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実力者は目立たない人が多い?無名で...(続き6)

これに関しても、無名の実力者の存在をはっきり言っているというよりは、「本当の実力者というものは自分の能力をひけらかそうとはしないけれど、、それに対して実力が足りていないものは……」という表現になっているのが、一般人にはぐさりと来ますね。

はっきりと実力者のことを描写されるよりも心にダメージを負ってしまう表現だといえるかもしれません。

最も口達者な者が最も仕事をしない

「口達者の仕事下手」と同じような意味合いを持っている言葉として「最も口達者なものが最も仕事をしない」という言葉があります。

こちらは、さらに直接的な表現になりましたね。

若干無名の実力者と異なるのは、無名の実力者の存在をほのめかすような言葉というよりは、実力がないものを直接的に表現している意味合いが強いというところでしょうか。

確かに、裏を返せば「最も仕事をするものはあまりしゃべらない」というような意味になっていることは分かります。

これは無名の実力者と近い意味になりますよね。

ですが、この言葉で主眼に置いているのは、「口達者で仕事をしないものへの説教」です。

「能ある鷹は爪を隠す」という言葉で、爪を隠そうとしない小物の実力者を感化するよりも直接的に、「口ばかり達者になるな」ということを今示している意味合いが強いのではないでしょうか。

能なし犬は昼吠える

「能なし犬は昼吠える」という言葉もあります。

こちらは動物にたとえられており、さらに能力がないものは賢い行動をせずにうるさいばかりであるという事実を強く表現しているでしょう。

この言葉が作られた時代には犬が番犬として夜に見張りをして、おかしなことがあったら吠えるというようなことをしていたのでしょう。

そのため、有能な犬が吠えるとしたら、それは夜のことになるのです。

ところが、能がない犬は昼に吠えます。

吠えても意味がない昼に無駄吠えをして、自分が吠えられる犬であるということを主張するのです。

口ばかり達者で、するべき時に何もしない人間を例えているのだと考えると、こちらも、とても厳しいことわざのようでdすね。

能無しの口叩き

無名の実力者というよりは、「口ばかりの小物」シリーズの中でも、直接的な表現をする言葉として一番のものは「能無しの口叩き」だといえるでしょう。

はっきりと「能無し」と表現しているところが、ぐさりと来ますね。

心当たりがある方にとっては耳が痛い言葉となっているでしょう。

「口叩き」とは、口数が多いことを言います。

有能な人は黙って作業をするのに、何もできない人ほど口数ばかり多くて黙っていられないという意味です。

似たような言葉には「口叩きの手足らず」というものもありますね。

どんな諺の中でも、やはり口数ばかり多いものは嫌われてしまうようです。

無名の実力者がどれほど好かれていたかが分かる言葉が多いですね。

吠える犬は噛みつかぬ

無名の実力者の存在をほのめかして、口ばかり達者な小物を諫める言葉シリーズの一つとして「吠える犬は噛みつかぬ」という言葉もあります。

犬に例えられる言葉としては二つ目ですね。

人間にとって犬が身近な存在であったということもよく分かります。

良く吠える犬に限って、家に入り込もうとする悪党に攻撃をすることはできないという意味ですね。

噛みつく能力がないというよりも、こちらに関しては「臆病者ほど威嚇して自分を強く見せようとする」という印象が強い言葉のように思えます。

鳴く猫鼠捕らず

「鳴く猫鼠捕らず」は、今度は猫に例えた表現ですね。

猫の仕事は鼠を捕ることですが、よく鳴いている猫は存在感を誇示するだけで何の役にも立っていないという意味になるでしょう。

本当に鼠をよく捕るような能力のある猫は、鳴かずに仕事をするのです。

動物の世界でも無名の実力者という存在はいるのかもしれませんね。

動物の世界でもそういった存在を見ることができるのなら、人間の社会の中でも知られていないだけで無名の実力者と言われるような素敵な存在がいると考えてもおかしくはないですよねね。

実力を自慢しないかっこいい生き方

いかがでしたか?