時代劇などでよく、人にお礼を述べる時に「かたじけない」と武士が使っているのを耳にすることがあると思います。
この「かたじけない」は「忝い」や「辱い」と漢字では表します。
普段は耳にする機会の方が多いため、漢字にはあまりなじみがないという人や、漢字の読み方はよく分からないという人もいることでしょう。
武士の時代にしか使われていないと思っている人も多いですが、実際には現代でも「忝い」という言葉は使われています。
そんな「忝い」の意味や使い方を、例文をまじえてご紹介していきます!
忝いとは?
「忝い」という言葉は、日頃はあまり耳にする機会はないでしょう。
それこそ時代劇の中でしか聞いたことがないという人もいるかもしれません。
「忝い」はその言葉の響きからも何となく理解出来るように、敬語として使われている言葉です。
それも「おはようござます」や「ありがとうございます」などの一般的によく使われている敬語とは違い、かなり丁寧に相手に対して敬意を示している言葉ですので、日常会話の中ではほとんど登場しなくても不思議ではないでしょう。
普段は滅多に耳にする言葉ではないからこそ、「ひと昔前の言葉で今は使われていない」と勘違いしてしまう人も多いのかもしれません。
しかし、そんな「忝い」という言葉は、実は現代でも未だに使われ続けています。
使われる時には武士のように「忝い」と一言だけで言葉を終わらせることはなく、「忝いことでございます」や「忝く感じております」「○○で大変忝い」など、他の言葉と一緒に使われることが多いです。
そのため実際に「忝い」という言葉を使っていても、相手に対して違和感を与えることはあまりないでしょう。
以下に「忝い」の意味を詳しくみていきます。
意味
「忝い」という言葉を聞くと、あなたはどんな意味を想像しますか?時代劇の中では、武士が誰かに何かをしてもらった際や、気遣いを受けた際に「忝い」と軽く頭を下げながら言っていますので、お礼の言葉としての意味を持っているのでは?と思う人も多いことでしょう。
「忝い」という言葉を辞書で引くと、「もったいない、恐れ多い」「身に受けた恩恵などに対し、感謝の念でいっぱいのさま」「身に過ぎてありがたいこと」「恥ずかしい、面目ない」などの意味があります。
これらの意味から見ると、確かに「忝い」は自らの感謝の気持ちを表す言葉だということが分かります。
それも単純に「嬉しい」「有難い」というレベルの感謝ではなく、自分にはもったいないほどに有難いことだという、最上級の感謝の気持ちを示している言葉です。
そしてまた一方で、感謝の気持ち以外にも、恥ずかしい気持ちや、面目ないという気持ちも意味しています。
かたじけないは漢字で書くと「忝い」「辱い」となりますので、前者の漢字は感謝の意味を表わし、後者の漢字は恥ずかしいという意味を表わしているのでしょう。
武士の時代には、他人から施しを受けたり情を受けたりすることを恥ずかしいと思うことも珍しくはなかったため、そうしたところからも「恥ずかしい」という意味で「辱い」と使っていたのかもしれませんね。
感謝にたえない
「忝い」という言葉には、感謝にたえないといった意味があります。
「たえない」という言葉には、「たえ切れないほどにそう感じているさま」や「感情がほとばしり、抑えきれない」などの意味がありますので、感謝にたえないというのは、まさに感謝の気持ちが抑えられないほどに有難いと感じていることでもあります。
そのため、心の底から相手に深く感謝している時や、頭が上がらない、足を向けて寝られないほどに相手に対して感謝の気持ちを持っている時などに使われることが多いです。
大袈裟に感じてしまうという人は、恩義を感じている相手に対して使う言葉であると思ってもらえれば良いでしょう。
例えば時代劇の中で、放浪の武士が村の住民に食事を振舞ってもらった際に、「忝い」と伝える場面があった時、この武士は生きていくために必要不可欠な存在である食事、すなわち生きる糧を住民に与えてもらったことに対し、深い感謝の気持ちを言葉で伝えているということになります。
