どこまでも能力を磨き続けることができる、限界がないと言うことを知っていれば「私なんて」という気持ちが生まれても仕方ありません。
謙虚で自分が褒められることに違和感を抱いてしまうので、あまり人に名前を知られてチヤホヤされたくないということがあるでしょう。
12.向上心がある
向上心があるという特徴もあるかもしれませんね。
無名の実力者は、どこまでも自分の実力を磨こうとするものです。
どこまで言っても満足することがないのです。
向上心を持って物事に取り組んでいるので、どこかで立ち止まって名前を売るようなことはしないのです。
どこまでも立ち止まらずに歩んでいたら、いつの間にか無名の実力者となっていたということもあるかもしれませんね。
そもそも、向上心がなければ実力者となることはできません。
名前を知られたいと思っていることが一番の人にとっては、向上心などないでしょう。
13.ホンモノ志向
ホンモノ思考を持っている人も、自分の実力をひけらかすことはしないでしょう。
ホンモノは絶対に自分をひけらかすような音をしないということを知っているのです。
能ある鷹は爪を隠すと胃言葉も知っており、本当の実力者になるためには爪を隠さなければいけないということがよく分かっているのです。
そのために、ホンモノ志向の人は、自分の実力を隠してしまうでしょう。
ホンモノが凄いと言ことを知っているからこそ、そういった考え方で自分の実力に集中して向かい合うことができるのかもしれません。
また、ホンモノ志向がある方にとっては、自分の実力がホンモノではないということも分かってしまいます。
少しでも本物に近づけるために、実力を身に付けなければいけないということも知っているでしょう。
外に出たいという気持ちがあるとしても、今はまだその実力がないと思っているうちに無名の実力者となってしまうのです。
無名の実力者を確信できる言葉
無名の実力者というのは本当に一般的にいるものなのでしょうか。
実力がありながら、それを誇らずに生きていることができる人は本当にこの世の中にいるのでしょうか。
能力がありながらそれをひけらかさずに生きているのなんて、あまりにもできすぎているように思える方も多いでしょう。
ですが、昔から、無名の実力者がいたことが分かる言葉がいくつか残されています。
本当に無名の実力者がいたことが分かるような言葉についてここでご紹介します。
これだけの言葉が残っていることを考えると、本当に無名の実力者がいた、もしくは今も無名の実力者がいるということが理解できるでしょう。
和光同塵
「和光同塵」という言葉は、無名の実力者がいることがはっきりとわかる言葉というよりは、宗教的な意味が込められていることが分かる言葉ですね。
和光同塵の「和光」というのがそもそも、自分の持っている才能や知識を見せないようにしているということですね。
「同塵」は、一般的な社会の中に紛れて生きるということを示しています。
塵のような汚れた世界にまみれて生きるというような意味のことも考えると、一般的な人間のことをバカにしているような感じもしますが、この言葉の語源としては菩薩などを対象としていたのですから、一般的な人間の社会を塵と表現するのも仕方ないのかもしれませんね。
菩薩や仏が自分の才能や知識などを隠して、一般的な世界の中で生きる理由は、一般的な社会の中で汚れて生きている仏教徒ではない人に道を教えるためだといわれています。
こうしたことから転じて、自分の本当の姿を隠して一般社会の中で暮らしているという意味になります。
能ある鷹は爪を隠す
「能ある鷹は爪を隠す」という言葉を知っている人は多くいるでしょう。
この言葉の意味はよく知られている通りに、「実力を持っているものがそれをひけらかさずに、隠しておくものである」という意味です。
この語源はご存知でしょうか。
頭の良い鷹は爪がとても尖っていたとしても、それを獲物に悟られないように隠しておくということから来たそうです。
もちろん、自分の能力に気づいていないというわけではありません。
むしろ、自分の能力を分かっているからこそ、自分の爪を隠している状態にあるのでしょう。