今回はハッピーな「両思い」、つまり「相思相愛」について語っていきたいと思います。

今の時代、悲しい事もあり、辛い事も生きていく中で多くを経験されると思いますが、

その中でかけがえのないこの「他者からの愛情」をより大切にしていくための方法をご紹介していければなと思っております。

色んなところで耳にする相思相愛

まず「相思相愛」とは世の中のどんなシチュエーションでお聞きするでしょうか?

街中を歩いていても、テレビを見ていても、この「相思相愛」は耳にする言葉かも知れません。

元々は「愛」という文字が入っている分、「恋愛の意味」で使われる事が多いと思います。

しかし現代では意味が拡張しているせいか恋愛事意外にも、「飼い主とペットの関係」、「クラブと選手の移籍問題」などでも使ったりしているようです。

このように現代社会はある種「荒み過ぎた社会」とも言えるのかも知れませんから、どの分野にも人の温かみ、つまり「愛」に餓えているのが現状なのかも知れません。

これって相思相愛?確認してみよう

しかしそうは言っても、みなさんの日常生活でこの「相思相愛」と用いるときにはやはり、「恋愛」が一番多いのではないかと思います。

求めているという意味でもコレですかね?

そんな是非とも自分の身にも訪れてほしい「相思相愛」は、特に「人間関係」を考える上で、

どんな状況でその予兆が感じられるでしょうか?次に項目を分けながらまとめていきたいと思います。

一緒にいるだけで照れちゃう

誰かと一緒に居て照れるときは、少なくとも自分が相手に好意を持っているという事が出来ると思います。

でなければ照れている意味があまり説明できませんからね?

そう考えれば、相手が自分と居る時に「照れている状況」があれば、自分の感情と同じ様に相手も自分に好意を持っているのかも知れません。

ちゃんと目を見て話を聞いてくれる

人は基本的に「人の目を見て話すこと」を避けます。

これは恐いお兄さん同士のけんかで「メンチを切る」、「ガンを飛ばす」などの状況で言えば分かりやすいかもしれません。

つまり本来「相手の目を見る事」は、「威嚇」の意味が強いという事です。

しかし、その人が自分の目を見て話してくれる事に「好感を抱く」のはなぜでしょうか?

威嚇の意味が強い「他人の目を見る行為」が心地よいのはなぜでしょうか?

それは「目を見られる事は嫌だけど、その嫌なことであってもこの人にならそうされたい」と思っているからです。

「本来嫌いな事が、人によって好きになる」、これは「愛情」でなくて何なんでしょうか?

「自分の目を見て話を聞いてくれること」は、相手からの心遣いなどが伝わってきそうですね?

でも、目をみているとお互い照れちゃう

しかし、あまりに見つめ合っているとやはり恥ずかしいですよね?

でもその「恥ずかしい」のは何ででしょうね?お互いに「好きだから」なのではないでしょうか?

あんまり人前で「イチャイチャ」しないように。

自分にしか見せない姿がある

よくペットのイヌやネコが、「仰向けになってお腹を出して寝ること」ってありますよね?

本来は「腹を出す」のはとても危険な行為です。

4足歩行では急に天敵から襲われれば、いち早く危険を察知し「逃げるため」には「うつ伏せ」の方が絶対に良いでしょう。

つまり家族の前で「仰向けに寝る」のは、誰も自分を攻撃してくるものが居ないという安心感から、「よりリラックスしている」という事に他なりません。

相手に対し「何らかの警戒心が強ければ、守りに入る」のが動物の長年培ってきた本能です。

ですからその本能が「この人なら大丈夫」と言って、安心した「仰向けポーズのような」、

リラックスしている一面を見せてくれていたら、「相手からの信頼は大きい」ということが言えるのかも知れません。

自分と一緒にいると楽しそう

相手がもし「良く笑う」という面があれば、相思相愛度が高いのかもしれません。

「この人いつも笑っているな」と思ったとき、「自分が居ない時のその人」は一体どんな態度なのでしょうか?

もし自分と一緒に居ない時のその人が楽しそうでなければ、あなたに対しての愛情が強いのかも知れませんね?

なんでも話せる

他人の警戒心という観点から話をすれば、「どんな話題でも相手に話せる」ということも相思相愛の意味合いは強いのかも知れません。

この世の中で「誰にも言わないでね?」と言って周りに知れ渡ってきた話が一体いくつあるでしょうか?

通常、人に隠しごとを話すと、高確率で周囲に広まってしまうと思います。

人は他人の噂話が好きとかいろいろあると思いますので、こればっかりは仕方ありません。

ですからそういった経験からも通常は「人に話しても良いような話かどうかブレーキを掛ける」のが当り前の心理です。

そういった事からも、「何でも話してくれる」というのは「信頼度が高い」という事が言えると思いますので、そういう方の言葉は大事にしておいた方が良いかもしれません。

一緒に何かしようとしてくれる


「好き」という感情は、「一蓮托生」だと常々思っています。

人に対しても、物事に対してもそうです。

好きだからこそ「近くに置いておきたい」、好きだからこそ「一緒に居させてほしい」と思うのが「好き」という感情の本質なのだと思うのです。

逆に「嫌い」は「断固拒絶」の感情です。

嫌いな人・モノはとにかく「自分の人生に登場してほしくない」、「関わりたくない」というものが本音でしょう。

嫌いなものとは徹底的に自分との関係を断ちたいと人は考えるのだと思います。

つまり、「一緒に居たい」というのはそれだけで「好意を寄せている」ということが言えると思いますし、「心配している」という感情もあるのだと思います。

この人と「一蓮托生でありたい…」と思えるのは相手に多大な好意を持っていると思いますがみなさんはどう思いますか?

