実力とはどの程度の大きさのものを実力というのでしょうか。

人に知られている人のことを実力者と呼ぶのでしょうか。

確かに、きちんと実力がある人は世に名前を知られているようなイメージがあるでしょう。

世の中の知名度がある人は、何か実力があり、それによって人に知られているという印象ですね。

ところが、世の中には無名だけど実力のある人もいるんです。

有名な人だけが実力があるとは限らないのです。

今回は、そんな無名だけど実力のある人の特徴について紹介していきます。

実力と知名度は関係ない!

実際には「能ある鷹は爪を隠す」というように、実力者であるからと言って有名であるわけではないのです。

実力と知名度は関係がないということですね。

むしろ、世に知られている人よりも実力を持っている人はいると考える方が良いかもしれません。

知名度が高い人は、セルフプロデュースが上手い方なのか、発掘されてしまった人なのかは分かりませんが、それが実力の高さと必ずしも関係あるわけではないのです。

最も、それほど相関が低いわけではないかもしれませんが、だからと言って100%知名度のあるかたが実力者というわけではないでしょう。

実力を持っている方は、それを隠すような能力もあるのです。

実力があるのに隠しておくことができるというのは格好いいですよね。

それでは、無名でも実力がある人の特徴としてはどのようなものがあるのでしょうか。

無名でも実力がる人の特徴について見てみることにしましょう。

無名でも実力がある人の13の特徴

無名でも実力がある人というのは、いくつかの共通の特徴を持っています。

実力が凄く高くてもそれを隠しておくことができるような人は、どのような特徴を持っていて、どうしてそのようなことができるのでしょうか。

普通は実力をひけらかしたくなってしまうものですが、そのようなことをせずにいられる理由についても、特徴を知ると分かるのではないでしょうか。

無名でも実力を持っているような無名の実力者になりたい方は、ぜひこれらの特徴を参考にしてみてくださいね。

知る人ぞ知る

無名の実力者とはいっても、本当に実力がある人にとっては知る人ぞ知るという形であって、全くの無名というわけではありません。

実力がある人というのは、その実力は絶対に隠しておくことができないのです。

そのため、能ある鷹は爪を隠すというようなことをしていても、完全に隠すことはできないでしょう。

考えてみれば、本当に狩のうまい鷹は爪は隠していても、その眼光や頭の良さで実力を醸し出してしまっているはずです。

そして、狩りをするところを見たものにとっては、その実力がすぐに分かってしまうので、全くの無名でいられるということはないでしょう。

そのため、知る人ぞ知る存在であって、世の中で本当に埋もれてしまっている人になることはありません。

実力がなければ埋もれてしまいますが、それは本当の実力者にとってはあり得ない話なのです。

ひけらかさない

実力者は、自分の能力をひけらかすような真似はしません。

必ずしも全く外に出していないというわけではなく、ひけらかすようなことをしないだけなのです。

最近ではきちんと自己プロデュースしなければ、外に出て行くことはできません。

つまり、必要以上に自分の実力を見せつけなければいけないのです。

本当の実力者にとっては、そんなことはをする必要がありません。

そんなことは全くしなくても良いと思っているでしょう。

そして、そういうことをするのが好きではないと思っているのではないでしょうか。

無名の実力者である人は、そう言ったことを気に入らないという性格をしているのかもしれません。

負けず嫌い

負けず嫌いだという人も多いのではないでしょうか。

無名の実力者であれば、何となく他人を全く気にしていないという人もいるでしょう。

確かに、他の人の声は必要としていないかもしれません。

誰に褒められる必要も、誰に認められる必要もないと思っている傾向はあります。

ですが、実力の面では他の人を全く気にしていないことはないはずです。

負けず嫌いで、自分が自信を持っている分野ではだれにも負けたくないと思っているでしょう。

そのため、知名度がある人の実力を見て、それに負けないように頑張ることはできるはずです。

ですが、自分が自ら前に出ることで、誰かに負けてしまうことは怖いのです。

自分が誰よりもすごいということを分かってからでなければ、外に出ることはできないと思っている傾向もあるでしょう。

とにかく、知名度を上げるよりも先に、一番になって誰にも負けることがない実力を身に着けることが先だと思っているのです。

心が強い


実力を持っていながら、それを隠しておくことができるような人の場合には、心がとても強くなければいけません。

実力を隠しているというのは、他人が思っているよりもずっと辛いものです。

心が弱い人では色々なことが気になってしまいます。