短い言葉で表現された時、あまりその言葉には重みがないように思えるかもしれません。
しかし実際には、たった一言の中に深い感謝の気持ちが込められているのです。
恐れ多い
「忝い」という言葉には、恐れ多いという意味もあります。
恐れ多いとは、「身分の高い人に対して失礼だ」や「身分の高い人から受けた厚意が、身に過ぎてもったいない」などの意味ですので、自分よりも遥かに上の存在だと感じている相手から何か厚意を受けた際には、自分の身に余るほどの光栄だという気持ちを表現する言葉でもあります。
本来はこのように、身分の高い相手に対して使われることが多いですが、例え身分や階級の差がない相手であったとしても、自分が心の底から感謝の念を覚えるような場合にも、恐れ多いとう意味で「忝い」と使うことがあります。
もったいない
「忝い」という言葉には、もったいないという意味もあります。
もったいないという言葉自体には、「有用な存在が粗末に扱われて惜しい」「神聖なものがおかされて恐れ多い」「目上の人の好意が分に過ぎて恐縮だ」「あるべき状態から外れて不都合だ」などのたくさんの意味があります。
この中でも、「忝い」の意味となるもったいないには、「目上の人の好意が分に過ぎて恐縮だ」という意味が当てはまります。
例えば会社の社長からお褒めの言葉を頂いた際に、社長という目上の人からわざわざ褒めてもらえるということが、自分の身に余るほどに光栄だと感じた時に、「もったいないお言葉です」と言葉を返すことがあります。
つまり、「自分にはもったいないことだ」と感じた時に、「忝い」の言葉として使うことがあるのです。
この「もったいない」を言い換えて、社長に「忝いお言葉です」と返すことが出来ます。
「忝い」をこのような場面でスマートに使うことが出来る人は、上司や周りの人からも教養があると評価されやすいでしょう。
恐縮だ
「忝い」には、「もったいない」と同様に、「恐縮だ」という意味もあります。
恐縮とはそもそも、「恐ろしくて身が縮むこと」や「身も縮むほどに恐れ入ること」という意味があります。
前者の意味の場合、例えば幽霊や妖怪のように、人外のものに出くわした時に感じる強い恐怖心から身が縮む思いを「恐縮だ」と言うことがあります。
また、後者の意味の場合は、例えば自分が大尊敬する相手や、格上の立場の相手からこちらを褒めてもらった際などに、自分などにはもったいない言葉で身が縮むといった思いの時に、「恐縮です」と言うことがあります。
そのため前者の意味は純粋な恐怖心から、後者の意味は自分の身に余るような出来事があった際に身が縮む思いがするということから、「恐縮だ」という言葉を使います。
本来はこのように、二通りの意味として恐縮は使われていますが、一般的には「恐れ多い」という意味で恐縮を使うことの方が多いです。
そちらの意味としてあまりに当たり前に使われているため、本来は怖いものに出くわした時にも恐縮を使うということ自体を知らないという人もいるかもしれません。
そして純粋な恐怖心を表わす言葉としても使うということを知らない人からすれば、誰かが怖い思いをして「恐縮だ」と言った際には、言葉の意味が違うのでは?と勘違いしてしまうこともあるかもしれませんね。
とはいえ、「忝い」という言葉で使う場合には、「恐れ多い」という意味の恐縮として使われていますので、そちらの意味として覚えておきましょう。
恥ずかしい
「忝い」は、感謝の気持ちを表す言葉であると同時に、「恥ずかしい」という気持ちを表す言葉でもあります。
自分の至らなさや不甲斐なさのために他人に迷惑をかけたり、世話になったりすることに対して、そんな自分を恥ずかしいと思う気持ちが、「忝い」という言葉になって表れています。
先ほど、武士が食事を見知らぬ誰かに世話をしてもらう際に、それに対する感謝の気持ちから「忝い」と口にすることがあるとご紹介しましたが、一方で見知らぬ人に食事の世話をしてもらわなければならない自分の不甲斐なさを恥ずかしく思う気持ちから、「忝い」と言うこともあります。
