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精進とはどういう意味?正しい用法と類似な使い方、使い所を紹介します


ビジネスの場面などでよく耳にする機会のある「精進」という言葉。

その言葉の正しい意味や使い方をあなたはきちんと理解出来ていますか?

うっかり間違った使い方をしてしまうと、場合によっては大変な恥をかいてしまうかもしれません。

社会人であれば誰でも常識としてマスターしておきたい「精進」の正しい意味や使い方について、細かくご紹介していきます。

当たり前に使っているけれど、実は意味や使い方があやふやだという人は、ぜひこの機会に改めて「精進」について再確認しておきましょう!

この記事の目次

「精進します」は合っている?使い方や意味は?

あなたは日頃、「精進します」という言葉を使うことがありますか?この言葉は主にビジネスの場面で用いられることが多いです。

そのため、会社の取引先や上司などに対して、「精進します」という言葉を使う機会があるかもしれません。

こうした敬語は、学生の頃に何度も使う練習をしたわけではないのに、気付けばいつの間にか自分でも使うようになっていたという人は少なくないでしょう。

周りの人たちが使っているのを耳にして、「そうか、こういう場面ではこう言うのだな」と学んで自らも使うようになったという人は多いです。

しかし、そうした人の場合、「精進」という言葉を何となくのニュアンスとして使っていることが多いため、改めて言葉の本来の意味や、正しい使い方についてわざわざ学ぼうとすることはあまりありません。

私たち日本人は、時にそうして日本語を曖昧なニュアンスとして用いていることがあるのです。

もちろんニュアンスが近ければ、普段は細かい意味や使い方の指摘を人から指摘されることはそうありません。

しかし、何かの拍子で言葉の本来の意味を聞かれたり、その場に相応しくない使い方をしてしまったりした時には、思わぬ恥をかいてしまうことがあるかもしれません。

若い内であればまだしも、いい大人、社会人になってからその間違いを人から指摘されることがあると、「教養がない」と言われているかのようで、とても恥ずかしく、嫌な思いをしてしまいますよね。

そんな不必要な恥をかかないためにも、「精進」の正しい意味や使い方を学んでおいた方が良いでしょう。

「精進」とは?

「精進」という言葉は、あちこちで耳にする機会があります。

ビジネスなどで「精進致します」という言葉を使う機会もありますが、それ以外にもこの言葉を聞くことは少なくないでしょう。

例えば「精進料理」や「精進落とし」「精進明け」といった言葉を聞いたことがありますか?少なくとも、親族や身内の葬儀に参列したことのある人なら、一度は耳にしたことがあるでしょう。

「精進」という言葉は、ビジネスのような場面以外では、宗教的な場面で耳にすることが多いです。

それも仏教に関する話や場面においてよく用いられます。

そうなると、「精進」という言葉自体が、元々は仏語であることが分かりますよね。

では、その具体的な意味についてご紹介していきます。

辞書的な意味


「精進」は元々、大乗仏教における用語で、求道者が修行のためにするひたむきな努力のことを指しています。

このことから、精進は「ひたすら努力すること」といった意味があります。

また、「雑念を払い、仏道修行に専念すること」「一定の期間行いを慎み、身を清めること」「肉食を断って菜食をすること」などの意味も持ちます。

元々仏語ですので、宗教的な意味と、そこから分かりやすく一般的な意味に変化したものとがあります。

私たちが日頃用いることの多い「精進」は、「一生懸命に努力すること」という意味であることが多いです。

また、葬祭の時には仏語としての意味で用いるのが一般的です。

同義語

「精進」の同義語はたくさんあります。

「熱中する」「本気になる」「全力をあげる」「必死になる」「熱心になる」「懸命になる」「総力を出す」「力を入れる」「身を入れる」などいくつもありますが、どれも一生懸命に頑張るといった意味合いでは同じです。

「精進」はそれらの同義語の中でもとくに丁寧で、聞きようによっては堅苦しい言葉でもありますので、用いる機会はビジネスやフォーマルの場面であることが多いです。

同じ意味をプライベートの場面や、カジュアルな場面で用いる際には、「精進」と口にすると堅苦しくなってしまいますので、同義語で別の言い方を用いることが多いです。

もし上下関係はあっても、堅苦しい言い回しを好まないような上司に対して毎回のように「精進致します」と言っていると、本人は丁寧に発言しているつもりでも、受け取る側には慇懃無礼に聞こえてしまうこともありますので、場面に合わせて言葉の選択が必要とされます。

対義語

「精進」が「一生懸命に努力すること」という意味を持つのなら、それに対義する言葉もあるでしょう。