「汗顔の至りです」・・・そんな言葉をきいて、いったいこの人は何を言っているんだ?何を自分に伝えたいのだろう・・?なんて思っていませんか?
「汗顔の至り」とは、ふざけてその言葉が使われているというわけではないんです。
ちゃんとした実用的な日本語であり、使うのには間違っていません。
しかし、「汗顔の至り」という言葉をこれまでに聴いたことがないという方にとっては、とても不思議に感じてしまう言葉ですよね。
今は、「汗顔の至り」という漢字を見ることが出来ているので何を表現しているのかなんとなく想像できるはず。
しかし、口語会話のなかで「かんがんのいたりです」なんていわれたところで、その言葉を知らなかったり、知っていても意味をしらなかったりすれば、相手が何を伝えたいのかさっぱり分からないことでしょう。
それによって、会話が続くかなくなった経験がある方もひょっとしたらいるかもしれないですね。
ここでは、そんな”汗顔の至り”という言葉について特集しています。
この言葉には、いったいどんな意味があるのか?そして、どんなときに使われる言葉なのかについて例文をお伝えしています。
それだけではなく、さらに”汗顔の至り”という言葉の理解を深めるためにその類義語や、”汗顔の至り”という言葉を使うのはどのような人が多いのかをお伝えしています。
この記事をすべて読むだけで、”汗顔の至り”という言葉について詳しくなれること間違いナシです。
そして、これまでに使われる立場だったかもしれませんが、これからはあなたは”汗顔の至り”という言葉を使うことができるようになるでしょう。
「汗顔の至り」を使いこなそう!
あなたは、これまでに「汗顔の至り」という言葉を使ったことがありますか?使ったことがあるという方は、その言葉の意味をしっかり理解して使っていたのでしょうか。
なかには、その言葉の深い意味はしらないけれども多くの人が”ある特定のシーン”で使っているのを思い出して、自分もそのようなシーンで使ってみたという方もいるかもしれません。
しかし、それで相手にあなたの気持ちを伝えることが出来ていればいいのですが、人によっては「え?ここで使うのおかしいよね?」なんて思われているのも少なくありません。
子供のころは、誰かが間違いを指摘してくれたものですが大人になるにつれて、間違いを指摘してくれる人ってどんどんすくなくなってしまうんですよね。
あなたの周りには、もう間違いを指摘してくれるような人がいないかもしれないんです。
でもでも「汗顔の至り」なんていう言葉を使いこなせたら、物知りのように思われてかっこいいんだろうなぁなんて思いますよね。
だったら、その言葉の意味をしっかり勉強すればいいだけなんです!私たちってその言葉の意味を勉強しなくても、”どんなときに使われているのか””どんな風に使っているのか””だれが使っていたのか”というのを思い出すだけで、なんとなくその言葉を使いこなせてしまいます。
読書するのがすきだとか、コミュニケーションをよくとっている方であれば”文脈の流れ”を理解できているので、どういった意味でここで「汗顔の至り」という言葉がつかわれたのかをなんとなく察することが出来るでしょう。
しかし、読書もしない、勉強もしない、それどころか人とコミュニケーションをとるのがあまり得意ではない・・というと、どうしても”文脈の流れ”を読み取るのが苦手な傾向があるはず。
そんななかで「汗顔の至り」という言葉について勝手に判断すると、間違った意味で使ってしまいかねません。
それじゃあ、あなたが恥ずかしい思いをするだけなんですよね。
そのようにならないように、「汗顔の至りです」なんて言葉をきいて「コイツ何いってんだ?」という疑問でたちどまることなく、あなた自身が「汗顔の至り」という言葉を使いこなせるようになればいいだけなんです!
ここでは、「汗顔の至り」という言葉の基本情報についてお伝えしていきます。
この言葉がどんな意味を持っているのか、そして類義語にはどんなものがあるのかをお伝えします。
ぜひ、ここでまずは「汗顔の至り」という言葉への理解を深めてください。
汗顔の至りとは?