言われた方はどちらの意味で言われたのかまでは、あまり深く考えることはないでしょう。
単にお礼や申し訳ないという気持ちからそう言われたのだなと認識する程度ですが、「忝い」と口にする当人にとっては、その心情は事情や性格によって違っているのです。
「日本人は恥の文化」という言葉があるように、私たち日本人は、人様に迷惑をかけたり、手を煩わせたりすることを申し訳ない、恥ずかしいことだと考える傾向が強いです。
そのため、人から親切にされた際には、一言「ありがとう」と礼を言えばいいだけのところを、相手に対して申し訳ないという気持ちが心に浮かんできてしまうのです。
度が過ぎれば卑屈にも思えてしまう言動や態度ですが、適度にそのような恥を重んじる心は、日本人特有の尊いものであると言えるでしょう。
そうしたことからも、「忝い」は恥ずかしいという意味も持っています。
面目ない
「忝い」には、「面目ない」という意味も含まれています。
面目ないとは、「恥ずかしくて合わせる顔がない」という意味です。
例えば自分のミスで誰かに迷惑をかけてしまって、その人に尻拭いをさせてしまったなら、誠心誠意謝罪はするものの、それでも恥ずかしくて情けなくて、堂々とその人に顔向け出来なくなってしまうでしょう。
よほどの厚顔無恥な人でない限り、自分のせいで他人に迷惑をかけてしまったなら、その相手には「申し訳ない」と思うことでしょう。
そして迷惑をかけた内容が大きければ大きいほど、相手に対してまともに顔向けできなくなってしまいます。
「忝い」には、そんな自分を恥じ入る気持ちも含まれていますので、何か失態を犯して恥ずかしいという気持ちの時には、「忝い」という言葉を使うことがあります。
「忝い」の類語や関連語
「忝い」には、心からの感謝の気持ちや、恐れ多いという気持ち、また恥ずかしくて面目ないという気持ちなどが込められています。
それらの感情を一言だけで表せるのはとても便利で使い勝手が良くもありますが、いかんせん日常会話の中で頻繁に使うことがないため、ほとんどの場合は「忝い」と近い意味を持つ言葉で代用しています。
では、「忝い」の類語や関連語には、どのようなものがあるのでしょうか?知っておけば日常会話の中でも使えますので、類語や関連語を頭に入れておきましょう。
誠意を感じ、示す
「誠意を感じ、示す」とは、自分の感謝の気持ちや誠意の気持ちを、言葉や態度で他人に表すということです。
日本人は誠意を行動に表す際に、よく会釈をします。
会釈は挨拶として使われるだけでなく、感謝の気持ちや謝罪の気持ちを表す際にも用いることが多いため、誠意の気持ちを示す場合にも使われることが多いです。
一方で、会釈と同時に言葉としても、自分の誠意を示すことが多いです。
時々、ほとんど言葉を発さずに自らの行動だけで誠意を表わそうとする人がいますが、それでは相手の察しが悪かった場合に、誠意の気持ちが伝わらないこともありますし、違う意味として誤解を与えてしまう可能性もあります。
そのため、大抵の場合、誰もが誠意を感じてそれを示そうとしたのなら、言葉にして誠意を口に出すことが多いです。
「忝い」とは、まさに誠意の気持ちを言葉で示していることになります。
幸甚
「幸甚」は「こうじん」と読み、「この上ない幸せ」や「大変ありがたいこと」という意味があります。
「大変ありがたいこと」という深い感謝の気持ちは、「忝い」と関連するところがあるでしょう。
幸甚はほとんどの場合、手紙やメールなどの文面で使われます。
口に出して言葉にすることはあまりないため、もしも人から「幸甚です」と言われても、何のことだか分からないという人が多いでしょう。
文字にして初めてその言葉の意味が理解出来ますので、文面として使われることが多いです。
ビジネスメールや目上の人、自分が敬意を払う相手に対して主に使われています。
【幸甚の使い方は、こちらの記事もチェック!】
相手に誠意を伝えるための言葉など
