあっても、器物破損となるのはこのためです。

動物は法律上『物』となるからです。

権利能力は個人だけでなく、団体に与えられることもあります。

たとえば法人なら『法人格』ですね。

法人が解散したときも、清算が終わるまでは権利能力を有るので、当事者能力も有るということになります。

例外として、法人格が無い遮断や財団などにも、当事者能力があると認められる場合もあります。

訴訟中に相続や合併が行われ、相続人や合併により新しくできた会社には当事者の地位が引き継がれ、訴訟は続行されます。

自然人とみなされるのは、民法上では生まれた時。

具体的には、胎児が母体から全部露出した時点と解釈されています。

対して刑法上では、胎児が一部でも母体から露出した時点で人と解釈した判例もあります。

いずれにせよ生まれたら権利能力が認められるので、出生届が出されていないとしても権利能力は取得していることになります。

たとえば双子のお父さんがお母さんのお産の最中に不幸にも亡くなったとします。

兄が生まれた時にお父さんが亡くなった場合、兄は相続権が認められますが、弟はまだ生まれていなかった=権利能力がなかったので相続が認められないということになります。

ただこれは不合理なので、民法上は弟も既に生まれていたとみなすという既定もあるんです。

権利能力は亡くなった時点で消滅します。

失踪したと認められた人は、死亡したと認められるので権利能力が無くなってしまいます。

ちなみに、天皇陛下には民事裁判権は及びません。

天皇を被告とした訴えはすべて却下されます。

当事者適格

当事者適格とは、民事裁判のときに原告または被告という当事者として判決を受けることができる地位のことを意味します。

当事者として訴訟を追行することができる地位でもあることから、訴訟追行権と言われることもあります。

当事者適格があれば、訴訟を提起することができ、判決などの名宛人となることができます。

原告の当事者適格のことを原告適格、被告の当事者適格のことを被告適格とわけて言うこともあります。

原告適格は、判決が出たときに、保護されるべき法的利益が帰属する者ということです。

被告適格は、判決により原告の法的利益が保護されるという関係にある者ということになります。

当事者適格が無い人は、訴訟提起することができません。

また、当事者適格が無い人に対して訴訟提起された場合、基本的には却下されることになります。

当事者意識についても知っておこう!

当事者意識のない担当者ほど、一緒に仕事をする上で厄介なものはありませんよね。

意味

当事者意識とは、自分が当事者であるという意識のことです。

自分自身がその事の関係者であるという自覚がある状態のことになります。

仕事上ではあるプロジェクトの当事者と言えば、そのプロジェクトの関係者、リーダー、担当者といった意味合いになるでしょう。

その事柄に直接関係しているという意識です。

使い方

たとえばこのプロジェクトはプロジェクトリーダーのものであって、自分の仕事ではない。

リーダーが責任を追って進めている案件なので、自分はリーダーから言われたことだけやっていれば良い。

リーダーがいなければその案件については誰もわかる人がいない。

進捗状況を把握しているべきだとも思わない。

プロジェクトチームのメンバーなのにこんな意識で仕事をしている人。

手伝っているだけ、という認識の人は、「当事者意識がない」ということになるでしょうね。

自分がやらなくても誰かがなんとかしてくれるから、別に良いという考えです。

それだけならまだしも、口出しをして批判だけはするけれど、自分はなにもしないというのが一番ひどいパターンです。

こんな人ばかりの職場だと、なにかに気がついて言い出した人だけが「じゃあ君がやって」と言われ、「できていないじゃないか」「こんなやり方じゃよくないんじゃないの」と文句ばかり言われる結果になり、負担ばかり増えて損をしてしまいます。

こうなると、黙っていた方が得という雰囲気になり、言い出さない、面倒なことは先送りにする、中途半端な状態で放り出すというのが普通になってしまいます。

下手をすると、プロジェクトリーダーというポジションにある人ですら当事者意識が無いこともあります。

「このプロジェクトのプレゼン締め切りはいつですかね?」と別のチームの人からきかれて、「さあいつだろうね」なんて平気で答えてしまうのです。

まるで他人事のようですが、そんな答えではまずいと思ったチームメイトが横から「9月です」と答えたり、締め切りがわからないとこっちの仕事が進められないから困る、と思った質問者が、自分で調べたりします。

当事者意識がないプロジェクトリーダーとしては、それで仕事が結果的にうまくまわっていくので、問題だとは捉えられないようです。

当事者意識をもたせる方法

当事者であるという意識があるとないとでは、仕事に対する姿勢もやる気も変わってきます。

当事者意識があれば士気も上がりますし、自分のことだと思えば自分あら進んで仕事をします。

自分で決めたことであれば、やる気も出ますし結果もついてくるでしょう。

責任を持たせる

当事者意識がない人は、自分で責任を持ちたくないという人が多いです。

わざと「面倒そうだから」と逃げている場合もあれば、無意識の人もいます。

失敗が怖いからやらないようにしよう、と面倒事から無意識に遠ざかっているケースです。

意識的にしろ無意識的にしろ、当事者意識がない人には、責任を持たせるという手法があります。

やや荒療治気味ではありますが、たとえばプロジェクトリーダーにしてしまうとか、担当者は君一人だよ、という状況にするとか、そういった形で小さくても無理矢理にでも責任を負わせてみるというやり方です。