この記事をお読みになっている方のなかには、すでに生活のなかで「汗顔の至り」という言葉を何回も使ってきた方もいらっしゃることでしょう。
生活の中にしみついていると、その言葉が本来はどのような意味を持っているのかなんてあまり深く考えないうちに使ってしまうものですよね。
また、「汗顔の至り」という言葉をはじめて聞いたという方は、まったく持ってその言葉を理解することが出来なかったはずです。
だって、少し日本語としておかしいなぁなんて感じてしまってもおかしくない言葉だからなんです。
しかし、さきほどもお伝えしたようにこの言葉は多くの日本人に使われており、国語辞書や広辞苑にも掲載されているようなメジャーな言葉になります。
だからこそ、この言葉の意味をしっかり理解しておくことが日本人としてのマナーといってもいいのかもしれません。
「汗顔の至り」は、「かんがんのいたり」と読みます。
「あせがおのいたり」ではないので読み方から間違えないように気をつけましょう。
この「汗顔の至り」という言葉には、「とても恥ずかしい気持ちになる様子」という意味があります。
あなたは、こんな経験はないでしょうか?あまりにも恥ずかしいことが起きて、その恥ずかしいことをしてしまった自分にたいして赤面して汗がびしょびしょになってしまった・・というようなこと。
もう恥ずかしくてたまらない!という状況をあらわすのが「汗顔の至り」という言葉なんですよね。
これだけでこの言葉を理解したつもりになってしまうのはやめてください。
もっと深く、「汗顔の至り」とはどんな意味を持っているのかを確認していきましょう。
顔に汗をかくほどとても恥ずかしく思うこと
今お伝えしたように、恥ずかしいことをしてしまったと自覚すると顔が赤くなってしまいますよね。
それだけでもさらに恥ずかしい気持ちになってしまうものですが、さらにそこに汗が出てしまうほどまでに”恥ずかしい”という気持ちになってしまっている心境を表す言葉になります。
もともと汗っかきな人というわけでもなく、日ごろはあまり汗をかかないというのに恥ずかしいことをしてしまったという後悔、そして取り返しのつかない状況に気持ちがもうどうしようもなくなっているんですよね。
そんな顔から汗が出てしまうくらいに恥ずかしい気持ちになったことは誰しもあるはず。
筆者は、以前会社のプレゼンの発表をすることがありました。
その際に直前まで資料つくりをしていたため(よくないですね)、見直しする時間がなく、参考資料として添付するはずの資料を付け忘れていたんです。
しかし、筆者の中では「この参考資料をみせれば鬼に金棒だぜ」なんて意気揚々としていたので、その資料がないと気づいたとき、そしてすでに「これから参考資料について説明いたします」なんて話したあとだったのでとても恥ずかしい気持ちになりました。
まぁその場は、優しい上司たちのおかげで丸く収まりましたが・・・。
汗がふきだす自分にさらに恥ずかしい気持ちを覚えて、穴があったら入りたい気持ちでしたね。
自分がやったことに対する恥ずかしい気持ち
あなたは「恥ずかしい」という気持ちを感じたことがあるでしょうか?長い人生を生きていれば、一度や二度くらいは恥ずかしいと思う気持ちに出会ったはずです。
では、そのような恥ずかしい気持ちになったのって、どのような状況でしたでしょうか?思い出してみてください。
また、これまでにまだ一度も恥ずかしい経験をしたことがない方は、「こんな状況だったらはずかしいだろうな」という場面を想像してみて。
ずばり、多くの方が「自分のやってしまったことにたいして恥ずかしく思う気持ち」というのをあげるのではないでしょうか。