高い実力を持っているはずなのに、それを一生隠したまま誰にも知られることなく死んでしまう可能性があると考えることが嫌だという人もいます。

まるで自分の才能を無駄しているような気分になる人もいあると思います。

また、能力を隠していることで無能扱いされることもあるのが辛いという人もいるかもしれません。

本当は誰よりもできるはずなのに、自分から発信しないせいで「できないやつ」と思われてしまうこともあるのです。

それらは、覚悟をしていても精神的に辛いということが多いでしょう。

それを気にせずにたんたんと生きていくことができる人というのは心が強い人だということになるでしょう。

あまり他人を気にしないという特徴もあるでしょう。

他人を気にせずに自分一人で生きていくことができるような心の強さも持っているということになるのではないでしょうか。

自信がある

能力が本当に高い人は、自分の実力に絶対的な自信を持っています。

自信がないわけではないので、誰に認めてもらう必要もないと思っているのではないでしょうか。

あまり実力が高くない人にとっては、誰かに認めてもらえなくては、自分のことも認めることができないのです。

本気で自信がある人の場合には、自分の実力を認めるのに他の人の言葉など全く必要ありません。

自分の実力を認めることができるのは、一番に自分だということができるほどに自信があるのでしょう。

逆に言えば、陽との声を必要としないほどに自信を持つことができるほどの実力であれば、隠して置くことができるということになるのではないでしょうか。

誰でも自分の実力に関して不安に思ってしまう瞬間があります。

人に褒められて初めて自信を持つことができるという人もいるはずです。

ですが、そんな必要もないというのは、本当の実力者だからこそです。

人の声を必要としないという姿勢が、爪を隠す鷹を演じさせることとなるのかもしれません。

計算高い

無名の実力者の場合には、計算高いという特徴もあるかもしれませんね。

計算高くて、自分の実力をひけらかしても良いことなどないということを知っているのです。

純粋に「恥ずかしいから隠しておく」というくらいの覚悟では、いつまでも隠しておくことはできないでしょう。

ずっと隠しておく覚悟を守っていることができるのは、計算高くてそれが良いということを自分で分かっているからです。

世の中も基本的に「能ある鷹は爪を隠す」ということを知っているでしょう。

そのため、爪を隠している鷹を見ると、その価値を知っているからこそ「すごい」と思ってもらうことができるのです。

無名の実力者は天然で隠しているわけではなく、そういったところもきちんと分かり切っているのです。

ストイック

無名の実力者はストイックなところもあるでしょう。

ストイックで自分の実力を磨くことに集中していることが好きなのです。

ストイックな姿勢で物事に取り組もうとするので、世の中に実力をひけらかすようなことをすると、雑音が増えてしまうと思っているかもしれません。

また、世の中に自分の名前を知らしめようとすることこそが、不必要であり、実力を磨くためには邪魔になると思っていることもあるでしょう。

そもそも、ストイックに自分の実力と向かい合っているので、世の中にそれを知らしめるということ自体を思いついていない可能性もあります。

誰に認められる必要もないので、とにかく自分の実力を磨きたいと思っているケースもあるでしょう。

【ストイックな人については、こちらの記事もチェック!】

余裕がある


実力がある人は、他の人よりも余裕があるでしょう。

自分の実力に対する自信があるために余裕を持っており、だからこそ、他の人のように自分の名前を売るようなことをしないのです。

自分の実力があればいつでも名前を売ることはできるので、わざわざそのようなことをする必要もないのです。

実力があるからこそ余裕が生まれており、だからこそ、人より一ステージ上のところから見ることができるのでしょう。

あまり実力がない人にとっては嫌な余裕のように見えてしまうかもしれませんが、実力がある人にとっては当たり前の姿勢のようにも見えるはずです。

余裕があれば、少し落ち着いて世間を見ることができるというのは魅力的ですね。

恥を知っている

実力がある人にとっては、自分の実力をひけらかすことが恥になるということも知っているでしょう。

あまり余裕がない、自信がない小者にとっては、自分の恥になるかもしれないことなどは考えません。

実力をひけらかすことによって期待値が上がり、そのことによって、それよりも実力が低いことを知られると嫌だという気持ちもあるはずです。

さらに実力がある人が出てきて、自分が負けることを見られるのが恥になるという人もいるでしょう。

普段は自分より実力が低い人が世の中で、名前だけ売れてしまって恥をかいているところを見ているので、思わずそれを自分に置き換えてしまうのではないでしょうか。