相手に自分の誠意の気持ちを伝えようと思った時、あなたはどのような言葉でそれを伝えますか?誠意の気持ちが相手に対する感謝であれば、「本当にありがとうございます」や「恐縮です」などの丁寧な言葉でお礼を述べるのが一般的です。
また、相手に対する「申し訳ない」という気持ちから伝えようとする時には、「恐れ入ります」や「申し訳ございません」などの謝罪を意味する言葉で述べるのが一般的です。
他にもさまざまな言葉がありますが、誠意の言葉は、同じく誠意の感じられる態度と同時に用いることで、より相手に対して自分の誠意の気持ちを伝えることが出来ます。
例えどれだけ誠意を感じさせる言葉であっても、態度がそれを正反対では、とても相手にこちらの誠意を伝えることは出来ないでしょう。
まずは誠意のある態度を心がけ、その上できちんと言葉を選んで相手に伝える必要があります。
謝辞
「謝辞」は「しゃじ」と読み、感謝の言葉や謝罪の言葉という意味です。
有難いという感謝の気持ちと、申し訳ないという謝罪の気持ちのどちらに対しても当てはめることができますので、「忝い」と関連する言葉と言えるでしょう。
一見かしこまった言葉に思えますが、実際には使われる頻度はそれなりに多いです。
公の場やビジネスなどの場で、「謝辞を述べさせていただきます(ました)」などと複数人や大勢の前で発言をする際に使うことが多いです。
これから感謝や謝罪の言葉を述べるという時や、実際に述べた後のどちらでも使うことが出来ます。
恩に着る
「恩に着る」とは、「受けた恩を有難く思う」ことです。
生活に困っている時に、手を差し伸べてくれた人に対して恩を感じた場合に、「恩に着ます」や「この御恩は忘れません」などと感謝の気持ちを言葉にすることがあります。
「恩に着る」という言葉は、ちょっとした有難うという気持ちよりも大きく、深いものですので、本当に自分が心から感謝をし、この恩を忘れられないと感じた時に使うことが多いです。
「恩に着る」は、「忝い」よりも一般的に使われる頻度があるため、自分でもこの言葉を使ったことがあるという人もいるかもしれません。
自分が心から感謝した時にのみ使う言葉ですので、そう簡単に口に出すこともありません。
まさに「恩義を感じた」という時に「恩に着ます」と使います。
有難う
「有難う」は、老若男女すべてにおいて最もよく使われている感謝の言葉です。
「忝い」の簡易的な表現でもありますが、「有難う」の一言だけでも、相手に対する感謝の気持ちをよく伝えることが出来ますし、また言われた相手も良い気分になれる、誰にとっても素晴らしい言葉でしょう。
自分のした何気ない行動で誰かが「有難う」と言えば、言われた側は「相手にとって嬉しいことが出来たんだな」と分かりますし、もし相手にお礼の言葉を最初から求めていなかった場合には、思いもよらぬ感謝の言葉に、反対に自分が嬉しい気持ちになることもあるでしょう。
また、感謝の気持ちを伝える側にとっても、「有難う」の一言だけで相手に自分の気持ちを伝えることが出来ますので、感謝の言葉を使う機会も多いです。
心のこもった「有難う」は、言う側にとっても言われる側にとっても、とても気持ちのいいものです。
連想される言葉
「忝い」という言葉自体が、感謝の気持ちや謝罪の気持ちなどを表わしていますが、この言葉からさらに連想される言葉というものもあります。
それはことわざであったりシンプルな言葉であったりしますが、例えば感謝の意味としての「忝い」であれば、そこから連想される言葉は同じく感謝の気持ちを表す言葉でしょう。
また、「恐れ多い」という意味の「忝い」であれば、それと似たような意味の言葉が連想されます。
「忝い」から連想される言葉を以下にご紹介していきます。
かぶとを脱ぐ
「かぶとを脱ぐ」とは、「能力などで、とても叶わないことを認める」や「敵に降伏・降参する」という意味です。
例えば戦国時代、武士にとってかぶととは、戦場で己の身を守るために重要なものでした。
また、かぶとを被っていることで、自身の闘争心や意志の強さ、自尊心なども表していました。