さきほど筆者が話したように、プレゼン資料があると勘違いして「ある」と伝えてしまったという自分に対しての恥ずかしさ、そのような仕事のシーン以外にも恥ずかしく感じることってたくさんあるはずです。
恋愛面であれば、好きな人に上手に自分をアピールしようとしてたのにそれが裏目に出て、ちょっとひどい姿をさらしてしまったとか。
また、人間関係において、相手に対してやってしまったことを恥ずかしく思うことなんてよくあることでしょう。
自分がやってしまったこと、という過去の過ぎ去ってしまったことにたいしても「汗顔の至り」という言葉を使うことができます。
恐縮するほど恥ずかしい
やってしまったこと、今まさに恥ずかしいと思うことをやってしまっているとき、気持ちは縮こまってしまうものです。
恥ずかしい気持ちをもったまま、そこにドンと構えていられるのはかなりの強い精神の持ち主といえるでしょう。
しかし、そのようにドンと構えることが出来るのってごくわずが一部の人しかいないはず。
普通の人、もしくは精神が少し弱いと自覚している方は恥ずかしいことをしてしまっていると自覚する恐縮してしまうものです。
恐縮するとは身をちぢこませてしまうこと。
普通に立っていられないし、そこにいたくないし、でもそこにいなきゃいけないし・・・なんていう”恥ずかしい”という気持ち以外にも感じるものがあって複雑な心境になっています。
恥ずかしくて恥ずかしくて仕方ない。
これぞ”穴があったら入りたい”という気持ちですね。
それに恥ずかしいという気持ちだけではなく、相手に対して申し訳ない事をしてしまったという気持ちから身がちぢこまってしまいます。
反省の気持ちが強い
何か失敗をしたり、誰かにたいして嫌なことをしてしまったと自覚したときなどに人は”反省”をするものです。
その反省をしたときに「どうしてこんなことをしてしまったんだろう」と自分を責める気持ちが出るものです。
そんなとき、「汗顔の至り」という言葉を使うことが出来ます。
反省をして、それでいて恥ずかしいと思うようになったことってありませんか?筆者はお恥ずかしながら、昔は反省することが出来ませんでした。
しかし、色々な経験をしていくうちに「これはなんてマズイことをしてしまったんだ」と思うようになったとき、同時に反省をし、そして汗がとまらなかったのを覚えています。
やってしまったことはもう取り返しがつきませんが、そのようなことに心が苦しくなってしまったんですよね。
「至り」が付く言葉は多い
「汗顔の至り」の言葉の意味を理解することは出来たでしょうか。
あなたが想像していたもの、これまでに使っていた意味であっていましたか?それぞれの「汗顔の至り」の意味をみてきたけれど、「至り」って言葉は不要なんじゃないかな?なんて思われた方もいるかもしれませんね。
だって、恥ずかしい思いをして汗をかいてしまうほどの心境をあらわせばいいだけなので”汗顔”だけでいいんじゃないかなんて思ってしまうものです。
しかし、この意味を伝えるために「至り」という言葉は必要不可欠になっているんです。
ここでは、「至り」という言葉について詳しく見ていこうと思います。
そもそも「至り」ってどういう意味なの?なんて知ることが出来るかも。
また、「至り」という言葉は「汗顔の至り」という言葉以外でも使われているものです。
例えば、若いからこそやってしまったという”若気の至り”、とてもすばらしい状況になったという”光栄の至り”、汗顔の至りとほぼ同じ意味を持っている”羞恥の至り”などがあります。
あなたの知っている「至り」がついている言葉を想像してみると、これからご説明する「至り」の意味をよく理解できるかもしれません。
「至り」とは?
では「汗顔の至り」のなかで使われている「至り」という言葉ですが、どんな意味を持っている言葉なのでしょうか?
