新年度が始まるシーズンは、学校の話題も豊富になっていきますね。

その中でも、こちらの記事では進学校について触れてみようと思います。

進学校と聞くとなんだか勉強ばっかりのイメージがありますが、実際のところはどうなのでしょうか。

24個のありがちなことを見てみましょう。

進学校あるある!どのくらい当てはまる?

進学校にも色々あって、教育体制のわりには難関大学合格率が微妙な自称進学校から、教育に力を入れていて進学率も良い進学校、難関大学以外に進む人がほとんどいない超進学校などに分かれています。

それらによって、あるあるの内容も異なっていますが、出身者の人にとっては、これからご紹介するあるあるに共感できるものも多いはずです。

進学校ってどこから?

まず進学校とはどこから言うのか定義しておきましょう。

進学校とは、難易度の高い国立、有名私立大学に毎年生徒を進学させている高校のことを指します。

高校入学の受験内容もハードで、模試などでの偏差値が高い人が入学します。

似たような存在として名門校もありますが、名門校は進学校同様の偏差値の高さに加え、格式や礼儀の遵守、規律正しい生活が求められるので、進学校とは分けて考える場合があります。

では、進学校に入る生徒の平均偏差値はどの程度なのでしょうか。

また、その基準に照らした場合、日本にはどの程度進学校があるのでしょうか。

進学校の平均偏差値


諸説ありますが、概ね偏差値60または65以上の高校なら有名大学に進む生徒も多いことから進学校と呼ばれます。

ちなみに、進学校として有名な兵庫県の灘は79、東京の開成と筑波大学付属駒場が78、お茶の水女子大学付属が77、大阪の北野や東京の慶応義塾女子、鹿児島のラ・サールなどは76で、偏差値70以上は超進学校と呼ばれています。

ただし、偏差値は同じテストを一斉に受けた時に算出するもので、模試の平均点と過去の合格者の得点から算出して「この高校はこれくらいの偏差値」としているにすぎないことから上記の数字は参照元によってブレます。

進学校の割合

全国の高校の数は平成29年5月で合計3,520校、そのうち偏差値60以上の高校は1002校(28%)、65以上になると一気に減って526校(14%)、70以上ならわずか173校(4%)となっています。

28%も少ないといえば少ないですが、いわゆるMARCH以上の大学へ進学する人は上位10%と言われていますから、学校の数の割合と高校生の人口を単純に比較はできないとしても、進学校出身の受験生は10%よりもはるかに多い状況が見てとれます。

浪人生も含めればもっと競争率が上がるため、進学校にいるからといって有名大学に入れるわけではない、ということがよくわかる数値でしょう。

進学校にありがちな24個のこと

昨年から“進学校あるある”がちょっとした話題になり、「自称進学校」という言葉もよく目にするようになりました。

進学校経験者にとっては良い思い出、未知の世界という人にも面白い、驚きや共感に満ちた「進学校にありがちなこと」24個をご紹介していきます。

自ら進学校って言う

ツイッターの「#(ハッシュタグ)」で「#自称進学校にありがちなこと」というのが出回っています。

これを見ると、“進学校らしさ”を強調し、有名大学へ進学させるため生徒も教師も一丸となっている高校が多いことがよくわかります。

そもそも進学校は、進学校と名乗ればなれるわけではなく、難関大学へ進学する生徒が多い学校がなるものなので結果ありきですが、自ら進学校と名乗る高校は設立目的からして進学することに注力していることが多いようです。

また、これらの高校では「進学校という自覚を持て」といった言葉も平気で飛び交います。

これが結構わけがわからなくて“進学校だから”を理由にあらゆる禁止事項が設けられているなど、なんだか都合の良いように使われているケースもあります。

また、一部の生徒・元生徒の中には進学校という自覚がありすぎて、会話の中で「高校」と言えばいいところを、わざわざ「進学校」と言う人もいます。

「高校の規則が厳しいから辛い」を「進学校だから規則が厳しくてつらい」と言い、「宿題が終わらないから遊べないんだ」を「進学校だから宿題多くて遊んでる暇ないよ」というようなことです。

