わや:関西弁の”わい”
そして「わや」については「関西弁のわい」という意味も語源の一つとして捨てがたい説得力を持っています。
「わい」は関西に住んでいる方ならば、ほとんどの方がご存知なのではないでしょうか?
ハッキリ言ってかなり汚い表現です。
関西の人間が全て、自分の事を「ワイ」と呼ぶと思われたら少々、困ります。
しかし、江戸時代以前の関西において「ワイ」という言い方が多くの庶民の間で普通に使われていただろうことは容易に想像ができます。
関西、特に早くから開けていた大阪方面は、昔は「河内の国」と呼ばれていた地域。
現在の大阪において「河内」という地域は決して褒められるほどの「柄の良さ」はありません。
どちらかというと気性が荒く、喧嘩っ早い風土が残っているイメージが今でもあります。
そういった特性を考慮すると、関西方面において自分の事を「ワイ」と呼び、我先に「ワイや、ワイや」と自己主張を叫んで支離決裂に騒ぎ立てる状況は「てんやわんや」の語源になったとしてもおかしくはない説得力を感じずにはいられないのです。
とにかく目立ちたがり屋が多い関西。
「てんやわんや」の発祥とも言えるもしれない土地柄がそこにあるのかも分かりませんね。
てんやわんやの広まり
「てんやわんや」という言葉は諸々の語源を元にしながら各地に広まり定着していったようですね。
そしてさらに「てんやわんや」を世に広く知らしめることになるような小説まで」登場することになるのです。
小説『てんやわんや』
それでは小説「てんやわんや」について紹介していってみましょう。
1948年〜1949年の新聞小説
小説「てんやわんや」は1948年から1949年の1年間、毎日新聞紙上に掲載された小説です。
時代背景的には戦後わずか3年しかたっていない、混乱の時期の作品です。
主人公が戦争の際に「戦犯」として疑わしいという事となので四国に疎開させほとぼりをさめさせる、という展開のようなのですが、東京でのドタバタした日常と四国でののんびりとした生活ぶりを対比させた当時の大衆文学の「傑作」という評価を受けている作品のようですね。
獅子文六の作品
この「てんやわんや」を執筆した作家、「獅子文六」について少しばかり紹介しておきましょう。
「獅子文六」は1893年(明治26年)、神奈川県横浜市生まれです。
1969年の12月に76歳で没するまで数多くの小説や随筆を世に送り出してきました。
作風のベースには「ユーモア」を取り入れ、多くの読者の指示を受けてきた当代きっての作家の一人だったようです。
この「てんやわんや」は1950年に映画化もされています。
それ以外にも多数の映画化作品を手掛けており、1950年代から1960年代にかけて、一世を風靡したといえる売れっ子作家だったようですね。
てんやわんやになったときの9個の対処法
それではここからは、もしあなたが「てんやわんや」状態に陥ってしまった時、どのようにしてその窮地から脱出したらいいのか、について考えていく事に致しましょう。
全部で9個のご紹介となります。
落ち着いて考える
てんやわんやになった時の対処法の最初の1つ目は「落ち着いて考える」です。
人間、慌てふためいたり自身がなくなってどうしようもない状況に陥ってしまったりすると、普段からは想像も出来ないような行動をとってしまうことがあります。
例えば、あなたが何かのお店に勤めていたとして、たまたま鳴った電話をとったらそれがお客様からのクレームの電話で、しかもあなたの初動の対応がまずかったため、お客様をかえって怒らせてしまい気持ちが完全に「てんやわんや」状態になってしまった。
という事があり得るかも分かりません。
そんな時、お客様から強い口調で叱責されたりしたら一体どうしたらいいのか、全く分からなくなってしまかも分かりませんね。
頭の中が完全にパニクッってしまってその後の業務のスムーズな引継ぎが出来なくなってしまうかもわかりません。
普段なら当たり前に出来るはずの業務が、気持ちが追いつめられてしまう事によりパニック状態となってしまってすっかり心の中が「てんやわんや」になってしまうでしょうね。
こんな時はとにかくワン呼吸おいて「落ち着く」より方法がありません。