とりとめのない話し
とりとめのない話というのも良く使われています。
意味としましては単なるおしゃべりなど特に重要でも無く意味の無いお話のことですね。
井戸端会議などの話題などもこのとりとめのない話になります。
可もなく不可もなくといった話がこのとりとめのない話ですね。
実はこの可もなく不可もなくというのが重要な事だったりもしますよ。
メリットもデメリットも無い話というのは誰に対して話しをしても良い話になりますよね。
人などを選ばずに話せる内容の話しですので上手にとりとめのない話を活用することでお互いの距離をグンと縮めることができます。
お互いの距離が縮まることでその後のお互いの関係性が良くなりますよね。
お互いの距離が近くなるという事は敵対心が無くなり仲間意識がうまれます。
仲間意識がうまれてしまえば仲間内でしか話せない話もしてくれるようになりますよね。
仲間にしか打ち明けられないような得をする情報も得ることができます。
仲間になってしまえば時にはあなたの為に損をしてくれる場合もあるかもしれませんね。
とりとめのない話というのは一見すると意味も無い重要でも何もない話でする意味がないとも思われてしまうのですが、事実はこのとりとめのない話こそが重要なのかもしれませんね。
とりとめのない人
とりとめのない人という使われ方もよくされています。
いてもいなくても意味のない人という意味になりますが…実はこのとりとめのない人も重要な役割がありますね。
特に重要な役割があるわけでもない人のことをとりとめのない人などと言いますが言いかえるとエキストラやモブキャラと言ったところですね。
いなければいなくても本来の進行や意味は分かり重要とまではいかない人のことになります。
しかしこのエキストラやモブキャラがいないとなると…想像してみて下さい。
話の筋や意味は分かるのですが何だか味気の無いことになってしまいませんか?
実は重要でないとりとめのない人こそがその場の演出や本来の意味を引き立たせることになっているのです。
とりとめのない人だからこそできる重要な役割が本当はあったんですよね。
ただ単に物事に身や重要性だけで言ったら、居ても居なくても本来の目的には意味の無い人とされてしまいますが見方を変えるだけで実は最も重要な役割を持っている人になったりもするのがとりとめのない人になります。
とりとめのない日常が素晴らしい
とりとめのない日常が素晴らしい?なぜ?なんて思う人もいるかと思います。
良い事が起きた方が良いのではとも思いますよね。
しかしこのとりとめのない日常というのは当たり前の日常という事になりますよね。
という事は勘の良い人はもうお分かりですよね。
とりとめのない日常でもそのとりとめの無さによって素晴らしい物にも悲惨な日常にもなってしまいます。
例えば良い事ばかり起こる日常では良い事が起こることが当たり前な日常になってしまいますよね。
このとりとめのない日常は一見すると素晴らしい日常なのではと思いますが…
良い事が起こるのが当たり前になっているので何にも起きない日常になってしまうと損した気分や物足りなさを感じてしまう日常となってしまいますね。
これでは良い事が起こらない普通の日常が嫌な日常に変わってしまいます。
良い事ばかり起きているうちは良いのですが一度起きなくなってしまうと…という感じですね。
逆に嫌な事ばかりきてしまうと嫌な事が起こるのが当たり前になりますよね。
今日もまたとりとめのない日常なんだなと思っている日常も他の人からしたら悲惨な日常になってしまっていますよね。
しかし、嫌な事が起こらない普通の日常になった時にはなんて今日は素晴らしいんだと映鵜のとりとめのない日常のすばらしさが身に染みて分かるようになります。
普通が一番幸せなんだなって感じられるんですよね。
では普通の何にもない日常が続くとどうでしょうか?