相手の気持ちを慮り、相手の嫌がるような言動や行動は一切やらない。
これが「寛大な心」の礎となるのでしょう。
肝を据わらせる
寛大な心を持つための考え方や行動の2つ目は「胆を据わらせる」です。
これはあなたのハートがどれくらい「ドッシリ」と構えているかを試している表現といえるでしょう。
そう、相手に対して「寛大さ」を発揮しようと思えば、まず自分自身が相手よりも大きな懐を持っていないことには話しになりません。
小さな器で「寛大になれ」と言ってもそれは物理的に無理な相談なのです。
ビクビク、おどおどしていては寛大になれない
「腹が据わる」という事はあなたの器量がビクビクオドオドしていない事を言い表しています。
そうでないと、あなたは誰の前に立っても同じような「寛大さ」というものを発揮できなくなってしまうはずです。
Aという人間の前では寛大でいられるのにBという人間の前に行ったら全然、寛大になれない、というのでは全く話が違ってきてしまうのです。
常に堂々と自信を持った言動をする
「寛大な心」を持つ人間は常に堂々としています。
それは自分に対して自信があるからでそういった背景があって初めてあなたが取る言動の全てに「寛大さ」が備わってくるのです。
人間は日頃からの言動や行動によって、自信というものを鍛えていきます。
自信は昨日、今日で一気に備わるようなものではありません。
何年も何年も辛苦の思いを繰り返していって、やっと手に入れる事が出来るものなのです。
そうやって苦労して手に入れた自信だからこそ、誰の前に行っても常に堂々と振る舞うことができますし、人にも平等に接することが出来るのです。
常に堂々とした自信と言動を持っている人は、心の鍛え方が一本、筋が通っている、と思っていただいていいでしょう。
様々な経験を積む
寛大な心を持つための考え方や行動の3つ目は「様々な経験を積む」です。
確かに様々な経験を積まないことには「寛大な心」というものは醸成されません。
経験値の大きい、それも数の多い方の方が圧倒的に自身の心を鍛えるのに説得力がある事は誰も否定することはできないでしょう。
つまり「寛大さ」というものを会得するためには出来るだけ多くの、それも自身にとって辛い経験をたくさん積んでこられた方の方が、圧倒的に物事に対する見方が鷹揚になりちょっとやそっとの事では驚くこともなくなり冷静で平等な判断を下せる、という事になるからです。
小さなことでくよくよ悩まなくなる
様々な経験を積んだ方は、小さな事ではくよくよ悩んだりする必要がなくなってしまいます。
これは物事を迅速に処理する上において非常に効率の良い判断となります。
反対に経験値の小さい方は、何かを決定したり判断したりするための「経験」という判断材料が乏しいため如何せん、時間をかけ過ぎてしまいます。
これは経営者レベルとなってくると非常に不利な事態を引き起こしてしまうのです。
人生におけるビジネスの最前線は1分1秒を争う熾烈な戦場です。
いい獲物を引き当てられるかどうかは一瞬の判断力が全てです。
なのに、もたもたくよくよしていては永久手的にビジネスチャンスを逃し続けてしまうでしょう。
小さなことでくよくよしていては大きな仕事はこなせません。
小さな失敗をないがしろにしろ、とは言いませんが「大よく小を制す」というように大きな成功を収めるためには目先の小さな失敗はむしろ「損して得取れ」という発想で乗りきるくらいの「胆力」が必要となってくるのですよ。
上手に力を抜くポイントが分かるようになる
小さなことにくよくよしてしまう、ということは物事の大きな流れが見えていない、という事にもつながるでしょう。
だから自分の判断がどういう結果を招くのかが怖くておどおどしてしまうのです。
だから様々な経験が必要になってくるのです。
それも若いうちにたくさん、積んでおかなければなりません。
そうしないと柔軟な発想力が生まれてこなくなってしまい常に失敗を恐れる後ろ向きな人生の歩き方を迫られる羽目になってしまいます。