家庭はじめ近隣、職場などにおいて理屈っぽい人はいませんか。
理屈っぽい人は、周りから尊敬されるでしょうか。
それとも迷惑だと敬遠され、のけ者にされてしまうのでしょうか。
このページでは理屈っぽい人の特徴にスポットライトをあて、理屈っぽい人の性格を探り、理屈っぽい人は何を考えているか、その気持ちを洞察したうえで、理屈っぽい人と上手に交流するテクニックをご紹介しましょう。
理屈っぽい人はいい?それともアウト?
理屈っぽい人は、いい人として受け入れられるでしょうか。
それとも、あまりいただけないアウトとして敬遠されるでしょうか。
どちらかは、その人の生活環境、人生観などによって異なります。
理屈っぽい人が大好き!
まず、理屈っぽい人が大好きなグループがあります。
理屈っぽい人は、知識が豊富で、思考は筋が通って論理的だし、周りに物事の正しさを教えてくれます。
大学教授、裁判官、弁護士などのエリートは、みんな論理的思考ができます。
論理的な思考のできる階層のお陰で国家社会の秩序が維持されています。
ときには厳しい批判をするとか、はなしが長すぎるシーンもみられますが、敬遠するのはどうかと考えられます。
男性を選ぶなら、理屈っぽい人を選びましょう。
理屈っぽい人はいい、とおっしゃる方は、こうした見方をしています。
理屈っぽい人が嫌い!
これに対し、理屈っぽい人が嫌い、とするグループも想定されます。
理屈っぽい人は、なぜ嫌われるのでしょうか。
このタイプの人は、じぶんに自信があり、じぶんが正しいと思っていますから、周りの話を受け入れないで、跳ねのけてしまいます。
なんとなく、感情が欠落した状態で、冷たく感じられてしまいます。
じぶんが正しいというのは、理屈ではなく、ハートのなかの感情でしょう。
嫌いなグループの気持ちもわからないではありません。
現実の社会では、肉体労働、商業経営など現場で働く階層では、理屈っぽい人を嫌う傾向があるかもしれません。
これに対し、政治家、法律家、学者、教師など指導者階級では、理屈っぽい人を評価しているのではないでしょうか。
理屈っぽいとは?
それでは、「理屈っぽい」の正体はどうか。
そもそも「理屈っぽい」とは、どんな状態をいうのでしょうか。
その「意味」が気になりますし、「理屈っぽい」という表現の「使い方」も探ってみたくはありませんか。
意味
まず、「理屈っぽい」の意味はどうでしょうか。
一言でいえば、「理屈っぽい」とは、「正論でものごとを判断する」仕方です。
ですから、周りが間違いをするとか、説明できないシチュエーションでは、激しく抵抗する傾向がみられます。
周りの人のハートの動きとか、感情にこだわらないで、言葉の筋とか論理を重視して態度を変えていきます。
じぶんの意見を「正論」として周りに強調します。
使い方
それでは「理屈っぽい」の「使い方」見ておきましょう。
具体例をあげると、「理屈っぽい男だ」とか「理屈っぽい女だな」とか、「理屈っぽい野郎だ」などと、上から見下げた使い方があります。
そして、「理屈っぽいようだが理屈にあわないことをいうな」、「理屈っぽい愛情で彼女を苦しめる」、「お前のは理屈っぽい感覚だ」、「理屈っぽい主観を押し付けるな」などという使い方も考えられましょう。
理屈っぽい人の12の特徴
そうすると、理屈っぽい人」には、どんな特徴があるでしょうか。
12の特徴を探ってみてはどうでしょうか。
細かいところにこだわる
理屈っぽい人は、すべてにおいて細かすぎるといわれます。
緻密な神経を備えているせいでしょうか。
ビジネスのエリアでは、細かい仕事にもこだわる必要があります。
しかし、あまりにも細かすぎて、「あら捜し」になるのはおすすめできません。