否定しない

「好きな人を否定する」のはなかなかできない事です。

なるべくなら「やりたくない事」ですよね?あなたがそういった考えならば、相手もそうかもしれません。

そう考えると、先ほどの「嫌いなものに対しては断固拒絶が心理」という事も、ここでは活きてくる表現だと思います。

巷ではよく、あるものを見てそのものを肯定する時、「これ可愛いかも…」と語尾に「かもしれない」を付けたりします。

こういった場合、自分は相手に「その物」がカワイイという肯定の意思を示したい気持ちはあるが全面的に肯定してしまうと、

「もしかしたら相手が否定するかもしれない」という恐怖心から、「全面的には肯定しないでいる」、「何となく逃げ道を作っている」という事が言えると思います。

最終的な判断は「保留」にしている状態ということですね。

つまりそのものを全面的に肯定してしまうと、相手が「そんなに可愛くないでしょ?」と否定して来たときに、

まるで「そのものをカワイイと判断した自分の人間性まで同時に否定されたような気持ちになる」というリスクがある訳です。

こういったリスク回避をするためにも、「カワイイかも…」で言い切らずに止めておいて、相手に否定された時には、

「そうだね、良く観たら可愛くはなかった…」と相手の意思に沿って、共にそのものを否定出来るのです。

こういった感覚からも、「他者からの否定」はとても恐い事です。

それをする事とは、「断固拒否」、「自分の人生の登場人物であってほしくない」ということですから、

逆に「否定されない」というだけで、かなりの恋愛や友情のアドバンテージがあるのではないでしょうか?

好きな人は基本的に「否定しない」のは、自分の近くに居てほしい「一蓮托生」の念があるからではないでしょうか?

相手の欠点を認めてくれる

更に言えば、人の欠点をも認められ、受け入れられるような存在は、かなりの「信頼度が高い」と言えるのではないでしょうか?誰でも「欠点」はあります。

しかし「欠点」なのですから、なかなか認めてあげる事は難しい事です。

よく「相手の欠点を10個言い合って、それでも笑いあえたら本当の親友だ」みたいな事を言うと思います。

他人の欠点を認める事は、「通常は嫌だし認めたくないけど、この人なら許せる」という言わば「特例」ということにはならないでしょうか?

つまりその特例を認めるという事は、それだけその人物がその人にとって、「重大な人」とも言えるのだと思います。

更に、欠点を知っているという事は、それだけ互いに「付き合いがある」ということも言えると思います。

相手の嫌な部分を知っていて尚且つ許せるような存在ならば、互いの信頼度は高く、相思相愛であると言えるのではないでしょうか?

「相思相愛」って?

では次に相思相愛の本来の意味合いなどを見ていきたいと思います。

この荒んだ社会で人に対する思いやりや愛情が、一際重要視されているように思いますので、意味もしっかり把握してその「温かさ」にあやかりたいものですね?

意味

まず前半の「相思」は相手を慕う事、そして後半の「相愛」が相手を愛する事という意味です。

まとめるとするならば、「相手を思いやり、愛し合う事」という意味になりますね?

つまり、「自分も相手が好きだし、相手も自分が好き」という事になります。

 

四字熟語

同じ様に「恋愛」で用いられる「四字熟語」は他にもあります。

例えば「双宿双飛(そうしゅくそうひ)」は、「双」が鳥のつがいを示し、親鳥が夫婦仲良く巣から飛び立ち、

また舞い戻って来るような様から、「夫婦仲良く二人三脚生活していく」という意味があります。

また、「一日千秋(いちじつせんしゅう)」は、一日会っていないと、まるで秋季三回分も会っていないように思える「一日三秋」から転じて出来た言葉だそうです。

こう見るとなんだかロマンチックな意味ですね?

類義語

類義語を時点で調べてみると、「慕い合う」、「蜜月」、「両思い」などが出てきます。

ここで「蜜月(みつげつ)」とは、結婚して間もない夫婦の関係という意味ですが、語源はなんと英語の「ハネムーン(Honey Moon)」から来ているみたいなんです。

そもそもこの「ハネムーン」は、古代ゲルマン人の中で結婚の1カ月間は「ハチミツ酒」を呑む習慣があった事や、

結婚直後は「蜜のように甘くとろけるような関係」、

または「結婚生活は満月がすぐ欠けてしまうように脆く儚い一時的なもの」という意味などから出来たという語源には諸説ある面白い言葉です。

そんな意味深い言葉であるハネムーンの「Honey」を蜜、「Moon」を月と和訳して出来たのが「蜜月」だそうですよ?言葉って面白いですね?

使い方

では「相思相愛」の話しに戻りますが、使い方は簡単です。

相思相愛が互いに信頼し合った状態であることが分かればいいのです。

カップルで使うとき

例えば「カップル」で使う場合には、「あの二人いつも一緒で仲良しだね?」という状況ではこの相思相愛が使えるのではないでしょうか?

ですから、「どこに行くのにもいつも一緒のあの二人は本当に相思相愛の関係だ」という具合になると思います。

友達同士で使うとき


また友人同士で使う時には、「あの二人は例え離れていても、いつも互いを思い、信頼し合っているので、

正に相思相愛の関係だ」というように、「友人同士」でも使えるのではないでしょうか?

相思相愛ってどういう状態?

では具体的に、「相思相愛」とはどんな関係なのでしょうか?

上記のように「カップルの場合」と、「友人の場合」の2つに分けてまとめていきたいと思います。

カップル同士の相思相愛

恋愛で使う場合の「相思相愛」は、やはり何と言っても「愛情」を強く表現する時に用いるのだと思います。

そこで、相思相愛に足る、「愛情」とは何なんでしょうか?

お互いに尊敬している