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当事者とはどういう意味?どこまで含...(続き2)

個人対個人の間に起きたトラブルを解決するための裁判となります。

これに対して、違反すると刑罰がくだされる刑事事件のための裁判が刑事裁判と呼ばれています。

殺人や窃盗、脱税などの事件がこれにあたります。

国家が取り決めた法律を違反した者に対して、どのような刑罰を科すのかを取り決めるために行われます。

江戸時代までは日本でも復讐が認められていましたが、明治以降はそれが禁じられています。

その代わりといってはなんですが、国の代表者である検察官が加害者である(罪を犯した)と疑われている被疑者または被告人に対して、被害者の代わりに被疑者の罪状を暴いて責任を追求し、その内容に見合った刑罰を下そうとするというものなのです。

刑事と民事両方の裁判にかけられることというのも往々にしてあります。

たとえば交通事故なら、道交法違反容疑などで刑事裁判にかけられます。

更に被害者から、民事裁判に訴えられ、慰謝料や損害賠償を請求されるといったケースです。

また、刑事事件では無罪になっても、民事事件では罪があると認められるなど結果が違うこともあります。

民事事件と刑事事件とでは、それぞれ別の事件として扱われるからです。

刑事告訴の場合は、警察が被害者から被害届けを受理することで始まることがほとんどです。

つまり、被害が実際に起きており、それを証明できることが必要になります。

たとえば詐欺師による詐欺事件の場合、刑法上の詐欺に該当しないように用意周到に事を起こしていることがほとんどです。

騙そうという意思があった、という証拠がない場合は、刑法上は詐欺罪に問えなくなってしまいます。

初めから騙す目的で近づいてきたわけではなかったとなると、契約不履行として民事裁判で争うしかないという場合もあるんです。

たとえば100万円を借りて返すつもりが元々なかったか、返すつもりはあって色々手は尽くしたが返せなかったか、で異なるわけです。

実際詐欺師は返すつもりがなく100万円をだまし取ったとしても、その証拠が残っていなければ詐欺にはなりません。

契約したが履行できなかった、とみなされます。

不条理なような気もしますが、刑事裁判ともなると逮捕や勾留など一般市民の身体の自由を国家権力が奪うことになりますから、そこまでのことをするには決定的な証拠が必要なのです。

基本的に警察は被害届を出されたら受理しなくてはならないのですが、立証ができていない場合や刑事ではなく民事事件であろうと考えられる内容の場合は刑事上の被害が認められず受理されません。

また、被害届が受理されたからといって必ず捜査が始められるということにもならないのです。

民事実体法

以上を踏まえると、民事実体法においての『当事者』とは、その事件に関係している個人のことを指す、ということになります。

民事裁判においては、訴える方である原告側も、訴えられる方である被告側も、どちらも個人です。

場合によっては法人である場合もありますが、私人ですのであくまでも私人である人間同士でのトラブルになります。

民事裁判の場合は弁護士をつけないで自分で自分の弁護をする『本人訴訟』もできますので、当事者である一般市民同士だけで対峙する裁判というのもありえるわけです。

当事者同士の話し合いにより、和解するという結果もあります。

民事の場合は、当事者の主観的な状態が、法律行為上の『意思表示』の効力に大きく影響することがあります。

たとえば錯誤、詐欺、強迫などの場合です。

契約してしまったあとで詐欺だと気がついた場合、または強迫であった場合は、契約という『意思表示』を取り消すことができるのです。

しかしながら、これは『善意の第三者』に対しては取り消すことができません。

『第三者』。

『当事者』の対義語ですね。

当事者ではない人に対しては使えない手段なのです。

たとえばAさんが「この家に住んでいると不幸が起こる」と占い師に言われてそれを信じ、家を格安で占い師に売ったとします。

しかし後から詐欺であることに気がついて売買契約を取り消します。

民法上は初めから家宅を売買するという契約自体がなかったことになるので、当然お金を返して家宅を返してもらうことになります。

ただ、それまでの間に占い師が家宅をBさんに転売したとします。

この場合Bさんは、占い師とAさんとのやり取りを知らない=善意の第三者なので、Bさんに対してまで売買契約取り消しの『意思表示』が及びません。