ときには、理屈っぽい人が、じぶんの欲求を満たすためだけに、周りのミスを指摘しようとしているシチュエーションでは、「はいわかりました」と受け流し、必要以上に気にしないほうがよいでしょう。
がんこ
理屈っぽい人は、「頑固(がんこ)」な性格だといわれます。
理屈っぽい人は、じぶんが正しいとハートのなかで決めていますから周りの意見を受け入れようとしないで、じぶんの意見を意固地に主張しがちになれます。
ですから、周りからは「がんこだ」といわれてしまいます。
そういわれても、じぶんは正しいと考えていますから、最初からじぶんの意見を曲げるつもりなどないのでしょう。
ですから、じぶんの意見が否定さると、周りと鋭く対立してしまい、黙っていられないで、周りと対立し、正面衝突しまいます。
そうなると、その場は混乱状態になりますから、それを避けるためには、まともに対応しないで、反発されない工夫がたいせつです。
この人はこうした性格なのだから、と認めて、波風をたてないよう、適当に受け流すようおすすめします。
納得行くまで時間をかける
理屈っぽい人は、じぶんが納得するまで、時間をかけて案件に取り組む傾向があります。
このタイプの性格の人は、もともと、じんのしっかりした考えをハートのなかに持っていますから、その考えとは別の発想に順応しようとはしません。
それだけに、案件に取り組み、納得できるまで真剣に取り組みますから、時間がかかるのでしょう。
じぶんの考えが絶対に正しいとする、理屈っぽい人の気持ちはわかりますが、現実社会のビジネスでは、対立する相手方の発想や姿勢を考慮しないと、ビジネスの処理が難航してしまいます。
そうしたシチュエーションに立つと、「理屈っぽい人」は、じぶんの考えに固執しているため、納得できないことをするケースでは、ああすべきか、それともこうすべきか、と悩みますから、案件の処理に時間がかかります。
プライドが高い
理屈っぽい人は、プライドが高いといわれます。
このタイプの性格ですと、じぶんの発想が絶対に正しいと決めているのですから、揺るがないプライドをもつようになります。
じぶんが正しいと考えているエリアに、反対の発想を持っている人を立ち入らせません。
ビジネスのエリアだけでなく、プライベートのエリアにおいても、高いプライドを保有しています。
プライドの高い人とは、付き合いにくいでしょう。
うまくコミュニケーションを継続していくためには、プライドを傷つけない工夫がたいせつになります。
ときには笑顔で、シチュエーションによっては、尊敬しているようなポーズをとるのもよいでしょう。
【プライドが高い人については、こちらの記事もチェック!】
かなりの自信家
理屈っぽい人には、かなりの自信家が多くみられます。
自分に自信を持っていますから、周りが誤った処理をしているケースでは、その誤りを指摘し、正しい方向で処理します。
それだけに周りからは、この人なら大丈夫と、頼りがいがあります。
この側面では評価されます。
人の話を聞かない人が多い
理屈っぽい人は、じぶんが絶対に正しいと思いがちですから、周りにいる人の話を聞かない傾向があります。
それどころか、ときには、じぶんの考えを周りに押し付けるケースもみられます。
ですから、長い話になると、その途中で、相手の発言を妨げるようにもなります。
ここまでくると、嫌われ者となってしまいます。
だからといって、その場で反発すのはよくないでしょう。
理屈っぽい人の発言を素直に受け止め、多数の意見は正しいのだと納得させる工夫をおすすめします。
否定的な意見もズバズバという
理屈っぽい人は、たとえ否定的な意見でも、ズバズバいう傾向があります。
性格がこのタイプの人は、じぶんが一番正しいと考えていますから、周りの話を聞き入れませんし、周りの意見は誤りだと決めつけます。
