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お節介と親切の違いは?迷惑と感じて...(続き2)

自分にとってはとっても親切にしていたことも、もしかしたら相手からはお節介だと思われているかもしれません。

それを判断するにはまずはこれからご紹介する二つの指標を目印にしてください。

あなたは親切かそれともお節介、どちらの方が多くできていますか?

誰の気持ちを考えているか

お節介と親切の説明をもう一度読んでみると、お節介は「必要がないのに世話をすること」であり、親切は「相手の身を考慮してから、自分ができることをやる」と言ったニュアンスではないでしょうか?

つまり、簡単に言えばこの二つの違いは「誰の気持ちを考えているか」ということなのです。

相手のことを考えているのであればそれは親切ですし、自分の気持ちだけで動いているのであればそれはお節介ということです。

また、ここでは実際にどういう行動をとったかということではなく、単に誰の気持ちを「考えている」か、ということだけに着目したいと思います。

相手ならば親切


相手の気持ちを考えるということ、これは親切心とともに昔から親や先生なんかに言われてきたことですよね。

「相手の気持ちを考えなさい」「相手の立場になりなさい」ということは散々言われて育つことです。

社会人になっても相手の立場を考えるということは大切なことであり、人がいい人間関係を保つために必要不可欠な能力なのです。

親切とは、この「相手の気持ちを考えて行動していること」を指します。

相手の気持ちを考えて、相手がこうしてほしいと思っているからこそそうしてあげる、それが真の親切だということです。

自分ならばお節介

反対に、相手の立場や気持ちを考えずに、これはやってあげるべきだという自分の気持ちだけを考えているのであればそれはお節介になりうるのです。

相手がどう思うかは関係なく、こうしてあげたら喜ぶだろうという独りよがりな考えが、お節介を招いてしまうのです。

相手に何かしてあげようという根底にある思いは一緒なのですが、相手の気持ちを感がえているか自分の気持ちだけで動いているか、そこが違うだけで親切にもお節介にもなってしまうということです。

または、元から親切心などなく自分への見返りを求めて恩を売るという人もいます。

これも、自分の気持ちだけを考えて行動しているということなので、同じようにお節介に分類されるということです。

誰の気持ちを優先できているか

また、誰の気持ちを優先しているかでも、親切とお節介は区別することができます。

自分や相手の気持ちを考えることはできますが、実際に行動に移す時にどちらを優先するかでそれがお節介か親切かが変わってくるのです。

あなたは誰かに親切にしようと考える時、本当に相手の気持ちを優先して行動できていますか?

自分の気持ちだけを優先してしまっては親切もありがた迷惑になってしまいますよ。

相手ならば親切

もちろんのことですが、相手の気持ちを優先してそれに合わせて行動を起こしているというのは、相手からも本気で感謝されますし心からの親切だと言えるでしょう。

誰かが困っている時、相手の気持ちを予想することはできますが、果たしてそこで本当に相手の気持ちを優先して行動できるのか?

それとも、少しの見栄と独断で自分の気持ちを優先させてしまうのか?親切とは前者の行動にのみ当てはまるのです。

いつも周りから「親切だね」と言われることが多い人は、きっと自分の見栄や周りからの評価などを一切気にせずに、その人が本当に困っている時に最善を尽くしているのでしょう。

自分ならばお節介

逆に、相手の気持ちをわかっていても結局自分の気持ちや都合を優先してお世話を焼いてしまっている人は、相手からするとお節介と思われてしまいます。

特に、自分の株を上げるためにやっている「親切」な行動なんかは、相手にもその周りの人にもすぐにわかってしまうことでしょう。

または、本人は本当に相手のためだと思っていても、相手からお節介だと思われてしまうこともあります。

それはきっと、自分の中で「この人はこうして欲しいに違いない!」と独断で相手の求めることを想像してしまっているのでしょう。

本人は良かれと持ってやっていることなので、相手も無下にはできずに渋々その行為を受け取らなければいけません。

これは前者よりももっとたちが悪いと言えるかもしれませんね。

迷惑と感じてしまう5個の行動

親切とお節介とは、かなり似ているようでその中身は全然違うもののようですね。

特に注目すべきは行動を起こす側ではなく、その好意を受け取る相手です。