ひとつだけの意味しかないように思えてしまいますが、そうではないんですよね。
実は、大きく分けて3つの意味をもっているといわれています。
それぞれの意味について詳しく見ていきましょう。
最高の状態。極み
ずばり「至り」という言葉でよく使われている意味なのが「最高の状態」というものですね。
「至上主義」なんて言葉を聴いたことはありますか?これって、この上に存在するものがないということを示していますね。
今がまさにその状態のトップであり、これ以上の上のことはないという意味になります。
そのため、「汗顔の至り」として「もうこれ以上ない恥ずかしい気持ち」を示すために役立っているんです。
物事の結果
さきほど「若気の至り」という言葉をお伝えしました。
まさにそれって、若かったからこそやってしまった・・・という意味になります。
ずばり、若いという状況の結果として起きてしまったことなんですよね。
このように何かの物事や状況に応じてそれの結果としておきてしまったことをあらわす意味もあるんです。
心遣いの度合い
「至れりつくせり」なんていう言葉がありますよね。
それって、旅館などに泊まりに行った際に「あの旅館のサービスは至れりつくせりだったよ」なんて使います。
それって、その旅館のサービスの心遣いがとてもすばらしいものだった、という意味になります。
ずばり、「至り」という言葉には心遣いの度合いを示すこともあるんです。
類義語は?
これまでにかなり詳しく「汗顔の至り」という言葉についてご説明してきました。
それでもなお、まだ汗顔の至りという言葉の意味を理解できない!まったくもって意味不明だ!なにが「かんがんだコンチクショ!」なんて思っている方もいるかもしれません。
そのように言葉の意味を理解できないときは、もっと分かりやすい、または日常的にもっと使われている似たような意味合いをもっている”類義語”で判断していけばいいんです。
ここでは、「汗顔の至り」という言葉の類義語をいくつかご紹介しています。
「汗顔の至り」には、こんな意味合いもあるのかぁくらいにラフにとらえてみてください。
もっと分かりやすくなるはずです。
赤面の至り
「~の至り」という言葉の作りでも似ている「赤面の至り」。
この言葉を見るだけでなんとなく意味を察知できているかもしれないですね。
ずばり「赤面の至り」とは、顔を赤くしてしまうほどに恥ずかしい気持ちになっている様子を示しています。
「汗顔の至り」も恥ずかしい気持ちになることで、汗びっしょりになっている様子を表していました。
どちらとも”恥ずかしい気持ち”になること、それによってその気持ちが自分の顔に出てしまっている意味で一緒ですね。
肩身が狭い
「肩身が狭い」というのには、引け目を感じている様子、世間にたいして面目が立たない様子を意味しています。
さきほど「汗顔の至り」の言葉の意味にて「恐縮する」というものがありました。
まさに「肩身が狭い」というのは、その「恐縮する気持ち」に匹敵します。
要するに、恥ずかしすぎて自分の居場所がないと感じているけれども、そこにいるしかない状態をさしています。
面目を失う
「面目を失う」というのは、これまでに培ってきた名誉をつぶされてしまうということを意味しています。
また、誰かにその名誉を傷つけられたという意味合いもあれば、自分自身でそれらの名誉に傷つけてしまったという意味もあります。
ずばり、「汗顔の至り」というのは、自分がやってしまったことにたいして恥ずかしい気持ちを感じているということでしたので、自分自身で名誉を傷つけたということで意味が同じになります。
顔向けできない
「顔向けできない」というと、どこかにたいして顔を向けることさえも出来ない状況なんだなというのは想像できるでしょう。
この言葉には、申し訳なさすぎて言い訳が出来ない、言い訳が出来ないほどに弁明できない、あわせる顔がないという意味になります。
「汗顔の至り」という言葉には、恥ずかしすぎて身がちぢこまってしまい、それでいて相手に対して失礼なことをしたと反省する意味合いがありました。
