そんなときに、世の中進みにくい、やりにくいという意味から”世知辛い”という言葉を使うことがあります。
なにか問題にぶちあたってばかりのとき、新しい提案がなかなか受け入れられないときなどに使います。
あなたも、そのように感じたことはこれまでに一度くらいはあるのではないでしょうか?
暮らしにくい
また、世知辛いという言葉には”世渡りするのが難しい”という言葉以外にも”暮らしにくい”という意味も持っています。
いや、世渡りするのが難しいのであれば、その世界で生きるのが難しい、生きるのがつらい、なんだか自分の思い通りにならないなんて当たり前にありますよね。
そんなとき多くの方は、「暮らしにくいな」「いきづらいな」と感じるものです。
”生きづらい”という気持ちを感じる前に、だいたいは”この地域は暮らしにくいな”なんて感じるものです。
人生そのものに暮らしにくさを感じてしまうんですよね。
それも世知辛いの意味になっています。
筆者は、ちょっとした田舎のなかでも都会のほうに住んでいるのですが、もともと完全な都会暮らしだったためなのかとても暮らしにくさを感じています。
近くにコンビニがない、電車の本数が少ない、何をするにも自動車で移動する距離が当たり前…それは、徒歩圏内でなんでもできた地元に比べるとやはり世知辛いんですよね。
このように、あなたも生活のなかで暮らしにくいと感じたことはあるのではないでしょうか?そんなとき、ぜひとも世知辛いという言葉を使ってみてくださいね。
ケチだ
これまでにお伝えしてきた”世知辛い”の意味は、生活にまつわる生きにくさだとかやりにくさをイメージさせるものでした。
しかし、世知辛いには”ケチだ””抜かりがない”なんていう意味もあるんです!これまでの意味とは、まったく違うような意味合いですよね。
ケチとは、お金を払うべきところに払わないとか、親切にするべきところをしないとか少し”気が小さい””人としての器が小さい”ことを意味します。
そのため、何をするにも100%でこなすので抜かりのないイメージを与える人のこともケチと呼ぶことがあります。
あなたは、周りの人からケチだといわれたことはありませんか?また、誰か周りの人に「ケチだなぁ」と感じるような人はいないでしょうか。
ずばり、そのように感じるときには、世知辛いという言葉を使うべきときなのです!
読み方は?
”世知辛い”という言葉を見て、あなたはパッと見、どのように読んでいたでしょうか?この言葉は、少し不思議な組み合わせのために間違った読み方をしてしまう方が多いんですね。
ずばり、”世知辛い”とは「せちがらい」と読みます。
「世知」=せち、「辛い」=からいの合体用語なんです。
この意味については、一つ前の項目でお伝えしてきましたよね!間違っても、「よちがらい」「せちづらい」なんて読まないようにしましょう。
相手に伝わらないだけではなく、もしもこの言葉をしっかり理解している人からは笑われてしまうかもしれません。
筆者の場合は、やさしく教えてくれる方がいたからよかったのですが、誰かにバカにされることもあるので早いうちに”せちがらい”という読みを覚えておきましょう。
何回も繰り返し発言したり、書いたりすることでしっかりと覚えることができるはずですよ。
どういう気持ちの時に使う?
では、この”世知辛い(せちがらい)”という言葉は、いったいどのような気持ちのときに使うのでしょうか?これまでに世知辛いという言葉の意味をお伝えしてきたので、すでになんとなく「こんな感じに使うのかな~」なんて想像している方もいるかもしれません。
使い方や意味がわかっていたとしても、やはり使うときに間違ってしまう方が多いんですよね。
そのようにならないために、この”世知辛い”という言葉を使うときに適している”気持ち”に注目してみましょう。
世の中に対して不満がある
ずばり、世の中に対して不満があるときには”世知辛い”という言葉を使うことができます。
あなたは、この世の中の事象だとかサポートなどに対して”不公平だなぁ”とか、”ひどいなぁ”なんて感じたことはあるはずです。
そんなときこそ、その不満をグチグチとすべて話すのではなく、ひとまとまりの意味として「世知辛い世の中だぜ」と伝えることができちゃうんです。
大人になってまでも、グチグチと悪口をいうのはあまり周りから見てもよろしくないもの。
だからこそ、ひとまとまりとして”世知辛い”という言葉に意味を含ませるのです。
周囲の人に愚痴を言いたい
世の中…といっても狭義の世界で見ると”周囲の人”という特定の身近な人物にいやな気持ちを感じてしまうこともありますよね。