現実には間違っている意見でもズバズバ言いまくります。
じぶんの意見が間違いだとは思っていないし、周りの正しい意見は聞きません。
じぶんの理屈が「屁理屈」で非難されるものであっても平気でズバズバ喋りまくるわけです。
その結果、「彼は口先だけのダメ人間だ」と批判されるでしょう。
話をまとめたがる
理屈っぽい人は、じぶんの意見が正しいと考えています。
このタイプの性格の人は、周りの「話をまとめたがる」といわれます。
理屈っぽい人は、じぶんが正しいと自信をもっていますから、正しいと考えているじぶんの意見を曲げません。
そこて、いくつかの意見が対立して混乱状態になると、これを一本化してじぶんの意見にまとめようとします。
話をまとめたがるのはそのためと言えるでしょう。
議論好き
理屈っぽい人は、周りと議論するのが好きだといわれます。
このタイプの性格に人は、周りとのコミュニケーションのプロセスにおいても、じぶんの意見の正当性を確かめようとします。
周りと議論するチャンスが多いほど、じぶんの発想の正当性を確認する機会が増えてくるでしょう。
そういう気持ちから周りと議論するのが好きになってきたと、いえるかもしれません。
議論の聞き手はごめんだ、と思っても、これを跳ねのけるのは、おすすめできません。
跳ねのけると、さらに反発して議論は長引いてしまいます。
知識が豊富
理屈っぽい人は、知識が豊富だとみられます。
それというのも、理屈っぽい人には、知識人が多いからでしょう。
幅の広い学問を身に着け、柔軟な思考力を養い、新鮮な感覚で素敵なアイデアを打ち出せるからこそ、知識人といわれるようになったはずです。
学問で精神を豊かにしてきた教養の高いひとは、じぶんの専門以外のエリアについても、興味をもつ傾向があります。
そうなれば、さらに知識は豊富になってくるでしょう。
理屈っぽいから嫌いだ、などいわないで、教養の高い人を見習うようおすすめします。
結果も大事だが、プロセスにもこだわる
理屈っぽい人は、結果を大事にしますが、その結果に辿りつくまでのプロセスにこだわる、といわれます。
そもそも理屈っぽい人は、理論家肌で、筋の取った思考をしますから、もちろん、結果も大事にしますが、その結果としての目標に到達するまでのプロセスを重視するのでしょう。
案件の処理について、到達した結果をみただけでは、その人の人間性までは判明しません。
その人の人間性は、目指す目標に向かって、継続して努力していく、その背中に描きあされるでしょう。
単に、結果としての勝ち負け、優劣にこだわるよりも、その結果に向かって継続的に努力するプロセスこそがたいせつと、考えるのでしょうか。
このような発想に立てば、その能力の高さを重視しないで、毎日を楽しく過ごす工夫が重視されなければならないのでしょうか。
理屈っぽい人のハートのなかには、あまりにも結果にこだわるよりも、やれるだけのことを努力してきた、という満足感こそたいせつだと思っているのでしょうか。
それに、結果だけで評価するのは、短絡的だとも考え、仮に不器用でも頑張る人でありたいという願望があるのかもしれません。
言い回しがややこしい
理屈っぽい人は、その話のなかで、「言い回し」がややこしい、といわれます。
それはなぜでしょうか。
理屈っぽい人は、論理的に話の筋を通そうとします。
話を論理的にすすめるためには、複数の話の接続詞を適切にもちいなければなりません。
たとえば、「そもそも」とか、「もちろん」、「いわゆる」、「要するに」などの品詞を多く使用します。
そうすると、それだけ、「言い回し」が増え、話がややしこくなりましょう。
理屈っぽい人の性格も知ろう!
