独立することを怖れるか、それとも独立することを怖れないかは、その人のいわゆる
「ビジネスパーソン」としての性格にかかってきます。
現代社会におけるビジネスパーソンには、「変化を楽しむ性格」と「変化を怖れる性格」がみられます。
心理学的視点からすれば、ビジネス環境の変化による「刺激の態様」とこれに対するリアクションとしての「反応」の問題になりましょう。
変化する経営環境にとう順応していくかという心裡状態といえます。
現代は激動の社会といわれます。
変化してやまない未来は足早に到来してきます。
その変化を怖れていたのでは、ビジネスは停滞してしまいます。
そうだとすれば、未来における社会的環境の変化を素直に受け入れ、順応していくようおすすめします。
変化していく新しい環境に順応していくためには、それなりのエネルギーが必要になりましょう。
古い衣を脱ぎ捨て新しいスーツに着替える勇気をだしましょう。
友人=戦友
理屈っぽい人は、友人を対立する敵のように見ないで、生死を共にする「戦友」のように思っています。
平和な時代がつづいて「戦友」というカテゴリーは、聞きなれない言葉になっています。
本来の戦友とは、戦場においてともに戦った仲間です。
飛び来る弾丸のなかで、生死をともにした友人です。
一生、忘れることはありません。
しかし平和な現代では、ビジネスとかスポーツなどのエリアでも、戦友のカテゴリーはもちいられています。
たとえば、マラソン大会に参加した戦友などといえます。
理屈っぽい人は、じぶんの友人を「戦友」とみているのですから、そのハートのなかは、よくわかります。
理屈っぽい人は、ハートのなかに沸き起こる感情ではなく、冷静に論理的な生き方をしています。
ですから筋道を通す友人は、生死をともにした戦友のように思っているのでしょう。
理屈っぽい人って何を考えているの?
そうすると、理屈っぽい人は、じぶんのハートのなかで何を考えているのか、気になってきませんか。
そのハートのなかを探ってみましょう。
考えを正してあげようとしている
理屈っぽい人は、近寄りにくいようにもみえますが、ハートのなかでは、周りの考えを正してあげようとしているのでしょう。
人間が生存する社会において、何が正しい真実か、何が正当化される正義かは、絶対的なものではなく、相対的なものです。
そうだとすれば、じぶんが正しいからといって、周りに押し付けるのはよくありませんが、それでも、周りが間違っているケースでは、これを指摘し、その考えを正してあげるのが望ましいというべきでしょう。
人の間違いを正すのは、かなり難しいかもしれません。
その誤りを指摘し、改善するのはさらに困難でしょう。
しかし、だれかが、その役割を果たさなければ、社会は混乱するかもしれません。
理屈っぽい人は、その役割を担う人といえましょう。
私は間違っていない
理屈っぽい人は、じぶんが正しい、と思いこんでいますから、私は間違っていないと信じていりのでしょう。
だれよりも、じぶんが一番、正しいと考えているわけです。
ですから周りの話には耳を貸さない傾向があります。
じぶんを信じきっていますから、客観的には間違った考えでも、じぶんの発想が正しく、周りに発想は間違いだと決め込んでしまいます。
このため、理屈っぽい人は、周りから、がんこ者ではなしにならない、しようがないダメ人間といわれるおそれもあります。