手を抜かない
最初から最後まで手を抜かずにやることは大切ですが、それは考えようによっては疲れるだけというのもあります。
仕事も内容、出来栄え、結果に対しては手を抜いてはいけません。
とことんまで追及する必要があると思いますが、そこに向かう過程の中では、たまに休んだり、抜いたりすることも絶対に必要です。
サッカーの世界で、世界一の選手と言われているアルゼンチンのメッシ選手の試合での動きを見ていると、チームの選手が一生懸命にボールを追いかけている時に、だらだらと1人だけさぼっているような光景がよく見られます。
1人だけなんでサボっているのだろうと思うのですが、チャンスになった瞬間にいきなりトップスピードに入り、誰もついていけないようなドリブルと、強烈なシュートであっという間に点を奪います。
ずっと頑張ることがいい結果を生むろは言えないということです。
4.窮屈
いい人として生きることは非常に閉塞感があり、窮屈です。
こういった振る舞いをすればいい人ではなくなってしまうかもしれないと考えると、のびのびと行動したり、意見を言ったりできなくなってしまうのは当然のことです。
別に相手を傷つける気など全くなかったとしても、相手の機嫌や、言葉尻の捉え方などで傷つけてしまうことはあります。
そんなケースまで排除しようと神経質になったところで意味のないことです。
いい人でいなければいけないというプレッシャーが、自分の生きる世界をどんどん狭くし、どんどん窮屈になっていくのです。
演じている
ナチュラルな、自然な振る舞いが周りの人間のいい人であるという評価につながっているなら、それは本当にいい人であるのでしょう。
本人も無理なく自然体ならいいと思いますが、いい人を演じている人は大変です。
本当の自分は、周りが言うようないい人でもなんでもないのに、その評価を守るために必死いい人を演じる。
演じるわけですから、演技の引き出しも限られたものになってくるでしょう。
ですからどんどん窮屈な生き方しかできなくなってくるのです。
過剰な気遣いをしている
Aさんにこう言ったら、Bさんはよく思わないかもしれない。
じゃあ両方にいい顔をしておこうか。
そしたら皆に八方美人と呼ばれるかもしれない等々。
考えるときりがないほど、いい人は周りの人間に過剰な気を使っています。
周りに過剰な気遣いをして、気がついてみると、自分がどこにもいなくなっていたということはよくあります。
全て相手に合わせて、相手に嫌われないように生きているので、考えが狭くなっていきます。
普段あまり笑わない人間のくせに、会社に行くと皆から暗いやつだと思われたくないがために、一生懸命笑顔を作って愛想を振りまいて、家に帰ってきたら無理に笑顔を作りすぎて顔が引きつってしまった人もいます。
過剰な気遣いというのは心身のためによくないです。
いつか悪影響がでてくるでしょう。
5.無理しすぎ
現代日本では過労死の問題が非常に大きな問題として社会に影を落としています。
大きな権力を持っいる上司に逆らえず、重労働をやむなくやっていたという人もいるでしょうが、その一方で、自ら無理をしすぎて体調を崩すという人も多くいるのではないかと思います。
なぜ無理をしすぎてしまうのか?
いい人であり続けなければいけないという意識がどこかにあるのではないでしょうか。
そういった意識が無理をする原因となり、過労死などの最悪の状況を引き起こしているとすれば、根本的に見直さなければならないのではないかと思います。
我慢しすぎている
いい人というのは少々のことで弱音をあげたり、文句を言うことがいけないことだという思いが人一倍強いので、限界まで我慢してしまうという傾向にあります。
そして限界までいって倒れてしまうのです。
人間には我慢の限界があり、そこに到達してしまうまでに、抜くことが必要です。
それができないと大変なことになる可能性があります。