「としては」という言葉は、何かの立場を指し示す言葉でしたね。
それをもっと簡単に伝えようとするのであれば「~にとって」と言い換えることができるのではないでしょうか。
例文で確認してみましょう。
「私としては」=「私にとって」というように言い換えることができますよね!
そのように、「私にとって」という文章でも、“私の立場”というのを伝えていることになります。
よって、連想される言葉の中のひとつとして説明できるわけです。
もしかしたら、あなたが想像した「としては」という言葉の連想される言葉には、この「~にとって」という言葉があったのではないでしょうか。
に言わせれば
「~に言わせれば」という言葉は、~にあてはまる人物の意見を主張しているということ、それにその人の意見に注目しているというニュアンスを感じ取ることができるかと思います。
何か事件などがおきて、いろいろな人の意見をきいていたとしますね。
そんなとき「あの人に言わせれば」とか「私に言わせれば」なんて使うことができます。
ちょっとややこしくてわかりにくいように感じてしまう言葉ですが、「~に言わせれば」というのは、~の部分にあてはまる人の意見を伝えていることになります。
それって「としては」の「~の立場において」「~の場合には」という意味合いと同じですよね。
にしてみれば
「としては」というのは、特定の立場だったり、特定のシーンからいえることを主張する言葉でしたね。
それを考えると「~にしてみれば」という言葉も連想することができます。
「~にしてみれば」を例文にしてみると「私にしてみれば…」「あの人にしてみれば…」なんて表現できます。
これって、“私”と“あの人”の立場に立って、その立場から見えることを主張している文章に続くのは、想像できますよね。
「私としては、あの人とお付き合いをしたかった」という文章は、「私にしてみれば、あの人とお付き合いをしたかった」という意味になります。
これってイコールで結ぶことができますね。
よって、「にしてみれば」という言葉は「としては」の連想できる言葉、類語としてお伝えすることができるのです。
としても
「私としましても…」なんてビジネスシーンで使ったりするのは、この言葉のほうが多いかもしれません。
「としては」というのは、特定のシーンや立場を説明するために使われる言葉でしたね。
「としても」という言葉も「~としても」で~に入る部分の人の気持ちを主張したり、そ子に当てはまるであろう物事がどんなものなのかを主張するために使われる言葉になります。
「私としても、あれはあり得ないと思った」というのであれば、だれかと会話をしていておそらくその会話の相手が“あれはありえない”と感じていた、とこの話し手に説明していたのでしょう。
つまり「私としては、あれはあり得ないと思った」という文章にすると、これはもう一方の人が話したことを受けて話しているということにはなりませんが、“あれはよくないと思った”という点で合致しますね。
つまり、同じ意味合いを持っているということになります。
にしても
「私にしても」「あの人にしてもさ」なんて言葉は、これまた日常的に使う言葉ですね。
これは「~にしても」で~に入る部分の人のことを例に挙げても、(のちに続く文章のことを)あれも~だよね、というような意味合いになります。
例文で確認してみましょう。
「あの人にしても、やっぱりもっと活躍するべきだったと思うんだよね」というのであれば、「(ほかにももっと活躍すべき人がいたという前提で)あの人も、やっぱりもっと活躍するべきだったと思うんだよね」という意味合いになります。
これを「としては」に言い換えると「(ほかにももっと活躍すべき人がいたという前提のもと)あの人としても、もっと活躍したいと思っていたはずなんだよね」という文章になります。
「にしても」という言葉は第3者の目線で伝えたいことを文章化することができますが、「とてしては」というのはその当事者の気持ちを使うというところで注意したいですね。
この二つの文章の伝えたいことは合致しているのですが、“どの立場で話しているのか”“どの目線なのか”がまったく異なっているのを確認できるでしょう。
要するにそこだけ相違点があるだけで、「にしても」という言葉も「としては」という言葉に似た言葉になります。
にしたって
「~にしたって」という言葉は、ひとつ前の項目の説明をうけてわかりやすく説明するのであれば、第3者の目線でその気持ちやその実況を説明することができますね。
「あの人にしたって、もっと活躍したいと思っていたはずなんだよね!」なんてサッカーのゴールを決めることのできなかった人を見て話す人がいるかもしれません。