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汗顔の至りとは?意味や例文、使い方...(続き4)

「汗顔の至り」も恥ずかしい気持ちになることで、汗びっしょりになっている様子を表していました。

どちらとも”恥ずかしい気持ち”になること、それによってその気持ちが自分の顔に出てしまっている意味で一緒ですね。

肩身が狭い

「肩身が狭い」というのには、引け目を感じている様子、世間にたいして面目が立たない様子を意味しています。

さきほど「汗顔の至り」の言葉の意味にて「恐縮する」というものがありました。

まさに「肩身が狭い」というのは、その「恐縮する気持ち」に匹敵します。

要するに、恥ずかしすぎて自分の居場所がないと感じているけれども、そこにいるしかない状態をさしています。

面目を失う

「面目を失う」というのは、これまでに培ってきた名誉をつぶされてしまうということを意味しています。

また、誰かにその名誉を傷つけられたという意味合いもあれば、自分自身でそれらの名誉に傷つけてしまったという意味もあります。

ずばり、「汗顔の至り」というのは、自分がやってしまったことにたいして恥ずかしい気持ちを感じているということでしたので、自分自身で名誉を傷つけたということで意味が同じになります。

顔向けできない

「顔向けできない」というと、どこかにたいして顔を向けることさえも出来ない状況なんだなというのは想像できるでしょう。

この言葉には、申し訳なさすぎて言い訳が出来ない、言い訳が出来ないほどに弁明できない、あわせる顔がないという意味になります。

「汗顔の至り」という言葉には、恥ずかしすぎて身がちぢこまってしまい、それでいて相手に対して失礼なことをしたと反省する意味合いがありました。

まさに「相手に顔向けできない」というのは、反省したところ相手に言い訳が出来ないほどに失礼なことをしてしまったと自覚している様子をあらわしています。

まさに反省することで、相手の顔すら見れなくなっているということになります。

顔から火が出る

これまでに顔から本当に火が出た人はいないかと思いますが、「顔から火が出る」という言葉は、顔からまるで火が出ているくらいにほてっている・熱く感じるくらいに恥ずかしい気持ちを意味しています。

「恥ずかしい気持ち」という意味合いで「汗顔の至り」という言葉と同じ意味合いになりますね。

しかし、「汗顔の至り」は誰かにたいして何か失態をしてしまったときに使える言葉ですが、「顔から火が出る」というのはもっと軽めの意味合いで恥ずかしい気持ちになっていることをさしています。

例えば、大好きな人に急にキスされてはずかしすぎて顔から火が出た・・のように使います。

痛恨の極み

こりゃまた難しい言葉が出てきてしまった!なんて思わないで。

「痛恨の極み」とは、非常に残念な様子、とても悔やむに値する出来事をさしています。

「汗顔の至り」も、何かしてしまったことにたいして心底恥ずかしさを感じている状況をさしており、それは場面によっては「後悔している」ことになりますよね。

「反省している」という意味と同等になります。

汗顔の至りの例文

あなたは「汗顔の至り」という言葉の意味を理解できたでしょうか。

なんとなくても理解することが出来たのであれば、次に進んでいきましょう。

次に確認していくのは「汗顔の至り」という言葉を使った例文になります。

せっかく「汗顔の至り」という言葉の意味を勉強し、覚えることが出来ても実際にどのように使われるのか、どのようなときに使っていけばいいのか分からないですよね。

それに、きちんとした「汗顔の至り」の意味を知っていたとしても、まちがった使い方で使ってしまってはそれこそ「汗顔の至り」な気持ちを感じることになるだけです。

そうならないように、ここで汗顔の至りを使った例文を確認しておきましょう。

いじめを防げなかったのは、教師として汗顔の至りです

現代社会では、いじめ問題が深刻化していますね。

筆者も学生時代にクラスの一部の人間がひとりを集中的にいじめるということがあり、今でもとても身近な問題に感じています。

そのようにいじめをしている人たちって、大人の前ではイイ顔をしているんですよね。

それに「君たちがいじめたんじゃないのか!」なんて聴いたところで、誰が認めるのでしょうか。

そもそも、学校内にいじめが起こってしまうというところにも問題があるといわれていますね。