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悲しみの感情と上手に向き合う方法7...(続き2)

時薬という言葉があるように、時間が癒してくれる

時薬は「ときぐすり」と読みます。

日にち薬とも言ったりしますが、怪我や病気も放っておけば自己回復力で治っていくということがあるという意味であり、それが感情の癒しにも使われるようになりました。

「時間が癒してくれるよ」と言われると「建前」「ポジティブすぎる」と思う人も少なくないでしょう。

とくに近しい人との死別なんて5日で悲しみがおさまるわけもないと思うはずです。

しかし、誰かが亡くなったとしても、全く知らない相手なら「お気のどくに」とは思っても悲しいとは思いません。

つまり、死そのものが悲しいわけではないのです。

そして、突然訪れた不幸に対する悲しみだけなら5日で消え失せるはずですから、時薬というのも、あながち間違った表現ではありません。

死別の悲しみは、その相手と話し、触れあうことが、もうできないことに対する悲しみです。

だからこそ、話したい、触れたいと思う度に失ってしまったことを自覚し、思い出があればあるほど、記憶が蘇って悲しみも反復されていきます。

逆に言えば、そんなに話したいと思うこともない相手、思い出せることが少ない相手ほど悲しみの更新が少ないため癒えるのも早いということです。

近しい人の死のように、圧倒的な悲しみに対しても時薬の効果は発揮されます。

とはいえ、それを実感するまでには長い期間を要します。

幸せの記憶を伴い、それを失ったことに対する悲しみについては意識的に対処する必要はありません。

その悲しみの中に身を置き、大切な記憶の1つになるまではそっとしておきましょう。

対処すべきは、憎しみやストレスを伴う嫌な悲しみです。

これらは時薬が効くのも早いので、思い出しさえしなければ癒えていきますが、何日も続くようなら意識的に軽減させる方法を検討してみましょう。

悲しみを強く感じやすい人の特徴とは?

同じ物事を前にしても悲しみの感じ方は人それぞれです。

たとえば90歳まで生きた祖父や祖母の死に対し、「長生きの大往生でかっこよかったな」と思える人もいれば「もっと話したかった、もっと一緒に過ごしたかった」と大号泣する人もいますし、その場では思い切り泣きじゃくるのに次の日にはケロッとしている人もいます。

あるいは、陰口大好き人間に陰口を叩かれて、「また言ってるよ…暇人だな」と呆れ返る人もいれば、「絶対許さない。

表に出れないようにしてやる」と怒りに燃える人もいますし、「どうして私がそんなことを言われなきゃならないんだろう」と悲しがる人もいます。

物事に対する感じ方が多様な中、悲しみを強く感じやすい人にはどのような特徴があるのかを見てみましょう。

心が繊細で傷つきやすい

ここでいう「繊細」は感受性が高いこととほぼ同義です。

なんでもかんでも真正面から受け止めるので疲弊し、疲弊が悲しみを感じさせています。

また、多くの人なら気にならないようなことも気になるので脳が疲れ果て、マイナスの感情に引きこまれてしまうのです。

隣の席の人の息の音がうるさい、グループ行動で皆の意見が分かれると客観的な事実に基づく判断より人の感情が気になってしまう、微細な音や臭いなど、周囲にある全てのものへ敏感に反応するため、脳が処理しきれる情報量を簡単にオーバーします。

そうなると、日常生活では悲しいことも嬉しいこともまばらに存在するのに、冷静に「良いこともあったな」と思える余裕がなくなってしまうでしょう。

それは、悲しみの感情がもっとも持続しやすいからです。

物事をネガティブに考えがち


悲しみ中毒症もこの部類です。

物事を何でもネガティブに考える人は、ある種の快感を得ている恐れがあります。

この人たちは、言葉の上では「ポジティブになりたい」とは口にするものの、その実自ら率先してネガティブになろうとしているのです。

なぜかといえば、ネガティブでいる方が楽だからです。

物事のリスクやネガティブな側面ばかりに目を向けていると、それが結局失敗に終わったときに「だから言ったじゃないか」と知見のある人間を装うことができます。

何か予期せぬ悪いことが起きても「私は運が悪いからそうなのだ」と言うことで、自らのミスや原因に目向けなくて済みますし、楽しみにしていたイベントの日に雨が降ったら「私は雨女だからしかたがない」と期待しても仕方のない人生だと変な安心感を得られるというわけです。

人の不幸を描いた作品を楽しむ人にもこの傾向があり、自ら毒を仕入れて快感や安心感を得ます。

ネガティブな物事を好んでいるため、本当はポジティブに転換できることであってもネガティブな結果に引きこむという側面を持っていることが多いです。

ところが、自らネガティブな結果を引き起こしてしまうことから、快感よりも失敗する経験の記憶が上回り「何をやってもうまくいかない」「頑張ってもムダ」と諦めるようになります。