そのかぶとを脱ぐということは、武士が相手に対して叶わないと認め、全面的に降伏するという意味を持っています。
もし、自分が相手に降参していない内から無理矢理にかぶとを脱がされたとなれば、武士にとっては死にも勝る屈辱だったことでしょう。
基本的にかぶとは一度付けたら、自分の意志で、自分の手で脱ぐものです。
自らかぶとを脱ぐという行為そのものが、相手に対して降伏するという意味ですので、そこから相手の能力に叶わないことを認めたり、降伏したりするということわざが生まれました。
「忝い」という言葉には、相手に対する恐れ多い気持ちが含まれています。
その恐れ多い気持ちから、かぶとを脱ぐという言葉が連想されるのでしょう。
全面降伏
歴史ものや戦争ものの映画や小説などの中で、「全面降伏」という言葉が使われることがあります。
この全面降伏とは、「すべてにおいて敵に服従すること」という意味です。
例えば戦争をして、負けた国が勝った国に全面降伏した場合、戦勝国は敗戦国に対して、どれだけでも理不尽な条約を結ぶことが出来ます。
日本も第二次世界大戦で敗戦国となった時に、アメリカに散々不平等な条約を結ばされましたが、全面降伏をした側は、例えどんなに理不尽な仕打ちを受けても、勝った相手に大人しく従わなければなりません。
自ら全面降伏をした国や個人は、これから相手からどんなに理不尽な仕打ちを受けようと、それを受ける覚悟をしなければならないでしょう。
全面降伏は、先の「かぶとを脱ぐ」という言葉とも意味が似ていますので、同じく自分よりも優れていたり、上にいたりする相手に従うというところから、「忝い」から連想される言葉だと考えられます。
感服
「感服」とは、「深く感じて敬服、または服従すること」です。
例えば同じ作業をしても、相手が自分よりも優れた結果を残した場合、その能力や優秀さに感動して、その相手を認め敬服することがありますが、このような時に「感服しました」と使うことがあります。
スポーツ大会で自分よりも好成績を残した人や、優れた学力を有する人、スキルが優れていたり、「自分ではとても出来ない」と思えるようなことを成し遂げたりした人物に対して、尊敬や敬意の意志を示す際に感服の言葉を使います。
よくテレビなどでも、プロの腕前を目にした人が、「感服致しました」と言っていることがありますので、一般的にも使われる頻度は多いでしょう。
自分には出来ないことをやってのける人に対して、「すごいなぁ」と思う気持ちは「忝い」から連想される言葉でもあります。
仰ぐ
「仰ぐ」とは、「上を向き高いところを見上げる」「人を尊敬する」「教示や援助を求める」「恩恵を受ける」などの意味があります。
この内の、「人を尊敬する」や「恩恵を受ける」といった意味が、「忝い」の言葉から連想されます。
「仰ぐ」は、「師と仰ぐ」「教えを仰いでいる」などと使うことが多く、自分が仰いでいる人に対して、尊敬や敬意を持っているという気持ちの表れでもあります。
「仰ぐ」にはさまざまな意味がありますが、人に対して使う場合には、このように尊敬や恩恵、敬意などの意味合いとして使われるのが一般的です。
心服
「心服」とは、「心の底から尊敬し、服従すること」です。
「感服」と似ていますが、相手を尊敬しているという部分を特に強調したい場合には、心服を用いることがあります。
自分が本当に心から尊敬出来る人に対して、その気持ちを言葉にして示したいと思う時には、「心服しています」と使うことが多いです。
とはいえ、心服はそこまで普段使いをすることはないでしょう。
「しんぷく」という言葉には、「心腹」や「振幅」など、たくさんの漢字がありますので、口にした時にはどういう意味か分からないということもあります。
口にして直ぐに「心服」の言葉が浮かんでこないということは、そこまで世間に浸透している言葉というわけではありませんので、文字にした方が相手には伝わりやすいです。
心服もまた、「忝い」から連想される言葉でしょう。
畏敬の念
雑誌や小説などで、時々「畏敬の念」という言葉が使われることがあります。