まさに「相手に顔向けできない」というのは、反省したところ相手に言い訳が出来ないほどに失礼なことをしてしまったと自覚している様子をあらわしています。
まさに反省することで、相手の顔すら見れなくなっているということになります。
顔から火が出る
これまでに顔から本当に火が出た人はいないかと思いますが、「顔から火が出る」という言葉は、顔からまるで火が出ているくらいにほてっている・熱く感じるくらいに恥ずかしい気持ちを意味しています。
「恥ずかしい気持ち」という意味合いで「汗顔の至り」という言葉と同じ意味合いになりますね。
しかし、「汗顔の至り」は誰かにたいして何か失態をしてしまったときに使える言葉ですが、「顔から火が出る」というのはもっと軽めの意味合いで恥ずかしい気持ちになっていることをさしています。
例えば、大好きな人に急にキスされてはずかしすぎて顔から火が出た・・のように使います。
痛恨の極み
こりゃまた難しい言葉が出てきてしまった!なんて思わないで。
「痛恨の極み」とは、非常に残念な様子、とても悔やむに値する出来事をさしています。
「汗顔の至り」も、何かしてしまったことにたいして心底恥ずかしさを感じている状況をさしており、それは場面によっては「後悔している」ことになりますよね。
「反省している」という意味と同等になります。
汗顔の至りの例文
あなたは「汗顔の至り」という言葉の意味を理解できたでしょうか。
なんとなくても理解することが出来たのであれば、次に進んでいきましょう。
次に確認していくのは「汗顔の至り」という言葉を使った例文になります。
せっかく「汗顔の至り」という言葉の意味を勉強し、覚えることが出来ても実際にどのように使われるのか、どのようなときに使っていけばいいのか分からないですよね。
それに、きちんとした「汗顔の至り」の意味を知っていたとしても、まちがった使い方で使ってしまってはそれこそ「汗顔の至り」な気持ちを感じることになるだけです。
そうならないように、ここで汗顔の至りを使った例文を確認しておきましょう。
いじめを防げなかったのは、教師として汗顔の至りです
現代社会では、いじめ問題が深刻化していますね。
筆者も学生時代にクラスの一部の人間がひとりを集中的にいじめるということがあり、今でもとても身近な問題に感じています。
そのようにいじめをしている人たちって、大人の前ではイイ顔をしているんですよね。
それに「君たちがいじめたんじゃないのか!」なんて聴いたところで、誰が認めるのでしょうか。
そもそも、学校内にいじめが起こってしまうというところにも問題があるといわれていますね。
まさに、その教師の気持ちを表しているのがこの文章になります。
「いじめを防ぐことが出来なかったのは、教師として恥ずかしいことだ、いじめられた保護者に顔をみせられないほどに申し訳ないと思っている、何も出来なかった自分に反省している」という意味になります。
いじめは、教師だけが防ぐことは出来ませんが、生徒の一番の味方であるはずの教師だからこそ気づいて欲しかったですね。
こんなことも知らなかったなんて、我ながら汗顔の至りだ
あなたは、周りの人は当たり前に知っていることだというのに自分だけ知らなくて恥ずかしかった!なんて経験はありませんか?まさにそのような気持ちを表現しているのがこの文章になります。
「こんなことも知らなかったのは、自分としてはとても恥ずかしいことだ」という意味合いになります。
筆者がはじめて「汗顔の至り」という感情を感じたのは小学生の頃でした。
あの有名なアイドルグループの嵐、SMAP、TOKIO、V6などがジャニーズだということをしらなかったんです。
ジャニーズといえば、タッキー&翼、少年隊のような昔のユニットしかないと思っていました。
まさにハズカシイ経験であり、そのときに教えてくれた友人の少しばかにしたような顔を忘れません。
さらに恥ずかしい気持ちになりましたからね!
