それが、「非の打ち所がない人」になれた要因だと思います。
そして、その人にも同じように憧れたり、理想とする「非の打ち所がない人」がいたはずです。
もしかしたら、そういう風にいろいろと考えたりしていなくても、ただ「毎日を効率よくスムーズに何でも物事を進めるにはどうしたらいいのか」と考えて実践しただけなのかもしれません。
生きるという全てのことに対して、自分なりに真剣にコミットする思考をしただけなのかもしれません。
何でも真剣に取り組み、ミスは修正して二度と同じミスをしないようにする。
挨拶や礼儀などのマナーは欠かすことなく、道徳を考え直して日々を生きる。
もし、世の中のみんながみんな「非の打ち所がない人」になっていたら、世の中はどうなるでしょうか。
そう考えてみると、面白い思考の遊びができるかもしれません。
そういうことを時間をかけて考えてみて、実践してみると、いつの間にか自分がそうなれているかもしれません。
要は、自分次第だと思います。
難しく考えてしまうのは、人の悪い癖でもあると思います。
結果的には、シンプルが一番最良の方法だったということもよくありますよね。
「非の打ち所がない人」になるにはどうしたらいいかと考え過ぎるよりも、毎日を必死に生きてみることが、いつの間にか自分を高めることになり、周りが勝手に「非の打ちどころがなない人」だと思うようになるかもしれません。
人に迷惑をかけず、不愉快な思いをさせることなく、やることはきちんとやる。
簡単なことです。
そして、思い出してください。
子供の頃に、両親に言われ続けてきたことではありませんか?