しかし、様々な批判があって公立高校ではほとんどなくなっています。
その分塾などが増えたわけですが、その影響で1987年に再び補習を積極的に行うように通達がなされました。
とはいえ、今は再び、教員の過労などの学校のブラック企業化が問題視されているので見直されていくかもしれません。
模試対策より授業第一
もう本当に意味がわからない話もここまで来るか、という「授業第一主義」。
しかも“進学校あるある”なのですから笑うしかありません。
まずは授業第一主義とは何かを説明します。
まず初めに、教員はわかりやすく授業を行うことが仕事なのですから、それをやるのは当たり前で、わざわざ授業第一主義なんて言わなくたっていい話です。
ではなんでこんな言葉ができるのかというと、要は「生徒が塾に行かなくてもいいくらい徹底的に教える」まで求めていることにあります。
でもそれは大人数を相手にする授業だけではとても賄いきれません。
全員にとって最高の授業というのはあり得ないからです。
同じ説明をしてもわかる人とわからない人がいるし、わからない人に合わせて丁寧すぎる授業をすればわかっている人にとっては不満でしょう。
結果的に、全員を塾に行かせず自習もなく授業だけで十分に理解させるためには、授業以外のところで質問に答えたり、1人1人の実力考査の結果を見ながら個別対応していくしかないのが現実です。
さて、そこで自称進学校にありがちな闇が登場します。
教員が十分わかりやすく授業をしているのだから「これでわからないのは我が校に通うに足る理解力が無いからだ」という生徒に対する授業第一主義の刷り込みです。
「模試の結果が良くても学校のテストの結果が悪ければ受験に勝てない!」などと言うこともあります。
模試対策よりも授業をわからせることに注力するため、生徒は教員が作るテストの癖を覚えるようになります。
そうやって対応していれば授業や学校内のテストでの成績が良くなるので怒られないからです。
本末転倒としか言いようがありません。
小テストが多すぎる
先ほどの授業第一主義の観点からしても、教員は個々の生徒の実力を徹底的に把握しなければならないため小テストがすさまじい頻度で開催されます。
高校2年生ともなれば“受験戦争”が始まるとして毎日毎時間というのもザラです。
その結果如何によっては補習を言い渡されます。
しかし採点するのもテストを作るのも大変なので、大体は英単語を書くとか漢字を書くとかそんなレベルです。
それで何をどう判断しているのかよくわかりませんが、とりあえず小テストがあれば生徒は勉強するだろうという思いから行われているに過ぎません。
勉強をサボると周囲との差が開く
これは進学校にありがちなことの中では良い部分です。
仮に周囲が毎日遊び呆けて自分の将来のことなど考えず刹那的な状態だと、ちょっと勉強したくらいでもトップに立てるので、井の中の蛙になりがちです。
一方、周囲が自身の将来と向き合い、日々努力している状態なら自分もそうなろうと努力するため結果的に自分のためになります。
ただあまりに周囲との差だけを気にしていると、体調不良でちょっと勉強ができなかっただけでも、置いていかれることに恐怖を覚えてしまう場合もあるようです。
無理して入学すると後悔する
高校の入学試験をギリギリで通過した場合、同学年は全員自分より学力が上ということですから、落ちこぼれる恐れがあります。
一定以上の学校に入ると、努力の差もそうですが“地頭が良い”人間が数多く存在しています。
彼らは物事の吸収力や応用力に優れているため、彼らが基準となっている授業についていくことはかなり大変です。
授業やテスト、成績のみならず高校での生活全般にいたっても、周囲の人たちとの会話の内容、スピード、方向性が自分とは全く異なっていて、それが学校全体の雰囲気になっていると精神的にも辛いものがあります。
彼らからすれば「わからないがわからない」なので「努力していないんじゃないかな」と見えてしまい、怠け者と友達になりたいとは思えないのです。
なぞの0限目が登場
補習が多いことに加え、0時限目、つまり早朝補習が行われる高校もあります。
1時間目が大体8:30~8:50の間で開始されますから、それよりも前、7:30くらいから開始される補習です。