大体進学校じゃない相手に言います。

受験は団体戦

全然意味わかりませんが最近よく言われる言葉です。

でも全然意味わかりません。

どう考えても受験は個人戦なんですが、ちょっと解説します。

まず団体戦とは何かというと、野球やサッカー、バスケットなど、誰かがミスっても誰かがフォローできるものです。

個人戦はシングルテニス・卓球、マラソンなど個人で成績をあげるものです。

結論から述べると、受験は個人戦です。

受験のテストでミスをすればその人が不合格になるだけで、仲間の点数を分けてもらえるわけではないからです。

しかし自称進学校や塾では「受験は団体戦」という言葉を好んで使います。

ではなぜなのか。

この本質は「進学実績を上げるのは団体戦」を意味しています。

東大合格者を10人出したい学校や塾があったとして、志望者が20人とすればそれを団体として、その中で10人が合格すれば良いというわけです。

東大が目指せるレベルですから早慶などには受かるかもしれないので、学校全体としての難関大学合格率はキープできます。

そういう意味では団体戦です。

あるいは、周りの偏差値が高くて65くらいだとすると、その中で偏差値55ではマズイという意識が働くことから、受験勉強は団体戦と言えなくもありません。

しかし、そもそも受験は戦いではありません。

どこに進学するにしても、または進学しなくても、結局は人生の中で自分がなりたい姿になれるかどうかが重要であって、勝った負けたではないからです。

文武両道は当たり前

これもまた自称進学校にありがちなことですが、やたらと「文武両道」を強調します。

多くの場合、難関大学進学率が高くてスポーツ部も強いといった意味を指しています。

勉強もしながら部活に所属するのが当たり前で「どちらも疎かにしてはならぬ」という風土を持っています。

ここに面白さがあります。

そもそも文武両道の意味を履き違えているという点が“自称”進学校らしいなというところです。

文武は学問と武芸のことを指します。

武士がいた時代、上に立つものはどちらかだけではダメで、政治を行う能力(学問)と戦で役に立つ力(武芸)のどちらもなければならないという意味でした。

現代に言い換えれば、学問は本来人の上に立つものとして知恵を持っていることであり、科目の勉強をすればいいというわけではありません。

武にしても、一概にスポーツと結び付けられるわけではなく、武の精神につながるものといえます。

そのため、文武両道はテストで点数を取ることや受験に合格するための勉強でも、大会で好成績を収めることでもありません。

上に立つものとして人々を束ねるために心がけることであり、まだ何者でもない生徒に強いるのは無理があります。

とはいえ、難関大学進学率が高くてスポーツ推薦などで選抜した強豪チームを持っている高校は入学志願者が増えるので、とくに私立は経営の面から考えても文武両道を推しておいた方が都合がいいというのはよくわかります。

アルバイトは異常なぐらい禁止!