恥をかいてでも人に認められたいとまでは思っていないので、そういった気持ちからも恥をかくようなことはしないという姿勢でいることができるのです。

利用されたくない

能力のある人は色々な人から利用されてしまうことがあります。

実力があるからこそ、色々な争いに巻き込まれてしまう可能性もあるでしょう。

本当に実力がある人はそのことをよく分かっています。

自分の実力が誰かにとってのメリットになることも分かっているでしょう。

名前が売れれば売れるほど、利用しようと思って近づいてくる人がいることを知っているのです。

そのため、利用されたくないと思っている人は、できる限り自分の名前を隠そうとするでしょう。

実力をひけらかしても良いことがないということを知っているのです。

あまり実力がない人にとっては、そのことさえも羨ましいと思うかもしれません。

利用しようと思って近づいてくる人の甘言が気持ちよく思えることもあるでしょう。

ですが、実力者はそのような状況になれているので、利用されることを避けるために爪を隠した鷹になるのです。

謙虚

能ある鷹の場合には、謙虚な方もいるかもしれません。

自分の能力を高めようとする人にとっては、その世界が深くて到達点がないということも分かっているでしょう。

少しくらいできる人にとってはその分野の深さなど分かっていないかもしれません。

ですが、本当に実力がある人にとっては、その世界がどこまで言っても完成することのない世界だということを知っているので、自分の実力が最高のものだとは思わないのです。

どこまでも能力を磨き続けることができる、限界がないと言うことを知っていれば「私なんて」という気持ちが生まれても仕方ありません。

謙虚で自分が褒められることに違和感を抱いてしまうので、あまり人に名前を知られてチヤホヤされたくないということがあるでしょう。

向上心がある

向上心があるという特徴もあるかもしれませんね。

無名の実力者は、どこまでも自分の実力を磨こうとするものです。

どこまで言っても満足することがないのです。

向上心を持って物事に取り組んでいるので、どこかで立ち止まって名前を売るようなことはしないのです。

どこまでも立ち止まらずに歩んでいたら、いつの間にか無名の実力者となっていたということもあるかもしれませんね。

そもそも、向上心がなければ実力者となることはできません。

名前を知られたいと思っていることが一番の人にとっては、向上心などないでしょう。

ホンモノ志向

ホンモノ思考を持っている人も、自分の実力をひけらかすことはしないでしょう。

ホンモノは絶対に自分をひけらかすような音をしないということを知っているのです。

能ある鷹は爪を隠すと胃言葉も知っており、本当の実力者になるためには爪を隠さなければいけないということがよく分かっているのです。

そのために、ホンモノ志向の人は、自分の実力を隠してしまうでしょう。

ホンモノが凄いと言ことを知っているからこそ、そういった考え方で自分の実力に集中して向かい合うことができるのかもしれません。

また、ホンモノ志向がある方にとっては、自分の実力がホンモノではないということも分かってしまいます。

少しでも本物に近づけるために、実力を身に付けなければいけないということも知っているでしょう。

外に出たいという気持ちがあるとしても、今はまだその実力がないと思っているうちに無名の実力者となってしまうのです。

無名の実力者を確信できる言葉

無名の実力者というのは本当に一般的にいるものなのでしょうか。

実力がありながら、それを誇らずに生きていることができる人は本当にこの世の中にいるのでしょうか。

能力がありながらそれをひけらかさずに生きているのなんて、あまりにもできすぎているように思える方も多いでしょう。

ですが、昔から、無名の実力者がいたことが分かる言葉がいくつか残されています。

本当に無名の実力者がいたことが分かるような言葉についてここでご紹介します。

これだけの言葉が残っていることを考えると、本当に無名の実力者がいた、もしくは今も無名の実力者がいるということが理解できるでしょう。

和光同塵

「和光同塵」という言葉は、無名の実力者がいることがはっきりとわかる言葉というよりは、宗教的な意味が込められていることが分かる言葉ですね。

和光同塵の「和光」というのがそもそも、自分の持っている才能や知識を見せないようにしているということですね。

「同塵」は、一般的な社会の中に紛れて生きるということを示しています。

塵のような汚れた世界にまみれて生きるというような意味のことも考えると、一般的な人間のことをバカにしているような感じもしますが、この言葉の語源としては菩薩などを対象としていたのですから、一般的な人間の社会を塵と表現するのも仕方ないのかもしれませんね。

