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げんなりとは?方言?使い方やうんざ...(続き4)

飽き飽きする

同じことを繰り返し続けていると、次第にその物事に対しての興味がなくなってくるもの。

それって”飽きる”といいますよね。

「げんなり」には、飽きてしまうこと、飽き飽きしてしまうという意味もあります。

新しいことにチャレンジするのって最初のうちは、とても楽しいですよね!でも何年も何ヶ月も続けていると、心がマンネリ化して心から楽しむことが出来なくなります。

その結果として飽きてしまうんですね。

”この作業にはげんなりだ”といえば、この作業にはもう飽きてしまっているという意味になるわけです。

投げやりになる

あなたは、どうして今取り組んでいることに集中しているのでしょうか?

多くの方が、その先に見据えている目標に近づくためだとか楽しいことが待っているからと答えるはずです。

目的がないままに物事に取り組むほど、苦痛なことはないですからね。

もしも、そうやって未来への楽しみを持って取り組んでいたことがあったとして、その楽しいことができなくなるとわかったらドウでしょうか?

また、誰かに裏切られている、ジャマされたりしたらドウでしょうか?

なんだかやる気も起きないですし、そこに気持ちを集中させているのがバカバカしく思えてきてしまいますよね。

そんな状況を”投げやりになる”といいます。

まさに”げんなりする”とは、やる気がおきないだけではなく、もうそこに着手したくないと思える気持ちなんですね。

活気がなくなる

やる気がない人を見て、あなたはどのように感じるでしょうか?

きっと覇気も感じられないし、それに活気もないように感じるはず。

そう何かに落胆して、やる気がなくなってしまったり、飽きてしまった人には”活気”を感じることができないんですよね。

活気とは、キラキラ輝いていて「前に進んでやろう」とする気持ちのことです。

その活気がないことも「げんなり」という言葉で表現することが出来るんです。

辟易する

辟易するとは、迷惑を感じて嫌気が差したり、うんざりする気持ちを表しています。

まさに”げんなり”と同じ意味になります。

とはいっても”辟易(へきえき)する”という言葉のほうが難しく感じられてしまうかもしれないですね。

簡単にうんざりとした気持ちを相手に伝えるのであれば、”げんなり”という言葉が適しているでしょう。

「げんなり」と「うんざり」の違い

あなたは、これまでの「げんなり」という言葉についての基本情報を読んでちょっとした疑問を感じているのではないでしょうか?

ずばり「げんなり」と「うんざり」という言葉は、同じ意味として扱ってしまっていいのかというものです。

たしかにご紹介した類語のなかには、「うんざりする」という意味が含まれているものもありました。

そうすると、この言葉同士が同じ意味だとして受け取ってしまうものです。

そんな疑問を解決するには、まずそれぞれの意味を見ていきましょう。

<げんなり>
先ほどもお伝えしたように、疲れていて気力がない様子、がっかりしている様子をあらわしています。

<うんざり>
”げんなり”の言葉の意味のほかにもさまざまな意味を持っているのが”うんざり”という言葉です。

物事に飽きてしまっているようす、期待はずれでがっかりする様子という意味を持っています。

この二つの意味を見ていくと、ほぼ意味が一致しているのを確認できるのではないでしょうか?

そう!ずばり、”げんなり”と”うんざり”という言葉は、ほぼ同じ意味を持っているということなんです。