日本を含むアジア圏での文化
お歯黒の文化があるのは日本だけではありません。
アジア圏では比較的お歯黒の文化が広まっていたようであり、歴史に大々的に出てくるわけではないものの、現代でもアジアの小さな民族ではお歯黒の文化が残っています。
例えばそれはタイやベトナムなどですし、中国の小民族でもお歯黒の文化があります。
日本国内で言うと、アイヌ民族は男女ともに成人の印としてお歯黒を行う文化が伝えられてきています。
最も、その文化も、例えばラオスなどでは現代ではあまり行われてないようになってきているなど、変化はあるようですね。
今後もその文化が残っていくかどうかというところは、そういった歴史や文化を引き継いできた民族の変化によるところが大きいのではないでしょうか。
草木や果実で歯を染める
それでは、ここからは染め方について見てみることにしましょう。
お歯黒の染料には何が使われていたか、と言われると、最初は草木や果実だったというのが答えのようです。
草木や果実を使って染め始めたというのは、日本で古来から見られる方法で、鉄器が入ってくる前にはこの方法でお歯黒が行われていました。
発掘された古代の人骨からお歯黒の跡が見られるなど、かなり古い時代から行われていたようであり、その時代には草木や果実が主流だったのでしょう。
のちに鉄で染める方法も出現
最も、ずっと草木や果実で染めていたわけではありません。
歯のエナメル質はかなり強い素材であり、そう簡単に染めることはできませんから、のちには鉄を使って染める方法も出現してきました。
鉄器が入ってきた時代からのことですね。
ただ、鉄器が入ってきてからすぐにお歯黒に使われ始めたとは思われませんから、ある程度、鉄の生産が簡単にできるようになってきてからのことでしょう。
明治時代あたりまで使われた
お歯黒というと古い文化のように思われるかもしれませんが、古代で終わってしまった文化ではありません。
明治時代までは普通に行われていた文化であり、既婚女性はお歯黒をきちんと行っていたと言われています。
最も、明治3年に入ると、お歯黒は制度として禁止されてしまいました。
これは、外国との交流が増えたからという理由もあるでしょう。
外国にはこのようなお歯黒の文化がありませんでしたから、不潔なように見えて眉を顰める欧米人も多かったと言われています。
明治時代の始めにこうして廃止されてしまった文化は、現代では伝統芸能の中でしか残っていませんし、その中でも美の象徴として使われているわけではなく、醜悪の象徴として使われることが多くなっているようですね。
東北では昭和初期にも見られた
制度として明治初期に禁止されたお歯黒ですが、この時代は今ほどに全国が統一して一つの歩みを進めていたわけではありません。
日本と言っても東京から遠くの土地に行ってしまい、それほど都会でもなければ、文化に取り残されることもあるでしょう。
そのために、都会部ではすぐにお歯黒が廃れていきましたが、田舎に行くとお歯黒の文化がまだ残っていると言ったことも珍しくはなかったようです。
東北地方などでは昭和初期にもお歯黒の女性が見られたようで、その廃れていった時代に関しては地域によって差があったと考えても良いでしょう。
最も、昭和中期あたりになるとほとんどの地域でお歯黒は見られなくなったようで、それ以来、日本ではお歯黒の文化は再興することがありませんでした。
お歯黒による美しさと意味
現代では理解されることがありませんが、お歯黒は美の象徴とされてきました。
それでは、お歯黒はどうして美の象徴とされてきたのでしょうか。
また、どのようなメリットがあってその文化が残ることとなったのでしょうか。
現代の人では理解できないと思われがちですが、実はお歯黒文化の裏には現代人でも理解できる「美しさの意味」があるかもしれません。
これについて見てみることにしましょう。
むらなく艶のある漆黒が美
まず、美しいお歯黒というのは、村がなくて艶のある美しい色のことを言いました。
これは確かにそうですよね。
まだらに黒くなっていると何となく不潔なような気がしてきますが、むらなく染められた漆黒であれば、歯を黒く染めることに対しての理解はできなくとも、むらなく染められた黒が美しいという意味は理解することができるでしょう。