この畏敬の念とは、「恐れて敬う心情」のことです。
「畏敬」の「畏」とは、「つつしみを持って相対する心情」のことであり、基本的には神仏などに対して用いられることの多い言葉です。
そもそも、人が畏れ敬う存在は、人を遥かに超えた絶対的で神聖なものです。
すなわち神仏そのものですので、神仏に対しては当たり前に畏敬の念を抱くものですし、また宗教の伝道者などに対しても同じように畏敬の念を抱く人は少なくないでしょう。
本来は神仏に対して抱く感情ですが、時に自分よりも遥かに優れた能力を有する人を前にした時に、その相手に対して畏敬の念を抱く人もいます。
とはいえ、「心服」同様にそこまで普段使いをされることはありません。
「忝い」の使い方・例文
「忝い」の意味や類語についてはある程度理解出来たことでしょう。
普段使いはされない言葉ですので、実際の意味は理解出来ても、上手に言葉を使うことが出来ないという人は多いです。
もし、賢し気に「忝い」と言葉を使って、その使い方が間違っていたとしたら、顔から火が出るほどに恥ずかしい思いをすることになるかもしれません。
うっかり使い間違えをしないためにも、基本的な使い方についても知っておきましょう。
「忝い」の使い方を例文でご紹介していきます。
なんと忝いことだろう
もしも誰かにお世話になったり、助けてもらったりしたのなら、その恩義を感じて、「なんと忝いことだろう」と言うことがあります。
この上ないほど相手に感謝しているという気持ちが強い時には、単に「有難うございます」や「恐縮です」という言葉では、感謝の気持ちを伝えきれないことがあるでしょう。
そのような時に、「なんて忝いことでしょう」や「なんと忝いことだろう」などと使うことがあります。
日頃のお気遣い、忝い
日頃からあれこれと世話を焼いてくれる人や、さまざまな気遣いをしてくれる人に対して、「有難い」という感謝の気持ちと、「申し訳ない」という恐縮の気持ちを込めて、「日頃のお気遣い、忝く思います」などと使うことがあります。
それだけ相手の気遣いに感謝しているという気持ちに表れですので、言われる方も嫌な気持ちにはならないでしょう。
何もお礼ができない私に皆様の好意は忝い
自分のことで、周りがあれこれと世話を焼いてくれた時に、その深い感謝の気持ちを表すのに「忝い」という言葉を使うことがあります。
一人ひとりに特別なお礼をすることは出来なくても、どうにかこの感謝の気持ちを伝えたいという時に、「こんな私に対して皆さんの好意は本当に忝いことです。」などと言葉にして伝えることがあります。
感謝を伝える言葉としてはとても丁寧な言い方をしますので、相手にもこちらの気持ちが伝わりやすくなります。
私の不注意から迷惑をかけ、本当に忝い
もしも仕事でミスをしてしまい、そのせいで周りの人たちに迷惑をかけてしまった時、一言「申し訳ありません」と言うだけでは済まないこともあります。
もちろん自分で直ぐにフォローに回る必要がありますが、誠心誠意の対応に努めながらも、同時に本心からの謝罪を周りの人たちへ伝える必要があるでしょう。
そのような場合に、「私の不注意から皆様に迷惑をかけてしまい本当に忝く思います。」と使うことがあります。
誠意を持った対応と言葉で、周りの溜飲を多少は下げることが出来るかもしれません。
正しい意味を知って正しく使おう
「忝い」という言葉は、あまり普段使いをする言葉ではありません。
時代劇の中でしか聞いたことがないという人もいるでしょう。
しかし、現在でも場合によっては「忝い」と使うことがあります。
現在でも使うことがあるということや、「忝い」の意味や正しい使い方をきちんと理解しておけば、いざ自分がその言葉を使う側になった時に正しく使うことが出来ますし、また誰かが口にした時にも、それがどのような心情から発せられているのかということを想像しやすくなるでしょう。
「忝い」は使おうと思って簡単に使えるような言葉ではありませんが、いざ使う場面が訪れた時のことを考えて、予め意味や使い方を把握しておきましょう。