すると、理屈っぽい人とは、どのような性格なのか、気になりませんか。
理屈っぽい人の性格も確かめましょう。
筋を通したがる
理屈っぽい人は、なによりも筋を通したがります。
筋の通る論理的な思考の持ち主だからです。
お近くに筋を通したがる人はみまれませんか。
筋を通したがる人は、性格が几帳面ですから、約束はきちんと守りますし、借りたは必ず返しますから、安心できます。
しかし、その反面、あまりにも律儀(りちぎ)で誠実ですと、付き合いにくい感じにもなります。
職場の上司が、このタイプですと、部下の苦労が察せられます。
近隣に、このタイプの人がいるときは、相手を尊敬する振りをして、柔らかい応対をされるようおすすめします。
独善的
理屈っぽい人には、独善的な性格がみられます。
理屈っぽい人は、じぶんが正しいと思い、自信に満ち溢れていますから、じふんの主張しか認めない独善的な態度になりがちです。
じぶんの発想しか認めない自己中心主義の価値観ですから、生き方についての自己中心的な考えが日常生活のエリアでも独善的な態度になってしまうわけです。
じぶんが正しいと思い込んでいますから、ときには、周りの意見に反発して、攻撃的になってしまいます。
じぶんの価値観に反する周りの状況に直面すると、じぶんに従わせようと周りに対して攻撃的なアクションをとります。
職場で部長、課長、係長など管理職にある人が、独善的な性格のケースでは、職場に弊害をおよぼす危険が指摘されます。
部下がある案件について、素敵なアイデアを提案しようとしても、その正論に対する独善的な上司の反論を怖れて提案を控えてしまいます。
これでは、進展ができません。
ですから、管理職のポジションに座っている人には、あまりにも独善的にならないようおすすめします。
好き嫌いの幅が広い
理屈っぽい人には、好き嫌いの幅が広い傾向があります。
じぶんが正しいと考え、自信を持っていますから、じぶんの好き嫌いを明確にしようとします。
ですから、「好きか嫌いかのポジション」を明確にしていない周りを軽蔑してしまう傾向がみられます。
自己中心的な価値観から、じぶんの好き嫌いを強調してしまいます。
たとえば、会社の取締役会で、経営戦略の議論をしているケースで、じぶんの戦略の正当背を強調するあまり、周りの戦略の長所を見逃してしまいます。
おなじような弊害は、国会の委員会にいても想定されます。
じぶんの好き嫌いまでを周りに押し付けるのは、おすすめできません。
独立することに恐れがない
理屈っぽい人は、じぶんが新たなエリアに独立することを怖れません。
独立することを怖れるか、それとも独立することを怖れないかは、その人のいわゆる
「ビジネスパーソン」としての性格にかかってきます。
現代社会におけるビジネスパーソンには、「変化を楽しむ性格」と「変化を怖れる性格」がみられます。
心理学的視点からすれば、ビジネス環境の変化による「刺激の態様」とこれに対するリアクションとしての「反応」の問題になりましょう。
変化する経営環境にとう順応していくかという心裡状態といえます。
現代は激動の社会といわれます。
変化してやまない未来は足早に到来してきます。
その変化を怖れていたのでは、ビジネスは停滞してしまいます。
そうだとすれば、未来における社会的環境の変化を素直に受け入れ、順応していくようおすすめします。
変化していく新しい環境に順応していくためには、それなりのエネルギーが必要になりましょう。
古い衣を脱ぎ捨て新しいスーツに着替える勇気をだしましょう。
友人=戦友
理屈っぽい人は、友人を対立する敵のように見ないで、生死を共にする「戦友」のように思っています。
平和な時代がつづいて「戦友」というカテゴリーは、聞きなれない言葉になっています。
本来の戦友とは、戦場においてともに戦った仲間です。
飛び来る弾丸のなかで、生死をともにした友人です。
一生、忘れることはありません。
しかし平和な現代では、ビジネスとかスポーツなどのエリアでも、戦友のカテゴリーはもちいられています。
たとえば、マラソン大会に参加した戦友などといえます。
理屈っぽい人は、じぶんの友人を「戦友」とみているのですから、そのハートのなかは、よくわかります。
理屈っぽい人は、ハートのなかに沸き起こる感情ではなく、冷静に論理的な生き方をしています。
ですから筋道を通す友人は、生死をともにした戦友のように思っているのでしょう。
理屈っぽい人って何を考えているの?