菩薩や仏が自分の才能や知識などを隠して、一般的な世界の中で生きる理由は、一般的な社会の中で汚れて生きている仏教徒ではない人に道を教えるためだといわれています。

こうしたことから転じて、自分の本当の姿を隠して一般社会の中で暮らしているという意味になります。

能ある鷹は爪を隠す

「能ある鷹は爪を隠す」という言葉を知っている人は多くいるでしょう。

この言葉の意味はよく知られている通りに、「実力を持っているものがそれをひけらかさずに、隠しておくものである」という意味です。

この語源はご存知でしょうか。

頭の良い鷹は爪がとても尖っていたとしても、それを獲物に悟られないように隠しておくということから来たそうです。

もちろん、自分の能力に気づいていないというわけではありません。

むしろ、自分の能力を分かっているからこそ、自分の爪を隠している状態にあるのでしょう。

無名の実力者が馬鹿なわけではなく、何か目的があって自分の能力を隠しているのだということが分かりますね。

「能ある鷹は爪を隠す」ということができていないのなら、実際にできている人であっても、それを効果的に使うことはできないということになるかもしれませんね。

英語だと猫が爪を隠す

「能ある鷹は爪を隠す」というのは、英語でも同じような意味を持っています。

「能ある鷹は爪を隠す」を英語で表現すると「Cats hide their claws.」という言葉になるようですね。

これは、猫が爪を隠しているという意味になります。

英語では鷹ではなくて猫になっているということでしょう。

猫の肉球を観察してみたときに分かるかもしれませんが、実際に猫は普段は爪を隠していますよね。

喧嘩の時には驚くほど爪が出てきてビックリするのではないでしょうか。

このことから、猫が爪を隠すという言葉を使うことで無名の実力者の存在を示しているのでしょう。

日本でもこの言葉は通じそうな気がしますが、やはり日本では鷹ということになりますね。

日本でも英語の場合でも同じような感覚から無名の実力者を動物で表現しているというのは面白いと思いませんか。

大賢は愚なるが如し

「大賢は愚なるが如し」という言葉も無名の実力者の存在を示す諺の一つですね。

本当に賢いといわれている人はまるで愚かな人のように自分のことを「賢い」と言いふらさないという意味になります。

大賢という表現をしているところが恐ろしいですね。

少しくらい賢い人は、自分の能力をひけらかしてしまうのでしょう。

ですが、それよりもずっとかしこ人の場合には、ひけらかさないのです。

ある意味でとても余裕があるからと言えるのではないでしょうか。

これには同じような言葉があります。

「大賢は愚なるが如し」という言葉に似たような言葉としては「大巧は拙なるが若し」「大智は愚のごとし」などがあります。

どれも同じような表現となっていますから、大体の意味は理解することができるでしょう。

「大賢は愚なるが如し」は「賢さ」を中心と置いていますが、「大巧は拙なるが若し」の場合には、「技術」や「器用さ」を中心としています。

また「大智は愚のごとし」の場合には「知識」に主眼を置いているのですね。

状況によって使い分けることができると恰好が良い言葉ですね。

空樽は音が高い

無名の実力者の存在を表現をしているというよりは、何もできない人は有名になろうとするという別のことを表現しているのがこちらになりますね。

「空き樽は音が高い」という表現が逸れになります。

空き樽で表現されているのはもちろん人間のことであり、空き樽という表現からも、何も中身が入っていない人ということが分かります。

こういった樽は、叩いてみると分かるのですが、少し高い音が鳴るようになっています。

また、中に何かが入っているよりも音が高く響いてしまうことが分かります。

中身がない人こそ「音が高い」、音が良く鳴ると表現しているのですから、「より自分のことをペラペラ話そうとする」という意味だということが読み取れるでしょう。

ただでも実力者としては、本物に劣らないということが分かるのに、さらに「空き樽」と表現されることを考えると、謙虚に生きることが一番のように思えてくる表現ですよね。

口達者の仕事下手

「口達者の仕事下手」というのも「空き樽は音が高い」という言葉と同じような意味になります。

こちらは「空き樽は音が高い」よりも直接的な表現ですね。

口達者ではあるが、仕事はできないという意味ですから、かなり直接的に何もできない人のことを嘲ったような言葉だということが分かります。

これに関しても、無名の実力者の存在をはっきり言っているというよりは、「本当の実力者というものは自分の能力をひけらかそうとはしないけれど、、それに対して実力が足りていないものは……」という表現になっているのが、一般人にはぐさりと来ますね。

