そのためしっかり道徳を理解している人が優位に立つような感じに仕上がっています。
どこか人格の優れている人は偉いてきな感じに見られてしまっているような風潮があるのはそのためです。
道徳をしっかり理解していれば、どなたでも、人格の優れた人になることができるのです。
独立した個人としてのその人の人間性
そもそも人格というのは相手を尊重するものであり、言わば相手の優れた部分の特徴とも言えます。
そこを全面に押し出して良い方向へ持っていくことがうまいのが人格に優れた人です。
どちらかというと行動派の人が多いですね。
要は群れていない人が人格が優れた人になっているという確率が高いです。
はっきり自分の存在意義を出せているので、人より目立ち、人よりすぐれているように思えるのです。
一歩前に出た存在と思ってもらってもよいかと思います。
では、どのようなにすればそのようなことができるかと言いますと、自分よがりではなく、相手のことを考えるようにして動くことが重要です。
自分のことばかりにとらわれていると周囲が見えないばかりか相手の目線を気にしてしまうといった矛盾の中に陥ってしまうので狂うのです。
相手が見えると言うことはそれだけ余裕があると言うことでもあります。
その人の人柄
人はそれぞれ違う特徴があり、みんなが一緒ということはありません。
日本では古くからみんながといった考えがあり、みんなと一緒でなければいけないと言った感じに教わってきました。
そのため、少しでも周囲と違うと自分の人柄に問題があるのではと思うような環境なのです。
しかし、それは必ずしも正解とは言えません。
むしろこれからは一緒ではだめなのではとも言われ始めています。
自分の意見や考えなど特徴を前面に出して相手から否定されてもそれは相手が否定しただけであって、不正解というわけではありません。
むしろ、正解がないと思った方が良いかもしれません。
いままで多数決など、数が多い方が正解といった感じではありましたが、そんなことはありません。
故に少数でもOKなのです。
その人の持つ人柄が発揮されないと意味がありません。
人格者はしっかりとご自身の人柄を理解している人なのかもしれません。
その人固有の人のあり方
相手のあの言動や行動が気に食わない!
そう口にする人がいますが、相手のその行動や言動によって何か起きたことはありますか?
仕事で失敗をして責任を背負わされた。
などと口にする人はいますが、本当にその人が影響しているのでしょうか。
よくよく考えると自分に至らない点があったことから起きているケースが多いと思います。
このように相手の特徴や人柄を尊重できない人は何か起きても相手のせいにしている人が多く、自分を見れていない人がほとんどです。
人格に優れている人は相手は自分を移す鏡のような存在と考えているので、相手をよく見ます。
つまり、相手を見れないと言うことは自分を見れていないと言うことです。
相手を尊重できない人が自分を尊重しろと相手にせまっても無理があると言うことです。
その人はその人であり言動や行動が気に食わなくてもあなたにその人を否定する権利はないのです。
つまり人格とは
ここまでの説明から人格という言葉をもう一度振り返ってみると、道徳的に優れた人のことを言うとありましたが、つまりは、相手を尊重できる人が人格に優れた人の可能性が高いのです。
だからと言ってどうしても好きになれない相手を尊重するのは、何だかと思う人は多いと思います。
しかし、その尊重という言葉が実は曖昧なのです。