やらざるを得ない状況であれば、たとえいやいやでもやろうとし、やり始めるときちんとやれるようになる、という人も中にはいるものです。

紙媒体に残して当事者全員で共有

口頭で決定事項を告げただけだと、意味が伝わらなくて「そういう意味だと思わなかった」と言われたり、「そんな話は聞いてない。

知らなかった」と言われたり、「自分には関係ないと思っていた」と言われたりして逃げられてしまうことがあります。

議事録など紙媒体に残して、当事者全員で共有することで言い逃れしにくい状況が作れます。

ほめる、おだてる

仕事上の付き合いなら担当者に指名するなど多少強引な方法もとれますが、プライベートでの付き合いの場合はどうでしょうか。

日常生活を送る中でも、当事者意識を持たない人というのはたくさんいます。

みんなで卒業旅行に行こう、という話しになっても、言い出した人と責任感のある人や普段から旅行好きで旅行関係の情報にも詳しい人が「いつ行こう」「ここへ行こう」「飛行機にしようか」「ホテルよりも旅館にする?」と話し合ってくれているから、自分には関係ないから別にいいかな、と思ってしまうというタイプの人です。

決まった内容を教えられても、なら行く場所について調べようとか服装を決めるために気候を調べようとかそういった発想もあまりなく、「何時にここに待ち合わせね」と言われたからそこへ行く、という程度のことも往々にしてあります。

「飲み会をしよう」という話を出したくせに、「僕はどこでもいいよ」「いつでもいいよ」しか言わず、声をかけられた人の中で責任感のある人があれこれみんなの予算を聞き出してセッティングする羽目になることもありますよね。

こうした日常生活の中で当事者意識がない人に対しては、ほめたりおだてたりすると動いてくれるかもしれません。

「君がいないとこの旅行楽しくならないから」「お前がいないと飲み会なんて成りたたないよ」などと言われると、自分が必要なんだな、と感じて当事者意識を持ちます。

自分がいてもいなくても変わらないだろうと思っているから、という意識が根底にあるので積極的に話し合いに参加したりなにかを決めたりすることがないというパターンが多いので、ほめたりおだてたりして「必要とされてるんだ」と自覚させるとやる気になってくれるでしょう。

成功体験が少なく、何をしても無駄、意味がない、どうせうまくいかないと思っているタイプの人には、簡単なようで意外と有効な手段なのです。

自分の立ち位置を明確にする

担当者に任命してもやる気がない。

紙媒体で共有してもほめてもおだてても、とにかく自分は責任を持ちたくない!という人もいます。

無意識ではなく意識的に、面倒事から逃げようとしている人です。

こういう人は、『これはあなたの担当』ときちんと決めて役割を与えても、こっそり別の人、部下や後輩など自分より下の立場で文句を言い返せなさそうな人に丸投げしてしまうこともしばしばあります。

そんな場合は『自分の立ち位置』をはっきりわからせる必要があります。

社内であれば組織図など、人物相関図のように形があって目で見てわかりやすいものを見せて説明しましょう。

君の立ち位置はここで、つまり部下はこの人たちで、この人たちに仕事をさせるのではなくこの人たちをサポートする必要がある。

君の役割はこれこれこういうものだ、と具体的に説明をしてあげる必要があるでしょう。

それでもやらない人なら、その人よりも上の人に直訴するしかないかもしれません。

組織図や議事録などを資料として添え、「ここまでしたけれどやってくれなかった」と伝えるのです。

このようなときにも、紙媒体などみんなで共有できる状態で組織図や議事録を残しておくことは役に立つでしょう。

上司から「おまえの伝え方が悪いんじゃないのか?」と言われにくくなります。

証拠にもなりますし、みんなで共有をしているのですから証人も見つけやすいでしょう。

はっきりと伝える

なにをやっても駄目な人というのもやはりいます。

上司や親など上の立場の人から言われても、「知らない」「関係ない」「聞いてない」とゴリ押ししてくるタイプの人です。

ゴリ押しすれば周りが諦めるからという確信犯なのか、素で当事者ではないと思っているのかは定かではありませんが、困ったことに時々こういうタイプの人も存在します。

明らかな証拠が残っている場合や、裁判沙汰になるような大問題の場合でも「関係ない」「自分は悪くない」と言い張ってきます。

こういう人とはできればかかわらないのが一番なのですが、どうしてもかかわらなければならない、もうかかわってしまったということもあるでしょう。

ゴリ押しに負けたり苦笑いになってうやむやになったりではなく、ここはこちらも気力を振り絞って、はっきりと「いいえ、これはあなたのせいでこうなったんです」というしかありません。

申し訳ないですが周りの人も巻き込んで、一緒に説得してもらったり証人になってもらったりした方が良いでしょう。

上司や警察など、上の立場でかつ力も持っている第三者を呼んだ上でした方がいいかもしれませんね。

大事になったから、やっと「もしかしたらちゃんとしなきゃいけなかったのかな?」「自分のせいだったのかもしれない」と思う、というパターンもありえます。

決断させる

やる気のない人には、なにかを決断させてみましょう。

次のミーティングの日程、空港での待ち合わせ場所など、些細なことからでも良いので決めさせるのです。

なにかを決めようとすると多かれ少なかれそのことについて考える必要が出てきます。

当事者意識が出てきて、自分で決めたことなら守れるようになるかもしれません。

だんだんと当事者意識が育てば、そのうち率先して動くようになるかも?

なにかを決断するということは、その事柄について把握していないと決めることができません。

「10日は日曜日だからミーティングできないな。11日は全体朝礼があるから難しいし、なら12日の午後にしようか。午前中はミーティングルームが埋まっているけれど、午後なら空いているから」というように、ミーティングの日にちを決めるという行為ひとつをとってもいろいろと考えることがあるわけです。

問題を把握することによって自覚し、意識を持つことで当事者意識が自然と芽生えることを期待しましょう。