はっきりと実力者のことを描写されるよりも心にダメージを負ってしまう表現だといえるかもしれません。

最も口達者な者が最も仕事をしない

「口達者の仕事下手」と同じような意味合いを持っている言葉として「最も口達者なものが最も仕事をしない」という言葉があります。

こちらは、さらに直接的な表現になりましたね。

若干無名の実力者と異なるのは、無名の実力者の存在をほのめかすような言葉というよりは、実力がないものを直接的に表現している意味合いが強いというところでしょうか。

確かに、裏を返せば「最も仕事をするものはあまりしゃべらない」というような意味になっていることは分かります。

これは無名の実力者と近い意味になりますよね。

ですが、この言葉で主眼に置いているのは、「口達者で仕事をしないものへの説教」です。

「能ある鷹は爪を隠す」という言葉で、爪を隠そうとしない小物の実力者を感化するよりも直接的に、「口ばかり達者になるな」ということを今示している意味合いが強いのではないでしょうか。

能なし犬は昼吠える

「能なし犬は昼吠える」という言葉もあります。

こちらは動物にたとえられており、さらに能力がないものは賢い行動をせずにうるさいばかりであるという事実を強く表現しているでしょう。

この言葉が作られた時代には犬が番犬として夜に見張りをして、おかしなことがあったら吠えるというようなことをしていたのでしょう。

そのため、有能な犬が吠えるとしたら、それは夜のことになるのです。

ところが、能がない犬は昼に吠えます。

吠えても意味がない昼に無駄吠えをして、自分が吠えられる犬であるということを主張するのです。

口ばかり達者で、するべき時に何もしない人間を例えているのだと考えると、こちらも、とても厳しいことわざのようでdすね。

能無しの口叩き

無名の実力者というよりは、「口ばかりの小物」シリーズの中でも、直接的な表現をする言葉として一番のものは「能無しの口叩き」だといえるでしょう。

はっきりと「能無し」と表現しているところが、ぐさりと来ますね。

心当たりがある方にとっては耳が痛い言葉となっているでしょう。

「口叩き」とは、口数が多いことを言います。

有能な人は黙って作業をするのに、何もできない人ほど口数ばかり多くて黙っていられないという意味です。

似たような言葉には「口叩きの手足らず」というものもありますね。

どんな諺の中でも、やはり口数ばかり多いものは嫌われてしまうようです。

無名の実力者がどれほど好かれていたかが分かる言葉が多いですね。

吠える犬は噛みつかぬ

無名の実力者の存在をほのめかして、口ばかり達者な小物を諫める言葉シリーズの一つとして「吠える犬は噛みつかぬ」という言葉もあります。

犬に例えられる言葉としては二つ目ですね。

人間にとって犬が身近な存在であったということもよく分かります。

良く吠える犬に限って、家に入り込もうとする悪党に攻撃をすることはできないという意味ですね。

噛みつく能力がないというよりも、こちらに関しては「臆病者ほど威嚇して自分を強く見せようとする」という印象が強い言葉のように思えます。

鳴く猫鼠捕らず

「鳴く猫鼠捕らず」は、今度は猫に例えた表現ですね。

猫の仕事は鼠を捕ることですが、よく鳴いている猫は存在感を誇示するだけで何の役にも立っていないという意味になるでしょう。

本当に鼠をよく捕るような能力のある猫は、鳴かずに仕事をするのです。

動物の世界でも無名の実力者という存在はいるのかもしれませんね。

動物の世界でもそういった存在を見ることができるのなら、人間の社会の中でも知られていないだけで無名の実力者と言われるような素敵な存在がいると考えてもおかしくはないですよねね。

実力を自慢しないかっこいい生き方

いかがでしたか?
人間は謙虚になろうと思っていてもそれには限界があります。

自分の実力が人よりも少し高いことを知っていると、それをついひけらかしたくなってしまうでしょう。

自分の実力を見せびらかすようなことをするのは、大抵は「人よりも少しできる人」です。

全く実力がないわけではないのです。

ですが、それを隠しておけるほどには余裕がないということになるでしょう。

本当に余裕がある人は自分の実力を隠しておくことができるからです。

自分ができることが「当たり前」になってしまっているほどにできる人の場合には、それを人に知ってもらわなくても良いと思うことができるでしょう。

本当に恰好が良い生き方は自分の実力をひけらかさずに隠している生き方です。

本当にできる人の実力は、誰に知らせることがなくてもいつの間にか知られてしまうでしょう。

中途半端な実力の場合には、一生埋もれたまま人に知られずに行くことになってしまいます。

それを怖いと思っているようでは、まだまだだということですね。

自分の実力を信じている方、まだ自分の実力を伸ばそうと思ってる方は、実力を自慢しない恰好が良い生き方を選んでみてください。

本当に実力があるのなら、爪を隠している鷹であったとしても、誰かに見つけてもらうことができるでしょう。

見つけてもらえないようだったら、人にさらけ出すような実力がないということになりますね。