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溝とはどういう意味?夫婦の溝ができ...(続き3)

このように、より細かく例を見てみると、どちらの立場にしても共感できる・できないがあり、それこそが価値観の違いです。

価値観というのは2人が出会うずっと前から染みついているものであるため、共有はできてもどちらかに寄せるというのは難しいものがあります。

そもそも結婚したわけですから、ある程度の価値観の違いを認識した上での決断だろうと思いがちですが、一緒に暮らしてお互い気が抜けてくると本性が出て「こんなはずじゃなかった」と思うことも少なくありません。

とくに夫婦は子供の育て方、教育論で対立したり、片方の実家には顔を出すのに一方のことをないがしろにするなど、血縁絡みの問題が勃発するとなかなか埋められない溝ができてしまいます。

2.約束を忘れる

カップルならデートの約束をすっぽかすとか、その程度で別れるという選択肢もありますが、夫婦の場合は約束を反故にされてもなかなか言い出しづらかったり、指摘しても言い争いになって逃げ場がなくなるので回避している内に溝が深まっているということがあります。

記念日は一緒に過ごすという約束を破ることに始まり、妻の妊娠中は禁煙という約束を「耐えられない」という理由で破ったり、家事は分担するという約束も「疲れている」などの理由で結局どちらかの負担が大きくなったりすることは事例として多いです。

あるいは「脱ぎ散らかさずにカゴに入れる」「食器は洗ったらすぐ拭いて棚にしまう」など家事に関する細かなルールも気を抜いてついつい忘れてしまうことがあるでしょう。

また、約束を忘れたり破っているつもりがなくても受取手から見るとそうではないこともあります。

たとえば「子供ができたら育児はお互いにしようね」と決めていたにもかかわらず、その内容が曖昧であるため、一方が休日に家族サービスと称して子供と遊んでいるだけで育児をしている気になっているような場合です。

それは育児でもなんでもありませんが、平気で「育児やってる」なんて言われると溝が深まります。

あるいは、一方が在宅できる環境だと、在宅している側が帰ってきた相手に一番代わって欲しいことは家事ではなく子供の相手である場合もあります。

それを気を遣っているつもりで皿洗いや洗濯、料理などをしてしまうと、一方が延々と子供の世話にあたることになり精神的ストレスがたまってしまうのです。

3.浮気の発覚


浮気・不倫の発覚は離婚理由になりますし慰謝料も発生するレベルなので、溝というにはあまりにも重い原因ですが一応挙げておきます。

浮気する側が悪いに決まっていますが、された側も自分に何か原因があったのではないかと罪悪感をおぼえたり、本当は離婚したいのに子供に知られるわけにはいかないため表面上仲良くするなど、どんなに取り繕っても心に何かがひっかかります。

火遊びの程度に関わらず、裏切りには違いありませんから、浮気や不倫が原因で生まれた溝が埋まることはないでしょう。

どれだけ埋めてもうっすらと窪みを残したままの関係が続きます。

埋まらない溝なわけですから、この夫婦が今後も付き合いを続けていくには新な関係の構築しか手段はありません。

4.当たり前化

長年連れ添っている夫婦にとってはこれが一番の溝の原因といえます。

付き合いたての頃は全てに感謝を感じていても、それが当たり前になってしまうと問題です。

どちらかが家事専業、共働きに関わらず、生活を維持できているのはお互いの協力あってこそ。

しかし、これがお互いの役割として定着してしまうと、感謝の気持ちが薄れていきます。

本来は感謝すべきことが“やって当たり前”になると、むしろやらない時があっただけで指摘したくなったり、雑さがあると欠点に見えたりします。

日常生活を維持することは、お互いがプラスに動いていることで成り立っていますが、そのプラスが0に見えてマイナスばかりが目につく状況です。

こうなると、多少の感覚の違いが引き金になって、あれもこれもと相手のことを嫌いになったと勘違いしてしまうでしょう。

また、当たり前化が起きると多少のことでは感謝できなくなるので、より頑張って見えやすい成果を残さなければならなくなります。

相手から感謝されたい一心で手のこんだ料理を作ってみたり、仕事に没頭して昇給してみたり。

でも相手からすれば、もっとサクッと出てくる食事が良いかもしれないし、金銭的余裕よりも早く帰ってきて家事育児をやってほしいと思っているかもしれません。

しかし、感謝されたい一心なのでそれが見えず、相手が求めているかもわからないまま、自己流で突き進んで破滅するパターンです。

5.コミュニケーション不足

会話の無い夫婦が存在します。

家庭内での会話は子供を通してしかなく、子供が寝た後は無言のままなんていうのもあります。

お互いが気を許していると言えば聞こえはいいですが、同じ空間にいてずっと無言で過ごすというのはあまりにも不自然です。

そこまでではないにしても、言葉が足りないが故の誤解や、話題がないことへのストレスは発生します。

「あうんの呼吸」「つーかーの仲」なんて言いますが、そんな夫婦はこの世にいません。

もし夫婦になる二人がそのような仲になれるのだったらプロポーズはこの世に存在しないはずです。

どれだけ長い時間を過ごしても、育ってきた家庭・環境、今までの経験から考え方まで何から何まで違う他人です。

そして、違うからこそ好きになるわけです。