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「拝受」とはどういう意味?fax・...(続き3)

「おがむ」と聞くと、「神仏に対して祈りを捧げる」といったイメージが強い人は多いでしょう。

そうした場合以外では、普段はそこまで「おがむ」という言葉を口にする機会はありません。

お辞儀をする

「拝」には「お辞儀をする」という意味もあります。

「おがむ」と「お辞儀」は一見似ているように思えますが、「お辞儀」の意味は「頭を下げて礼をすること」「頭を下げてする挨拶」「辞退・遠慮」などがあります。

同じ頭を下げる行為でも、「おがむ」場合には神仏に祈りを捧げたり、懇願したりする目的があって行っています。

一方の「お辞儀」は単なる挨拶として行ったり、お礼を言ったりする際に行いますので、「おがむ」行為よりも日常的に、頻繁に行われています。

とくに私たち日本人は古代から事あるごとにお辞儀をする習慣が現代まで続いています。

相手に対する礼儀を表わしたり、敬意を表したりするのに最適な行為がお辞儀であり、手っ取り早く相手に敬意の気持ちを伝えることが出来ます。

そのため、現在でも当たり前にお辞儀はあちこちで行われており、ビジネスやプライベートに関係なく習慣化されています。

子どもの頃からそうして頭を下げる行為に慣れていると、自然とお辞儀の癖が身に付いて、大人になってからも当たり前にお辞儀が行えます。

また、学校教育や就活などでも、挨拶と同時にお辞儀のマナーも教えられますので、日本人であれば誰でも当たり前に出来ます。

一方で、そうしたお辞儀の習慣のない海外の人からすると、日本人の頭を下げる行為はおかしなものに映ることがあるそうです。

「受」の意味

「受」には、仏語としての意味と、それ以外の意味があります。

仏語としての意味では、「苦楽などを知覚する位」「外界のものを受け入れる心の働き」などがあり、またそれ以外では「受け取る」「受け入れる」「受ける」などの意味があります。

人や事物など、さまざまなものを自分の心に受け入れたり、物理的に受け入れたりするということでもあります。

くれるものを受け取る

「受」には、「くれるものを受け取る」という意味があります。

「くれるもの」というのは、例えば目に見えない気持ちであれば、愛や情、執着心や憎しみなど、人の持つあらゆる感情を指します。

それらの感情を人から受け取る際に、「愛をくれる」「情をくれる」などと言い表すことがあります。

また、物理的に目に見えるものを人から受け取ることもあります。

例えば誕生日プレゼントや記念日の贈り物のように嬉しいものを受け取ることもあれば、親の遺したローンや不幸の手紙のように、嬉しくないものを強制的に受け取ることになる場合もあります。

もらう

「受け取る」を別の言葉で表現したものが「もらう」です。

「プレゼントをもらう」「気持ちをもらう」「感謝の言葉をもらう」など、人生を送っていればさまざまなものを誰かからもらう機会があります。

そうした「もらう」という行為を、「受」の一言で表現することが出来ます。

受け入れる

「受」には、「受け入れる」という意味もあります。

世の中には、どんなに受け入れなくてはならないことでも、それと心が反していることがあります。

例えばいずれは婚約者と結婚しなければならないのに、相手を好きになることが出来ずに受け入れられなかったり、父親が再婚し、新しく出来た母親の存在を受け入れることが出来なかったりと、その人それぞれに受け入れられることと、そうでないことがあります。

どうしても無理なものは例え強引に受け入れたとしても、いずれは関係が壊れてしまったり、自分が疲れ切ってしまったりします。

しかし一方で、「受け入れる」という行為さえ出来れば、人は心に余計なストレスを抱きにくくなります。

「仕方がない」と割り切ることで受け入れられるようになるものもあります。

夢を見たくても仕方なく現実を受け入れた結果、そこから新しい道へと進んでいくことも出来ます。

「受け入れる」という行為は一種の悟りにも近い感覚なのかもしれません。

漢字を合体させると

「敬意を表する・お辞儀する」という意味の「拝」と、「受ける・受け取る」という意味の「受」を合体させると、「敬意を表しながら有難く受け取る」といった意味になります。

相手の好意や行動を、こちらが敬意を表してつつしんで受け取るということですので、相手から何かを受け取る際には「拝受」の言葉を用いることがあります。

例えばビジネスの場面で、取引先の会社からメールで必要な資料を添付してもらった際に、「受け取りました、ありがとうございます。」という言葉を「拝受しました。ありがとうございます。」と言い換えることで、取引先の会社に感謝と敬意の気持ちを表すことが出来ます。