そうすると、理屈っぽい人は、じぶんのハートのなかで何を考えているのか、気になってきませんか。
そのハートのなかを探ってみましょう。
考えを正してあげようとしている
理屈っぽい人は、近寄りにくいようにもみえますが、ハートのなかでは、周りの考えを正してあげようとしているのでしょう。
人間が生存する社会において、何が正しい真実か、何が正当化される正義かは、絶対的なものではなく、相対的なものです。
そうだとすれば、じぶんが正しいからといって、周りに押し付けるのはよくありませんが、それでも、周りが間違っているケースでは、これを指摘し、その考えを正してあげるのが望ましいというべきでしょう。
人の間違いを正すのは、かなり難しいかもしれません。
その誤りを指摘し、改善するのはさらに困難でしょう。
しかし、だれかが、その役割を果たさなければ、社会は混乱するかもしれません。
理屈っぽい人は、その役割を担う人といえましょう。
私は間違っていない
理屈っぽい人は、じぶんが正しい、と思いこんでいますから、私は間違っていないと信じていりのでしょう。
だれよりも、じぶんが一番、正しいと考えているわけです。
ですから周りの話には耳を貸さない傾向があります。
じぶんを信じきっていますから、客観的には間違った考えでも、じぶんの発想が正しく、周りに発想は間違いだと決め込んでしまいます。
このため、理屈っぽい人は、周りから、がんこ者ではなしにならない、しようがないダメ人間といわれるおそれもあります。
あなたを信じたい
理屈っぽい人のハートのなかには、「あなたを信じたい」という気持ちが潜んでいるのでしょうか。
理屈っぽい性格の人は、じぶんが正しいと信じていますし、じぶんがやることに自信を持っています。
じぶんが正しいと思い込み、周りに疑問を抱いていますから、周りの人を心の底から信じることができません。
職場の上司、勤務先の同僚、友人、恋人などを信じられません。
それどころか、じぶんが暮らしている家族さえも信じられないという異常な心理状態に陥る危険性さえあります。
細かいことまで疑いの目を向け、じぶんが周りに信じてもらいないと、悲観的な気持ちになってしまいがちです。
そうなると、ますます自己嫌悪の心理状態に落ち込んでしまい、苦しい心理状態から脱出したいと思うようになります。
人を信頼できるようになれば、現在の苦しみから抜けせると思っていると、心理学的には「防衛機制」がはたらき、周りに対し「あなたを信じたい」というメンタルなシチュエーションに転換していくでしょう。
あなたの考えはもうダメ
それでは、人を信じられないで、もがき苦しんでいる「理屈っぽい人」は、「あなたの考えはもうダメ」と、じぶんに言い聞かせられるでしょうか。
それとも「あなたの考えはダメ」と言ってくれる人を求めているのでしょうか。
彼のハートのなかを抉り出してみてはどうでしょうか。
人間だれでも生まれたときから、理屈っぽい人はいないでしょう。
生まれ育った家庭環境とか、就学してからの教育環境などの影響をうけていくプロセスにおいて、自然に理屈っぽい性格の人間が形成されるわけです。
そうすると、これまで生きてきた環境の影響によって形成されてきた「理屈っぽい性格」は、すでに形成されてきた心的な構造ですから、じぶんの意見は曲げられない、じぶんを守るためには「理論的な武装」をする、じぶんに自信を持っている、筋を通した行動を押し出すなどいう性格を短期間に転換するのは困難でしょう。
それでも、じぶんの理屈っぽい性格をいくらかでも、「理屈っぽくない性格」に向けて改善したいと考え、「あなたの考えはもうダメ」と、じぶんに言い聞かせられるでしょか。
おそらく、それはむりでしょう。
じぶんが正しいという気構えをそう簡単に転換するのは困難ですから、そうじぶんに言い聞かせても効果は期待できないからです。
そうすると、周りの人から「あなたの考えはもうダメ」と、周りから言ってもらうしかありません。
おそらく、無意識のうちに、「あなたの考えはもダメ」と警告してくれないかと、念じているにちがいありません。
理屈っぽい人は裏を返せば素直!(まとめ)
これまで見てきた結果として、理屈っぽい人の特徴が明らかになりました。
そのうえ、理屈っぽい人の性格、を確かめ、さらに理屈っぽい人って何を考えているのかも探ってみました。
そこで、よく考えてみれば、理屈っぽい性格に人には、近づきにくい一面もありますが、その裏を返せば、素直な側面もあります。
素直さは評価されてよいでしょう。
その素直さを認めたうえで、最後に理屈っぽい性格の人と上手に付き合うコツとして対応のテクニックを整理知しておきましょう。
理屈っぽい人への対応方法とは?