実に汗顔の至りながら、これが失敗の原因だったと思います
あなたは、何か失敗をしてしまったときに反省をし、どうしてそのようなことがおきてしまったのか原因を探っているはずです。
この文章は、まさにそのような状況を表現している言葉になります。
「実にお恥ずかしい話ですが(こんなことをいうのも肩身が狭いですが)、これが失敗の原因だったと思います」という意味になります。
自分のしてしまったことを受け入れ、そしてその反省点を誰かに伝えるのって容易なことではありません。
でもそうやって自分のミスを認め、反省するからこそ次に成長することが出来るんですよね。
初歩的なミスをしてしまい、汗顔の至りです
これも一つ前の文章とほぼ同じ意味合いになります。
「初歩的なミスをしてしまって、(こんなことでミスするなんて)恥ずかしい気持ちです」ということになります。
ここでは反省もしていますし、それ以上に自分がしてしまったことに対して恥ずかしい気持ちのほうが上回っているのが分かるでしょう。
人違いをしてしまい、汗顔の至りです
あなたは、人違いをしたことはありますか?筆者は、大学生の頃に「話したことのある知人」と思って「久しぶり!元気だった?」なんて声をかけた人がいました。
しかし、それって顔のつくりから服装、メガネの形まで似ているだけの”そっくりさん”だったんです。
相手はきっと「??」な状態だったと思いますが、なんとなくのテンションであわせてくれたのか「元気だったよ!」なんていってくれたんですよね。
その間違えた方と別れた後、「あ、あの人知らん人だわ」と気づいた自分に赤面したのを覚えています。
人違いしたあげくに、声までかけていたなんて。
なんて恥ずかしいことなんでしょう。
この文章はまさにそのような状況を示しており、「人違いをしてしまって、恥ずかしい気持ちです。(間違えた相手に失礼な気持ちです)」という意味になります。
みなさんも、人違いだけにはくれぐれも気をつけてくださいね。
昔の私を知っている人に会うのは汗顔の至りだ
人って年月が立てばどんどん成長して変わっていくものです。
この文章の話し手は、変わることが出来たけれども以前の自分がとても恥ずかしいことをしていたのでしょうね。
そのため「昔の私を知っている人に会うのは恥ずかしい」という意味になります。
昔のやってしまったことをばらされたり、また恥ずかしい思いをほり起こされてしまうと警戒している気持ちも読み取れます。
いってみれば”黒歴史”ってやつですね。
汗顔の至りという言葉を使う人の特徴
あなたはどこで「汗顔の至り」という言葉を見聞きしたのでしょうか?
筆者は、はじめて「汗顔の至り」という言葉に出会ったのは、大学生の授業で読んだ文章でした。
また、そのように文章で見聞きしたという方もいれば、いつもなにかにつけて「汗顔の至り」という言葉を使っている人が身近にいるのかもしれないですね。
では、いったい「汗顔の至り」という少し難しそうな言葉を使うのってどんな人なのでしょうか?
年配の人
年配になると、それまでの人生経験もあり若者であれば知らないような言葉をたくさん知っていますよね。
それは昔の知り合いが使っていたのかもしれませんし、毎日読んでいる新聞のなかで出会った言葉かもしれません。
また、年配の人ってどこか「自分をよく見せたい」と思っているもの。
そんな気持ちから「汗顔の至り」という言葉を多用しているのです。
男性
この言葉は女性よりも男性がよく使っているものです。
それは年配の人が使っている理由と同じく、あまり他人がしらないような言葉を使うことでデキる自分を演出できると思っているからなんですよね。
たしかにそのように思われるかもしれませんが、人によっては「難しい人」として疎遠になってしまうことも。
読書好きな人
読書が好きな方であれば、これまでに読んで来た本のなかで「汗顔の至り」という言葉に出会ったのかもしれません。
書物のジャンルにもよりますが、ものによっては難しい言葉ばかりを使っている作者さんがいるんですよね。
勉強になりますが、他者にはあまり使わないほうが賢明かもしれません。
まとめ
今回は、「汗顔の至り」という言葉について特集してきました!どんな意味なのか、そしてどんなときに使われるのかを学習することはできたでしょうか。
少し難しいように感じる言葉ですが、意味を知ればすぐにでも使いたくなってしまうもの。
しかし、人によってはまだ聴いたことのない言葉なのであなたとの会話を楽しむことが出来ないかも。
そもそも「汗顔の至り」を感じるような場面にならないように気をつけていきたいですね!