自分が量産型という自覚がないことが多い
皆、自分の着たい服を着て、被りたい帽子を被り、履きたい靴を履く。
そして、好きなものを集め、世間で話題になっていることを話す。
そうやって生きています。
一人一人自分の価値観で何事も決めているようなんですが、実は世の中のトレンドはその一人一人の価値観が同じだから生まれます。
つまり、人は自分の価値観で自分(だけ)が好きなものを選んでいるようで、実は大きなトレンドに流されているのです。
だから、ちょっとまわりを見渡せば、自分の漕いでいる船の他にも沢山の船が同じトレンドという河を下っていっているのに気づきます。
それまでは自分もやはり「量産型」だとは気づかないことが多いでしょう。
ただ、自分が量産型であることに気づかないことはなんのデメリットでもありません。
量産型であること自体がデメリットではないからです。
ここで言いたいのは、自分は自分の好きなことをしているようでも、見た目は他と同じにしか見えないということです。
まとめ
「量産型大学生」という呼び方には一種の皮肉が混じって聞こえると述べました。
それは逆に量産型大学生というカテゴリーから外されてしまった人たちが羨ましがって「オシャレ」で「イケて」る、「イマドキ」の大学生をそう呼んでいるのではないかと。
その証拠に、「量産型」にカテゴライズされていそうな大学生達はそれほどそう呼ばれることを気にはしていません。
女子は「量産型男子学生」を見て「カッコいい」と思えるみたいですし、男子は「量産型女子学生」を見てドキドキしているようです。
ですから、逆に量産型大学生と呼ばれる方が一つ称号をもらったような感じになるのではないでしょうか。
もちろん、それを言い換えれば、他と同じ格好していないと不安になるという若者の深層心理からきているものであって、「量産型大学生」になることは何もすごいことではないことも理解できました。
しかし、調べていくうちに、確かに「あの人、チノパン履いているから量産型、パーマかけてるから量産型、いつもマジって言うから量産型」とカテゴライズされるには、そのファッションもヘアスタイルも口癖も幅があり過ぎにおもいます。
ですから、量産型同士と思わる2人を並べてみたとき、マクロで見ると双子の様に見えても、ミクロでみると違いはたくさんあると思います。
世の中に流行と言うものがあって、それによって第1次産業から第6次産業まで、トレンドは動かされているわけで、大学生のみならず、人はある意味同じものを着せられ同じ格好にしなければならないことの方が多いはずです。
そんな世界で、若者たちは友達と揃えるのを楽しみ、その中でちょっとずつ人と変化をつけることをまた楽しんでいることと思います。