お住まいに家庭はじめ職場、学校、大学などのほか、お近くにも理屈っぽい性格の人がいられることでしょう。
理屈っぽい性格の人は、誠実で、約束をよく守り、知識が豊富でなんでも教えてくれますし、尊敬に値する人格者ですが、あまりにも見識が高く、近づきにくいので当惑してしまいます。
そうおっしゃる方のために、理屈っぽい性格の人と上手に交流するテクニックとして、その対応方法をご紹介します。
近隣や職場で理屈っぽい性格の人との会話を進めていくと、こちらは緊張して疲れてしまいます。
そこでそうならないように対応方法に工夫するのがたいせつになります。
そこで理屈っぽい性格の人の特徴とか、その心理を理解するとともに、うまく対応していきましょう。
まずは、理屈っぽい人の特徴について見てみましょう。
なんといっても、このタイプの人は「理論的な武装」をしますから、その理論に押したおされないような気構えになりましょう。
理屈っぽい人は、なんといっても周りを論破することために必死になってきます。
その強力な姿勢に振り回されないよう心理的に構えましょう。
その論破を軽く受け流すようおすすめします。
ときには、「はあ。なるほど、そうですな」と、こちらが折れるのもよいでしょう。
もっと端的にいえば、そういった理屈っぽい性格の人には、なるべく関わりをもたないほうがよいでしょう。
これも対応のポイントと言えるでしょう。
軽く受け流すことが対応方法として効果的でしょう。
理屈っぽい人と真っ向から対立してみても、理論的な勝ち目はほとんどありません。
それに、たとえ、こちらの意見が正しくても、理屈っぽい性格の人は、その意見を認めようとしません。
具体的なポーズとしては、理屈っぽい性格の人の意見を聞いているフリをして、その場が収まるのを待つのもよいでしょう。
職場などで仕事中のケースにおいては、ちょっと忙しいのでなどと、頭をさげてそのエリアから逃れる手法もありましょう。
そうすると、理屈っぽい人とは、まともに取り合わないことがポイントのひとつといえましょう。
なんだか、情けないはなしになってきましたが、理屈っぽい性格の人が、理論的に押し寄せてきても、向きになって理屈っぽい性格の人事アクションに対応しないで、できるだけ関わりに抑えるようおすすめします。
もっとも、職場における仕事などで関りが必須のケースでは、受け身の姿勢で応対するしかありません。
それに、「どうしても関わらなければならない」ときは、やむをえませんが、それ以外のケースでは、は、関わりを避けるようおすすめします。
このような応対をしたからといって、非難されないかと、気にすることはありません。
早い話が、理屈っぽい性格の人にとっては、じぶんの気持ちを満足させるためのアクションに対して付き合う必要はないからです。
要するに、ここで想定したようなじぶんのストレスを抱え込まないようにする工夫が大切だという帰結になりましょう。
これまで見てきた、理屈っぽい性格の人の12の特徴をもう一度、確認されるようおすすめします。
ああ、この人は理屈っぽい性格の人なのだと、素直に受け止め、理屈っぽい性格の人の立場になって、理屈っぽい性格の人のハートの状態に配慮して、なるほど、そうですか、お気持ちはよくわかります、というような寛大な心理状態にじぶんの精神状態をコントロールするようおすすめします。
日常の家庭生活はもとより、近隣の人との交流とか、職場における上司や同僚、部下との関係においても、理屈っぽい性格の人との交流方法を工夫して、理屈っぽい性格の人と、理屈っぽくない性格の人との生き方を調和するようおすすめします。
相互に理解しあったポーズで生きていけば、健康寿命を全うすることができるでしょう。