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無性愛者とはどういう意味?8個のポ...(続き2)

日本での認知度は低い

日本での認知度は低い
LGBTなどについては先ほども述べたように、日本で認められようとする傾向が多くなっています。

しかし無性愛者に関してはまだまだ取り残されている存在なのです。

なぜかと言いますと、LGBTと違ってまだそこまで多くの方が認識していないという事もありますし、無性愛者が取沙汰にされるような事は圧倒的にLGBTと比べて少ないからです。

事実、無性愛者という言葉を聞いたことがないという方もたくさんいるはずです。

しかし、LGBTと同様に無性愛者も一つの人権問題になります。

今後しっかりと向き合っていかなければいけない大きな問題でもありますので、それを受け入れるために社会は変化していかなければいけません。

もしも無性愛者という言葉自体を知らないのであれば、この機会に無性愛者とはどういう存在なのか、どういう考え方をしている人間を指し示しているのかという事を理解する必要性があります。

無性愛者の意味

無性愛者の意味を調べている
そもそも無性愛者とはどういう意味なのかと考えた時に「他者に対して性的な欲求を抱かない性質」という言葉の意味を持っています。

この時点で明確にLGBTと違いが発生している事に気づきますか?

LGBTは対象が違うだけで、人を好きになっているということに変わりはありません。

男性が男性を、女性が女性を好きになっているという事なので、それが異性か同性かの違いなだけです。

しかし、無性愛者に関しては他者に対してそもそも性的な欲求を感じられないということです。

本来であれば、私たちは異性、もしくは同性に対してタイプの人間がいたり、魅力的なフェチなどを感じたりすることが多いですよね。

例えば、男性であれば女性の胸を見たり、女性のお尻を見たりする事で興奮したりすることが多いと思います。

女性であれば、男性から守ってもらったり、男性の筋肉を見たりすることで興奮したりすることがあると思います。

結局は興奮するポイントなどを持っている事が多いのですが、無性愛者に関してはこれがないのです。

人それぞれの考え方次第にはなりますので、無性愛者の人からすればこれが普通なのかもしれません。

一般的な恋愛があり方を知っている人間からすれば、恋愛をすることの楽しみを知らないという点においては少し可哀想な人間であると感じられることが多くなるかもしれませんね。

無性愛者の8個のポイント

無性愛者
あなたはこれまでの人生で他人に対して好きだという感情を持ったり、興奮するような感情を持ったことがありますか?

もしもこのような感情を持ったことがあるのであれば、一般的な感覚を持っている性的多数派の考え方かもしれません。

しかし、先ほどご紹介したように無性愛者の方は他人に対して好きだという感情を持ったり、性的に興奮するような感情を持つことはありません。

しかし、これはなかなか自分自身では判断がつきにくいことなのです。

なぜかといいますと、一般的な考え方を持っている人であれば、人を好きになることや興奮するようなことは当たり前の事なので、それが当たり前だと自覚しています。

しかし、性的少数派である無性愛者の方であれば、好きという感情を持たなかったり、興奮するような感情を持たないことが当たり前なので、周りと明確な区別をつけようとしない限り、意識することはありません。

むしろ周りの行動が理解できないので、自分がおかしいと考えたりしない事も多かったりします。

気付いていたとしても、自分もいつかそのような感情を自然に持てるはずだ、と考えて放置する人もいます。

なので、自覚が難しい症状でもあります。

そこで、今回は無性愛者の方に該当するポイントをいくつかご紹介していきます。

もし今自分が無性愛者なのではないか?と考えているのであれば、該当するポイントがあるかどうか確認してみてください。

1、人を好きになる感覚が分からない

人を好きになる感覚が分からない女性
無性愛者に該当するポイントの一つとして人を好きになる感覚がわからないということが挙げられます。

無性愛者の定義として「他者に対して性的な欲求を抱かない性質」という特徴を持っていますので、一番の判断基準はこの部分になりえます。

本来であれば人間は思春期を迎えた頃から異性に対して強く意識し始めます。

しかし、人を好きになる感覚が分からない場合は当然ながらこのような感情を持つことができません。

なので、周りが異性に対しての話をしたり、恋愛の話などをすることに対して全く興味を持てなかったり、理解ができなかったりすることが多くなると思います。

早い方であれば小学生の頃から人を好きになったりする気持ちを持つことがあります。

それと同時に自分自身がほかの人間と少し違う考え方を持っているのかなと薄々感じたりするためもあるかもしれません。