だから世の中に数多くの自動車事故に対する保険商品が目白押しにあるわけなのです。
それだけ世の中から「人身事故」が消えないという事なのですよね。
「当たり屋」が演出する「人身事故」は恐らく本人にとったら大した怪我ではないかもしれません。
恐らく傍から見たら「どこをけがしてるんや?」という程度の症状かもしれません。
ところが対車による衝突事故などで人体に及ぶ弊害というのは素人判断ではとてもさばき切れない代物なのです。
例えば、当たり屋がわざとあなたの前を別の車で運転していて想定外の急ブレーキを踏んだとします。
後ろを走っていた車は急ブレーキをかけますが間に合わず軽く接触してしまった、とします。
「この程度なら相手の被害は軽いだろう」、という安易な発想をしてはいけないのが車の事故の恐ろしさです。
そう、むち打ちなど外部からは判断できない神経系の損傷を負っているケースがあるからです。
もし、当たり屋たちが全治◯◯日という診断書を携えてきたらどうしようもありません。
それほど人身事故というものは人の一生を台無しにするほどの怖さがあるのです。
どういったケースであれ、車による人身事故だけはもうこれ以上の安全確認はない、という程の覚悟を持って避けなければならないものなのです。
️当たり屋は対処がしにくい
それでは次に当たり屋への対処がどうしてやにくいのか、それについて考えてみることにしましょう。
責任を感じてしまう
当たり屋に対して対処しにくい理由の1つ目は「責任を感じてしまう」からです。
この理由が多くの方が感じる最も多い理由ではないでしょうか?
故意にやってしまったら別かも分かりませんが、何事もない状況で不意に何かに当たってしまったら、大抵の人は責任というものを感じてしまうものです。
それが人間の良識でありマナーであり道徳だからです。
人間は不可抗力で人に危害を加えてしまったら、まず相手の怪我の具合や命に別条があるかどうかを気に掛けるものです。
それは、危害を加えてしまった相手に対して社会的な責任というものを感じているからに他なりません。
人間が正しい常識と良心というものを備えている限り、この心理状態は誰に対しても起こりうるものです。
だから、例え相手が札付きの当たり屋であったとしても気持ちは一気に加害者となってしまい平身低頭の姿勢になってしまうわけなのです。
勿論、当たり屋たちはこの心理をついて自作自演をやっているわけなのですけれどもね。
恐怖で萎縮してしまう
当たり屋に対して対処しにくい理由の2つ目は「恐怖で委縮してしまう」です。
これも止むを得ない理由でしょう。
人間が生きていく上で事故を起こしてしまう確率はそうそうありません。
だから大抵の人間はいざ事故となった時は慌てふためき恐怖と怖さで委縮してしまい正常な判断ができない状態になってしまうものです。
当たり屋たちはこの人間の心理面を巧みについてくるわけです。
どのような事故状況であったとしても、あなたが加害者の立場になったとしたらその現実からは逃げることは出来ません。
そういった経験が少なければ少ない程、人はビビッてしまい恐怖を感じて委縮してしまい、相手の言いなりになってしまう、という訳です。
これも人間の良心をついた巧みな戦術と言えるのでしょうね。
大事にしたくない
当たり屋に対して対処しにくい理由の3つ目は「大事にしたくない」という事です。
この理由はかなり「保身」という身勝手な要素がかみ合ってきています。
つまり、かなりの人間は余計な事で自分の出世や立場を失いたくない、または職場や家庭に知られて事を表沙汰にしたくない、という本能が働くのです。
確かに職場にこのような事故の実態を知られてしまったら、あなたの立場は悪くなり今までのようなポストや立場が悪くなってしまうかも分かりません。
また家庭内では一番偉い人間、という立ち位置にいるとしたらその立場を壊されてしまうかも分かりません。
そういった事だけは何が何でも避けようと思ってしまうのも残念ながら人間の浅はかな業の一つなのです。