このほか、似たような相づちに「あーね」というものもあり、これは「あーなるほどね」という納得のニュアンスを表す言葉を短縮したものです。
現在「それな」にせよ「あーね」にせよLINEなどの普及によりよりスピーディーな返事を返すためにも短縮形や短く簡単にまとめられた言葉が生まれ多用されています。
このようにSNSは若者たちの大事なコミュニケーションツールの一つであり、その中でうまく楽しくスピーディーに相手に伝わるよう振舞うのが量産型大学生の務めとも言えます。
そのためには、こういった相づち系の若者言葉は必然的に流行していくものでしょう。
ワンチャン
「OneChance(ワンチャンス)」の略語(といっても「ス」一文字しか省略されていませんが)で、元々は麻雀用語で「一発逆転(できる)」という意味だそうです。
それが転じて、現在の量産型大学生の間では「もしかしたら」という意味で使われています。
おそらく、一時の流行語レベルでそのうち廃れて使われなくなるように思います。
とりま
「とりあえずまあ」と言いたいところを略して「とりま」と言います。
こちらも「それな」同様、LINEなどで簡単に返信するときによく使われる言葉です。
「とりあえずまあ」っていう言葉自体がなんだか本質を伴わない言葉に聞こえてしまいますが、一旦間を置こう、ひとまず区切りをつけようという時にマイルドな感じで表現するために使います。
例えば、LINEなどでたわいのない会話をそろそろ終わらせようと「ではまたのちほど」いうニュアンスで使ったりします。
他には、デートでお互いが特に予定を決めていなかった時、「とりまカラオケいくか」というように、まさに「とりあえず」として使います。
一方で飲み屋の店員さんに「とりまビール」といっても通じない可能性があるので、そういう場では使わない方がよさそうです。
授業以外の時間を持て余し、いつも複数でつるむのを生活スタイルとする量産型大学生にとって、「とりあえず~しよう」と自分たちの方向性を決めるのには必要な言葉でしょう。
まじ
ひと昔前から若者たちの間で多用されてきたことばで、「マジビビった(本気でびっくりした)」、「マジか?マジで?(本当に?)」というように使われます。
この「まじ」を使うと、「本気で」「本当に」と言うよりも、大げささが増して逆に信頼度が薄まります。
相づちとして使っていてもあまりにも多用してしまうと「この人本当に話を聞いてくれてるのかな?」と疑問を持たれる可能性もありますが、話の内容がそれほど話し手にとってもたいしたものでない場合、表情豊かに大げさに驚いてくれる感じがして、ある意味助かる場合が多く、「まじ」を多用する人のキャラクターとしては場を和ますムードメーカー的な人が多いと思います。
沢山の学友と関わり、サークルなどのコミュニティに所属したり、コンパに顔を出さなくてはならない大学生にとって、「まじ」は非常に重要なキーワードといます。
量産型大学生はやはり誰かに造られている?
上記の量産型大学生にあるあるな共通点をご覧になっていかがでしたでしょうか。
おそらく、「それら以外に何着りゃいいの?どのブティック行ったって同じようなものが置いてあるし選択肢あんまり無くない?」
「髪型もそれら以外どんな髪型にすればいいの?モノには流行りがあって、個人個人がそれを着たい、そんなヘアースタイルにしたいと思うのは当たり前でしょ?」
「それから、口癖だって、使う単語が同じでも、話す内容は違うと思うんだけど」
「それだけじゃない。
話す内容が違えば、考え方も違うし、趣味も経験もみんな違ったモノを持ってます!」
「たったこれだけで量産型大学生って呼ばれて、個性が埋もれてるなんて呼ばれる理由がわからない」
といったように思われたんじゃないかと思います。
確かに、「姿形が似ているイコール個性が無い」とは言い切れません。
個性に溢れ、バラエティが豊富な若者達であっても、世の中に「流行」というものがあるのなら、着るもの、使うもの、やること、話すことは限られてくるわけです。
そう考えると、同じ服、同じ髪型、同じ言葉を使うというだけのくくりで大学生を「量産型」とするならば、やはり誰かに、いや何かによって彼らは量産されていると考えるべきかもしれません。
量産型大学生とは
上記ではこんな格好してると量産型大学生、あんな髪型してると量産型大学生、そんな言葉遣いは量産型大学生。
というお話でした。
ここからは、改めて量産型大学生とはどんなものか総体的に考えていきましょう。
その中で、物にはいいところ・悪いところやメリット・デメリットが必ずあります。
なので、何度も言いますが、ここでは、量産型大学生自体が良い存在か悪い存在かを考えることはしませんが、量産型大学生(になること)のメリット・デメリットは考えてみたいと思います。
量産型大学生
まず、「量産型」という言葉の意味はというと、同じ規格で大量に生産されている製品のことをいいます。