理屈っぽい人は、じぶんが絶対に正しいと思いがちですから、周りにいる人の話を聞かない傾向があります。
それどころか、ときには、じぶんの考えを周りに押し付けるケースもみられます。
ですから、長い話になると、その途中で、相手の発言を妨げるようにもなります。
ここまでくると、嫌われ者となってしまいます。
だからといって、その場で反発すのはよくないでしょう。
理屈っぽい人の発言を素直に受け止め、多数の意見は正しいのだと納得させる工夫をおすすめします。
否定的な意見もズバズバという
理屈っぽい人は、たとえ否定的な意見でも、ズバズバいう傾向があります。
性格がこのタイプの人は、じぶんが一番正しいと考えていますから、周りの話を聞き入れませんし、周りの意見は誤りだと決めつけます。
現実には間違っている意見でもズバズバ言いまくります。
じぶんの意見が間違いだとは思っていないし、周りの正しい意見は聞きません。
じぶんの理屈が「屁理屈」で非難されるものであっても平気でズバズバ喋りまくるわけです。
その結果、「彼は口先だけのダメ人間だ」と批判されるでしょう。
話をまとめたがる
理屈っぽい人は、じぶんの意見が正しいと考えています。
このタイプの性格の人は、周りの「話をまとめたがる」といわれます。
理屈っぽい人は、じぶんが正しいと自信をもっていますから、正しいと考えているじぶんの意見を曲げません。
そこて、いくつかの意見が対立して混乱状態になると、これを一本化してじぶんの意見にまとめようとします。
話をまとめたがるのはそのためと言えるでしょう。
議論好き
理屈っぽい人は、周りと議論するのが好きだといわれます。
このタイプの性格に人は、周りとのコミュニケーションのプロセスにおいても、じぶんの意見の正当性を確かめようとします。
周りと議論するチャンスが多いほど、じぶんの発想の正当性を確認する機会が増えてくるでしょう。
そういう気持ちから周りと議論するのが好きになってきたと、いえるかもしれません。
議論の聞き手はごめんだ、と思っても、これを跳ねのけるのは、おすすめできません。
跳ねのけると、さらに反発して議論は長引いてしまいます。
知識が豊富
理屈っぽい人は、知識が豊富だとみられます。
それというのも、理屈っぽい人には、知識人が多いからでしょう。
幅の広い学問を身に着け、柔軟な思考力を養い、新鮮な感覚で素敵なアイデアを打ち出せるからこそ、知識人といわれるようになったはずです。
学問で精神を豊かにしてきた教養の高いひとは、じぶんの専門以外のエリアについても、興味をもつ傾向があります。
そうなれば、さらに知識は豊富になってくるでしょう。
理屈っぽいから嫌いだ、などいわないで、教養の高い人を見習うようおすすめします。
結果も大事だが、プロセスにもこだわる
理屈っぽい人は、結果を大事にしますが、その結果に辿りつくまでのプロセスにこだわる、といわれます。
そもそも理屈っぽい人は、理論家肌で、筋の取った思考をしますから、もちろん、結果も大事にしますが、その結果としての目標に到達するまでのプロセスを重視するのでしょう。
案件の処理について、到達した結果をみただけでは、その人の人間性までは判明しません。
その人の人間性は、目指す目標に向かって、継続して努力していく、その背中に描きあされるでしょう。
単に、結果としての勝ち負け、優劣にこだわるよりも、その結果に向かって継続的に努力するプロセスこそがたいせつと、考えるのでしょうか。
このような発想に立てば、その能力の高さを重視しないで、毎日を楽しく過ごす工夫が重視されなければならないのでしょうか。