自称進学校としてはアルバイトしている時間があるならその分勉強して良い大学に進学して欲しいわけですからアルバイトは異常なくらい禁止です。

ただ、授業がとてもわかりやすく、生徒の自主性で進学率が結果として高いという本物の進学校ならこんなルールはありません。

この禁止令は私立の高校ほど多いようです。

私立に通えるということは、生徒がアルバイトをしなくても金銭的な問題のない家庭ということなので「アルバイトをするな」と平気で言えるわけですね。

そして、こういった高校ではアルバイトは遊ぶ金欲しさという認識が強いです。

アルバイトで学べることなんてなく、良い大学に入って良い就職先に進むことが人生の勝ち組になることだと信じています。

補習が多い


こういうところで鍛えられた人たちがブラック企業を生むんじゃなかろうか、というほど授業後も長時間にわたって補習が行われます。

生徒たちは朝から晩まで学校に缶詰にされ、成績が少しでも落ちようものなら強制参加です。

文武両道といっても良い大学に入ることが最大の価値なので、生徒が部活に力を入れたいと考えていてもおかまいなしに補習を申し付けます。

教員が教えにくるケースもあれば、ひたすら机に向かって問題集を解くというケースもあります。

裏を返せば、進学校の生徒といえども学校に縛ってもらわないと勉強をしないということなのかもしれません。

本来なら勉強なんて自分のために自主的に行うものですから、強制されるようなものではないという違和感が、この妙な雰囲気を作り上げている原因でしょう。

さて、話は少し逸れますが1960年代頃までは教員が補習の授業を行うのも当たり前に行われていました。

しかし、様々な批判があって公立高校ではほとんどなくなっています。

その分塾などが増えたわけですが、その影響で1987年に再び補習を積極的に行うように通達がなされました。

とはいえ、今は再び、教員の過労などの学校のブラック企業化が問題視されているので見直されていくかもしれません。

模試対策より授業第一

もう本当に意味がわからない話もここまで来るか、という「授業第一主義」。

しかも“進学校あるある”なのですから笑うしかありません。

まずは授業第一主義とは何かを説明します。

まず初めに、教員はわかりやすく授業を行うことが仕事なのですから、それをやるのは当たり前で、わざわざ授業第一主義なんて言わなくたっていい話です。

ではなんでこんな言葉ができるのかというと、要は「生徒が塾に行かなくてもいいくらい徹底的に教える」まで求めていることにあります。

でもそれは大人数を相手にする授業だけではとても賄いきれません。

全員にとって最高の授業というのはあり得ないからです。

同じ説明をしてもわかる人とわからない人がいるし、わからない人に合わせて丁寧すぎる授業をすればわかっている人にとっては不満でしょう。

結果的に、全員を塾に行かせず自習もなく授業だけで十分に理解させるためには、授業以外のところで質問に答えたり、1人1人の実力考査の結果を見ながら個別対応していくしかないのが現実です。

さて、そこで自称進学校にありがちな闇が登場します。

教員が十分わかりやすく授業をしているのだから「これでわからないのは我が校に通うに足る理解力が無いからだ」という生徒に対する授業第一主義の刷り込みです。

「模試の結果が良くても学校のテストの結果が悪ければ受験に勝てない!」などと言うこともあります。

模試対策よりも授業をわからせることに注力するため、生徒は教員が作るテストの癖を覚えるようになります。

そうやって対応していれば授業や学校内のテストでの成績が良くなるので怒られないからです。

本末転倒としか言いようがありません。

小テストが多すぎる

先ほどの授業第一主義の観点からしても、教員は個々の生徒の実力を徹底的に把握しなければならないため小テストがすさまじい頻度で開催されます。

高校2年生ともなれば“受験戦争”が始まるとして毎日毎時間というのもザラです。

その結果如何によっては補習を言い渡されます。

しかし採点するのもテストを作るのも大変なので、大体は英単語を書くとか漢字を書くとかそんなレベルです。

それで何をどう判断しているのかよくわかりませんが、とりあえず小テストがあれば生徒は勉強するだろうという思いから行われているに過ぎません。

勉強をサボると周囲との差が開く

これは進学校にありがちなことの中では良い部分です。

仮に周囲が毎日遊び呆けて自分の将来のことなど考えず刹那的な状態だと、ちょっと勉強したくらいでもトップに立てるので、井の中の蛙になりがちです。

一方、周囲が自身の将来と向き合い、日々努力している状態なら自分もそうなろうと努力するため結果的に自分のためになります。

ただあまりに周囲との差だけを気にしていると、体調不良でちょっと勉強ができなかっただけでも、置いていかれることに恐怖を覚えてしまう場合もあるようです。

無理して入学すると後悔する

高校の入学試験をギリギリで通過した場合、同学年は全員自分より学力が上ということですから、落ちこぼれる恐れがあります。

一定以上の学校に入ると、努力の差もそうですが“地頭が良い”人間が数多く存在しています。

彼らは物事の吸収力や応用力に優れているため、彼らが基準となっている授業についていくことはかなり大変です。

授業やテスト、成績のみならず高校での生活全般にいたっても、周囲の人たちとの会話の内容、スピード、方向性が自分とは全く異なっていて、それが学校全体の雰囲気になっていると精神的にも辛いものがあります。

彼らからすれば「わからないがわからない」なので「努力していないんじゃないかな」と見えてしまい、怠け者と友達になりたいとは思えないのです。